第七話:決闘の名は「食戟」
「この店の後ろ盾は、私、エリアーナ・フォン・リヒトホーフェンです。何か、文句がおあり?」
凛として響き渡るエリアーナの声に、食料ギルド監査官ボルマンの額から、脂汗が滝のように流れ落ちた。公爵令嬢であり、国王からの信頼も厚い魔術師団副団長。彼のようなギルドの中間管理職が、逆らえる相手ではない。
「い、いえ……リヒトホーフェン公女殿下。これは、その、ギルドの規則でして……」
ボルマンはどもりながら、必死に言い訳を探す。ここで引き下がれば、ギルドの権威は失墜する。だが、目の前の大貴族に逆らえば、自分の首が飛ぶ。
板挟みになったボルマンは、苦し紛れに論点をすり替えた。
「これは、誰が後ろ盾か、という問題ではございません! 我々ギルドが数百年守ってきた、食の伝統と『安全』の問題なのです! あのような得体の知れない調理法……『からあげ』とやらで腹を壊す者が出たらどうするのですか! 我々の規則は、民を守るために存在するのです!」
その言葉に、それまで黙って成り行きを見守っていた客たちが、ざわめき始めた。
「得体が知れないだと?」
声を上げたのは、あの髭面のドワーフ、ギムレットだった。彼は空になった皿をテーブルに叩きつけるように置くと、立ち上がってボルマンを睨みつけた。
「危険だと? 笑わせるな! 俺が今まで食ってきた、ギルド認定のレストランの、パサパサの肉と味のしないスープこそ、魂にとっての毒だ! ここの飯は、俺の人生で一番美味かった!」
「そうだそうだ!」と、他の客からも声が上がる。
「こんなに美味しいものが、危険なわけがない!」
「あんたたちの作る栄養ゼリーより、よっぽど体に良さそうだ!」
民衆の支持が、完全に俺に傾いている。ボルマンの顔は、怒りと屈辱で真っ赤に染まっていた。
これまで黙っていた俺は、一歩前に出た。
「ボルマン監査官。俺の料理は、食材の味を最大限に引き出すという、ごく当たり前の調理法に基づいています。そして、この厨房は、あなたの知るどんな店よりも衛生的だと断言できます」
俺は怒りも、焦りも見せず、ただ静かに、料理人としての事実を告げた。その落ち着き払った態度が、逆にボルマンの神経を逆撫でしたようだ。
「この若造が……!」
ボルマンが何かを叫ぼうとした、その時。
「もう、よろしいでしょう」
パン、とエリアーナが手を打った。その場の全員が、彼女に注目する。
「ボルマン監査官。あなたがそこまでギルドの料理に自信をお持ちなら、それを証明なさればよろしいのではなくて?」
「……と、申しますと?」
「決まっていますでしょう」
エリアーナは、にやりと、この状況を楽しんでいるかのように笑った。
「『食戟』よ」
その聞き慣れない言葉に、誰もが首を傾げる。
「ギルドが誇る最高の料理人と、このヒビキを、公開の場で競わせるのです。テーマに沿った料理を互いに作り、その優劣を審査員と民衆に判断させる。もしヒビキが負ければ、この店を畳み、ギルドの指導に従いましょう。しかし、もしヒビキが勝ったならば……ギルドは『食堂ヒビキ』に特別な認可を与え、二度と干渉しない。この条件、いかがかしら?」
それは、あまりに大胆で、そしてあまりに面白い提案だった。ボルマンは追い詰められた。この決闘を断れば、ギルドがヒビキの実力を恐れたと公言するようなものだ。もはや、彼に残された道は一つしかない。
「……よろしいでしょう!」
ボルマンは、怒りに震える声で叫んだ。
「その勝負、ギルドが受けましょう! そんな田舎料理人など、我々が誇る料理長の敵ではないわ! 民衆の前で、格の違いというものを見せつけてくれる!」
こうして、勝負は決まった。
一人の無名の料理人が、王国の食を牛耳る巨大組織、食料ギルドに料理で戦いを挑む。その前代未聞のニュースは、たちまち王都中を駆け巡ることになる。
俺の肩の上で、ことの重大さを全く理解していないポポが、キラキラした目で言った。
「フードファイトだって! ヒビキ、どっちも食べられるのか!?」
これから始まる、王都の美食界を揺るがす大きな嵐の中心で、俺は静かに闘志を燃やしていた。