第六話:食堂ヒビキ、開店。そして招かれざる客
王都に来てから一週間。俺はエリアーナが用意してくれた厨房に籠り、寝る間も惜しんで開店準備を進めていた。
新しい厨房は、まさに夢の城だった。村では考えられなかったような多種多様な食材、未知のスパイス、そして何より、安定した火力を供給できる巨大なオーブン。俺の料理人としての血が、否が応でも騒ぎ出す。
ポポはというと、食材の味見役として大活躍(主につまみ食い)していた。
そして、ついにその日を迎えた。俺の店の名は『食堂ヒビキ』。誰でも気軽に立ち寄れるように、という願いを込めた。
開店初日。店の前には、物珍しそうにこちらを覗き込む人々が集まっていた。王都の住人たちは、村人たちよりも身なりは良いが、その表情に浮かぶのは好奇心と、そして強い警戒心だった。この世界では、外で食事をするという文化自体が、まだ根付いていないのだ。
「さあ、開店だ!」
俺は深呼吸を一つして、店の扉を開け放った。
今日のメニューは、一つだけ。『ヒビキのランチセット』だ。内容は、改良を重ねてふわふわに焼き上げたパン、数種類の根菜を煮込んで裏ごししたクリーミーなポタージュスープ。
そして――
メインディッシュは、この世界に衝撃を与えるであろう一品。『鶏肉のカリカリ揚げ』だ。
醤油も生姜もないこの世界で、俺は試行錯誤を重ねた。塩辛い豆を発酵させて作った自家製の醤と、鼻に抜ける爽やかな香りのハーブで下味をつけ、雑穀の粉をまぶして油で揚げる。いわゆる「唐揚げ」だ。
じゅううう、という食欲をそそる音と、厨房から漂う香ばしい匂いに誘われて、ついに最初の一団が、おそるおそる店に入ってきた。屈強な肉体を持つ、見るからに職人といった風情の男たちだ。
「へっ、貴族様相手の店かと思いきや、随分と安っすいじゃねえか」
一団のリーダーらしき、赤ら顔で髭面のドワーフが、品書きを見て悪態をつく。ドワーフはこの世界でも屈指の職人だが、頑固で、食には無頓着だと聞く。
「いらっしゃいませ! 席へどうぞ!」
俺は笑顔で彼らを迎え入れた。
やがて運ばれてきたランチセットを前に、ドワーフたちは眉をひそめる。
「なんだこの白いスープは。ポタージュ? 気取ってやがる」
「パンはまあまあだが……問題はこれだ。肉を油で揚げるだと? 正気か?」
しかし、文句を言いながらも、彼らは唐揚げを一つ、無造作に口へと放り込んだ。
その瞬間、店内の空気が凍りついた。
サクッ、という軽快な衣の音。次いで、中から溢れ出す、熱々の肉汁。醤とハーブの風味が口いっぱいに広がり、噛みしめるほどに鶏肉の旨味が後を追う。
「な……」
悪態をついていたドワーフの目が、カッと見開かれる。彼は、言葉を失ったまま、二つ、三つと、夢中で唐揚げを口に運んだ。他の職人たちも同様だ。頑固な職人たちの顔から、みるみるうちに険が取れていく。
「う……うめえ……」
やがて、髭面のドワーフが、絞り出すようにそう呟いた。
「おい、小僧! 酒だ! こんな美味いモン、酒なしで食えるか!」
その一言を皮切りに、店内は一気に活気づいた。噂を聞きつけた客が次々と訪れ、誰もが初めて体験する「美味しい料理」に目を輝かせ、舌鼓を打つ。子供たちの笑い声、人々の満足げなため息。そうだ、これが俺のやりたかったことだ。
店が喧騒と幸福な香りに満たされた、その時だった。
カラン、とドアベルが鳴り、店の入り口に数人の男たちが立っていた。仕立ての良い制服を着ているが、その顔には卑しい笑みが浮かんでいる。
「ここが例の店か。随分と繁盛しているじゃないか」
中央に立つ、肥満体の男が、粘つくような視線で店内を見回す。その胸には、天秤と麦の穂をかたどった徽章――王都食料ギルドの紋章が輝いていた。
「私は食料ギルドの監査官、ボルマンだ。貴様、ギルドの許可なく、このような怪しげな料理を民に提供するとは、良い度胸だな」
ボルマンは、にやついた笑みを浮かべて言い放った。
「食中毒でも出たらどうするつもりだ? その店、即刻営業を停止してもらう。我々ギルドの『指導』を受けるまではな」
ボルマンの言葉に、さっきまで幸福に満ちていた店内の空気が、一瞬にして凍りつく。厄介な連中に目をつけられてしまった。
俺がどう応えるべきか言葉を探していると、店の奥のテーブルから、凛とした声が響いた。
「あら、私の許可では、何か不都合でもおありになって?」
声の主は、いつの間にか来店し、優雅にポタージュを啜っていたエリアーナだった。彼女はゆっくりと立ち上がると、ボルマンを冷たい一瞥で見据える。
「この店の後ろ盾は、私、エリアーナ・フォン・リヒトホーフェンです。何か、文句がおあり?」
王宮魔術師団副団長、そして公爵令嬢でもあるエリアーナの名に、ボルマンの顔がさっと青ざめる。
俺の異世界レストランは、開店初日から、とんでもない嵐の予感をはらんで幕を開けたのだった。