1 街の名前
レオンは遺跡の街に来ている。ここに来て一ヶ月が過ぎようとしていた。
ゴードンに引き継ぎ、南の大陸へ来てこの遺跡の街を拠点に獣人達の研究をする為だ。この町は森に飲み込まれ、火山にも近い。あの火山からは大量の魔の霧が降り注いでいるため、他の地域よりも魔力が濃く、魔獣は強力で、草木には毒が濃く含まれているようだ。
こんな苛酷な場所をねぐらにしている獣人には、強い生命力がある。
「この地にどのような呪いが掛かっているのか詳しく調べなければ。ゴードンが魔女に聞いた話だけでは呪いの性質がハッキリしない」
この呪いを解くことが出来るだろうか。レオン達に掛かっていた呪いは解くことが出来たのだ。もしかすれば呪いを解けるかも知れない。
この街に充満している魔の霧・・・・・魔力を、サラに闇の収斂を掛けて貰って、薄くして貰った。
毎回出来上がる魔宝石は、純度が高く、そして大きい。一回の収斂で出来上がる数も三百個を優に超える。金色の枝からこぼれ落ち、それでもまだまだ魔宝石が木にぶら下がりまた落ちる。足下には、こぼれ落ちた石がゴロゴロと転がっていくのだ。どれほどの魔力がこの地に満ちていたのだろうか。
サラのお陰でこの頃やっと街中の魔力が薄くなってきた。
街に掛けられていた結界も復活し、魔獣が侵入してくる心配が無くなった。町の街灯が点き、夜でも安心出来るくらい明るい。他の設備は自分達で使う場所だけ修復して、他はそのままにしている。
街の主要な道路に蔓延っていた草や木は取り払われ、往時の街の姿を彷彿とさせている。ここに人が住める状態に成りつつあるのだ。
「これくらいで終わりにした方がいいわ。余り吸収しすぎれば、地力まで失われてしまいそうよ」
サラは、これからは闇の収斂は一年に一度のペースにした方がいいと話して、ヤーガイへ転移していった。
出来た魔宝石は全部で一万個。これはこのまま保管することにする。この街の維持に使わせて貰おう。十年は余裕で持つはずだ。
今ここには秘密の任務に就いている人々が二百人居る。
レオンがルーベンス公爵領から連れてきた兵士や冒険者達が住んでいる。彼等は転移で連れてきているため南の大陸の詳しい位置は分からないだろう。
ただ新しい開拓地だ、としか知らされていないのだ。
冒険者の多くは元は農民達だ。レオンの領地から希望者を募って連れてきている。
冒険者の仕事と言うよりは開拓の仕事をして貰っている。壊れた建物を住めるように改築したり、農地を開墾して自分達が食べる分を作って貰っている。
彼等の賃金は総てレオンが出している。魔宝石がその賃金を生み出してくれるので困ることは無かった。
ここに来て貰う冒険者や兵士には一人に一つずつ魔法鞄を与えた。彼等は自分では一生買えないほど高価な鞄を貰い、喜び勇んでこの開拓に参加してくれた。
魔獣は沢山居るが、魔獣の肉は毒があるため普通の人間である彼等には食べられない。しかし、海には豊富な魚や海産物があった。それらを岸壁で簡単に手に入れることが出来た。そのせいで彼等の食卓は豪華だ。
沈んだ船が格好の魚礁となって、そこをねぐらにしている魚は種類も豊富だった。一メートルはあろうかという魚に、エビ、蟹、貝、海藻。
「領主様。ここは食いもんが豊富ですね。オレのかかあを連れてきて、ここに住んでもいいっすか?」
レオンはこんな時、連れてきても良いと言いそうになるが、思いとどまっている。
彼等に子どもが出来れば、研究に役立つと思う反面、それは彼等に対する裏切りになる。レオンを信用して付いてきてくれた彼等に、きちんと説明していない。彼等に説明できるまでは、彼等に永住の許可を出す事は出来ない。
ゴードンは、
「レオンにすべて任せる。もしここを新たな領地としたいなら好きにすれば良い。だが、ヤーガイからは一銭も出すことが出来ない。それをしてしまえば、今後ダンカンが困った立場になる恐れがある。だが、私が協力するから安心して研究してくれ」
レオンは領地が欲しいわけでは無い。自分の公爵領だけで十分だった。ただ、どうしても解明したい。呪いという物の本質はどういう物かを。
王族が長年苦しんできた呪いを解除することは出来たが、呪いとは一体どのように作用し、どのような効果があるのかを。これはレオンの長年の研究のテーマでも在るのだ。
呪いのかけ方は研究が少し進んでいたが、個人に限定される物だ。本人の命と引き換えに呪いを相手にぶつけるのだ。しかし魔女が使うような広範囲に長い年月に渡って影響を及ぼす物は人間には掛けることは出来ない。
過去に呪いを試みた人は少数ながら居るが、掛けた本人も掛けられた人も直ぐに死んでしまうため、詳しくは解明できていないのが現状だ。
ここには魔女もいる。ゴードンにはソッとしておけと言われているためこちらからは接触は出来ないが、もしかすれば、魔女に直接聞く機会が巡ってくるかも知れないのだ。
ヤーガイの船に乗っていた密航者は皆返したが、彼等に話を聞くことが出来た。
彼等は村を形成し、社会を築いている。そして思いのほか人口が多かった。彼等を受入れる森は広大だ。
この大陸の平地のほぼ九割を占めているのだから。
残りの一割に、人間が細々と暮らしているようだ。毒を含まない作物が取れる土地が少ないためだ。
獣人は毒に耐性があり、傷も自己再生があるため治ってしまう。かつての王族と同じだった。
違いは魔力器が無いことだけだ。連れてきた鑑定士に見て貰ったところ、彼等は魔力器が無いが、人間のごく一部が長年掛けて獲得する技能が幼い内から備わっているそうだ。
「これは若しかすると魔力器の変化した形では無いだろうか。そう考えれば、獣人は、魔力を持って生れる筈だった人間が変化した者では無いだろうか」
レオンはもっと多くの獣人に会い、鑑定を掛けてみなければならないと感じている。
――呪いは、魔力器に作用すると言うことでは無いのか?
だが、一概に言えないのは、魔力を持っていても、王族だけという限定されたものに呪いを掛けることが出来るのは何か特別な呪文でもあるのだろうか。
サラは覚えていないと言っていたが、サラが魔女に憑依したとき、呪文を唱えたと言っていたのだ。必ず特別な呪文があるはずなのだ。その呪文を解明できれば、この地の呪いを解除出来るのでは無いだろうか?
例え解除出来ないとしても、呪いに対抗できる何かが見付かるかも知れない。
余りにものめり込みすぎて、サラに、つい言ってしまった一言で、二人の間が険悪な雰囲気になってしまった。
サラは当分こちらには来ないだろう。もしかすればレオンを見限ってゴードンの所へ行ってしまうかも知れない。
「サラ、悪かった。本気で言ったわけでは無かったんだ。でも、この研究はどうしてもやり続けたい」
ここには居ないサラに向かって謝ってみてもどうしようも無い。研究が無事終われば、サラに分かって貰えるだろう。そう願うしか無かった。
「領主様、この街に名前を付けませんか?」
「ああ、君に任せるよ。好きな名前を付けてくれ」
騎士のマルボーが提案してきた。マルボーには魔力が無い。今回連れてきた領民は魔力がない者達だ。意図したわけでは無かったが、結果として良かったのでは無いだろうか。万が一魔力器に呪いが作用するならば、危険だからだ。
――サラがこちらに来ないのは良いことだった。あのままここに居たら、サラに呪いが及んだかも知れなかった。
「長男をこちらへ連れてきてレベル上げをしたが、不味かったかも知れないな。バスティアンに何事も無ければ良いが」
レオンは自分の仮説に恐れおののいた。一時的に、サラの元へ転移し、
「今後は南の大陸へ来ないでくれ。子どもも連れてきてはダメだ。お願いだから僕を一人にしてくれ」
そう、素っ気なく突き放してサラの元から転位した。
魚を釣っていた冒険者達が何やら騒いで帰ってきた。
「何を騒いでいる? マルボー、見てきてくれないか」
「はい、また大漁で喜んでいるのでしょう」
苦笑いをしながらマルボーが出て行った。レオン達が住居にしているのは魔女の建物だ。ここは中央棟と呼んで居る。街はセントラルベイと名付けたようだ。
大陸のやや北中央寄りに位置している湾のためそう言う安直な名前に落ち着いたようだ。どうせ、少しの間居るだけの場所だ。自分達が分かりやすければそれで良い。
「領主様来て下さい! 魔物が・・・・・」
マルボーが血相を変えて飛び込んで来た。
「結界をすり抜けた魔物がいるというのか!」
彼の後から中央棟の前の広場へ行くと、血だらけになった生きものが縄でグルグルに縛られて転がっている。
「こいつ、おいら達の獲物を横取りしようとしてたんでさぁ」
「ああ、おらの銛で突いてやったんですが、中々死なねぇ。随分丈夫な魔物だ」
冒険者の男は気味悪そうに魔物を見ながらそう言った。この冒険者は、確か技能持ちだったはずだ。
冒険者達には魔力持ちは居なかったが、技能を持っている者は十人ほど居た。その中の一人だった。
だが、半分の男達はその冒険者から、魔物をかばっているようだった。そのお陰で魔物は殺されずにここまで連れてこられたようだ。
魔物は、上半身は女だ、だが下半身は魚だった。腹に銛を受けたのだろうが、もう治り掛かっている。
――これは獣人では無いのか? だが始めて見る生きものだ。人と魚の獣人? 魚人?
「お前は・・・・・言葉が分かるか? まさか、獣人では無いのか?」
「・・・・・アタイは人魚だ。この海にスンデイル。お前達は、アタイの漁場をアラシテイル」
「「「「「・・・・・」」」」」
魔物と思っていた者が言葉を話したため皆驚いている。
髪の毛はくるくるとしたショートヘアーで青色だ。背中は鱗で被われ、腰から下も同じだが、その他は美しい女性の身体を晒している。皮膚は青っぽく輝いて、鱗は虹色をしていた。目の色は黒に見えるが紺色のようだ。
レオンは彼女に話を聞くためにどうすれば良いか聞いた。
「アタイは、陸には長く居たくないが、ハナシならシテヤッテモいい」
彼女には名前が無かった。彼女は只一人だけで生きているそうだ。生れて直ぐに海に捨てられた。二百年も生きているのだそうだ。百五十年前にこの湾に辿り着き、湾の入り口に住み、廃船をねぐらにしているという。親は普通の人間で、漁師だったと言った。
「言葉はどうやって覚えたのだ? 他にお前の仲間が居なければ可笑しいだろう」
「・・・・・言葉は、竜に教わった。百年前に竜に見付かって。今でも偶に交流があるのだ。アタイは海にしか住めナイカラ・・・・・」
そう言えば少し前に冒険者達は壊れかけた小舟を見つけ出して修理をしていた。湾の海岸線を探索しているという話を愉しそうにしていた。
「漁場を荒らしてしまって悪かった。これからは気を付けるように言っておく。君の事を何と呼べば良いか・・・・只人魚と呼べば良いのか?」
「デハ、アタイのことは、マーラとよべ」
マーラは、実は漁場を荒らされて気分を害していたわけでは無かったそうだ。暫くぶりの人間を見て話したかったと言った。
船も無いのに突然人がここにいるのを奇妙に思って調べていたようだ。冒険者達に話しかけようとして殺されそうになってしまったようだ。
「スコシ前ここに船が来ていたことがアル。オマエ等は彼奴らの仲間か?」
「ああ、同じ国の人間だ」
「そうか・・・・・コレカラ、偶に岸壁に来てモイイカ?」
「ああ、色々聞かせて欲しい。こちらからもお願いする」
マーラは、海へ帰っていった。
「領主様、これは一体どう言うことなのでしょう? まさか、呪い!」
レオンは皆に話すときが来たと感じた。このまま黙っているわけにはいかなくなった。ここに居る危険も話さなければならないだろう。彼等が、ここには居たくないと言えば帰す事も考えなければならない。
彼等に今までの事を話して聞かせ、この地は北の大陸と離れた、南の大陸である事も打ち明けた。
「何という・・・・・そんなに離れた場所でしたか。家族を連れてくることは出来そうも無いな」
「でも、ここはもう魔の霧が無くなったんだ。こんなに素晴らしい場所だ。早い者勝ちだろうが! オレは呪いなんか信じねぇ。領主様。どうかオレ達に土地を分けてくれ。オレはここに農地を広げて見たい」
「土地は多分、分けることは出来るが、もう少し待ってくれ。きちんと呪いの正体を突き止めてからにして欲しい。その為に僕はここに来たんだ」
「分かった! おオーッ。楽しみだ。呪いが在ったとしても俺はここに住むぞ!」
海があり、豊かな森があり、近代的な街がある。少し修理すればいいだけの立派な屋敷もあるのだ。確かに願ってもない立地だろう。ここに人が多く住むようになれば素晴らしい街に発展して行くに違いないのだから。
レオンの領地のように冬は雪が降るわけでも無く、温暖な気候だ。
レオンに付いてきた者達は、躊躇する者と、気にしていない者に二分されたようだ。だが、帰りたいという者はいなかった。
彼等は、旨くすれば只で住む場所と農地が手に入るかも知れないと野心に燃えて、寧ろここに居たいというようになった。




