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第四十二話:芽吹く種子と、忍び寄る影

 ドワーフの一族を唸らせた一件は、国王ヴォルガルドに、ある大きな決断をさせた。彼は、歴史上初めて、堅く閉ざされていた王宮の厨房を、民衆に開放することを宣言したのだ。


 そして、その記念すべき最初の催しとして、俺、ヒビキと、アカデミーの生徒たちによる、公開料理教室が開催されることになった。参加資格は、ただ一つ。「料理を愛する者」であること。その知らせに、都中の料理人たちが、色めき立った。


 当日。王宮の巨大な厨房には、これまで決して交わることのなかった、様々な身分の獣人たちが、集まっていた。高級レストランの料理人もいれば、街角で串焼きを売る屋台の主人もいる。皆、最初は、半信半疑で、そしてどこか挑戦的な目をしていた。


「今日のテーマは、『最高の一杯スープ』だ」


 俺は、教壇に立ち、集まった料理人たちを見渡した。それは、俺がこの世界に来て、初めて人々の心を動かした、料理の原点。


 授業が始まると、俺の隣には、レオ、カイン、リリア、そしてドルガンが、それぞれ助教として立った。彼らはもう、ただの生徒ではない。この新しい料理哲学を、自らの言葉で伝える、若き使者たちだ。


「皆さん、これが『出汁』です。食材の魂を、静かに、優しく、引き出してあげるんです」


 レオが、丁寧に、出汁の概念を説く。


「野菜の切り方一つで、その甘みは、全く違う表情を見せるのですよ」


 リリアが、繊細な包丁さばきを披露する。


 カインが、なぜその温度で煮込むのか、その科学的な理論を解説し、ドルガンが、最高のスープを作るための、完璧な火の管理を、実践してみせる。


 授業は、大成功だった。参加した料理人たちは、自分たちが毎日使っている、ありふれた食材から、信じられないほど深く、滋味豊かな味が生まれることに、ただ衝撃を受けていた。


「骨を煮込むだけで、こんなにも……! 俺の串焼きのタレが、生まれ変わるぞ!」

「野菜の皮を、今まで捨てていたなんて……俺は、食材に、なんて無礼なことを……」


 俺が蒔いた、小さな革命の種が、今、この都の、あちこちで、確かに芽吹き始めた。その光景に、俺は、心の底からの満足感を覚えていた。


 だが、その熱狂の裏で、冷ややかに、その様子を観察している者たちがいた。


 授業が終わった厨房の片隅。首席側近のクライン卿と、狼の獣人である、保守派貴族の筆頭、フェンリス卿が、静かに言葉を交わしていた。


「クライン卿、ご覧になったかな。あれが、私が警告したことだ」


 フェンリス卿は、忌々しげに吐き捨てる。


「あの人間は、ただ料理を教えているのではない。我らヴァロリアの、戦士としての魂を、その小賢しい料理で、骨抜きにしているのだ。我らの誇り高き伝統を、根底から腐らせる、甘い毒だ」


 クライン卿は、その狐のような目を細め、感情を見せずに答える。


「……確かに、影響力のある男だ。だが、今のところ、国王陛下は、ご満悦だ。それが、全てだよ」


 その言葉に、フェンリス卿の瞳が、危険な光を宿した。


「王が、伝統をお守りにならぬのなら、他の者が、立つまで。あの人間の『魔術』が、いつまでも通用すると、思うな」


 その夜。俺は、生徒たちと、その日の成功を祝う、ささやかな食卓を囲んでいた。そこへ、エリアーナが、少し曇った表情でやってきた。


「ヒビキ、おめでとう。今日の授業は、素晴らしかったわ」


 彼女は、俺たちを労った後、声を潜めて続けた。


「でも、あなたの成功は、波紋を広げすぎている。あなたは、ただのレシピを変えているのではないわ。人々の、価値観そのものを、変え始めている。それを、快く思わない者たちがいることを、忘れないで」


 エリアーナは、フェンリス卿とその一派の動きを、警戒していた。


「あなたの次の試練は、厨房の中ではないかもしれない。政治、妨害……あるいは、もっと直接的な、危険が迫る可能性もあるわ」


 俺は、王宮のバルコニーから、眼下に広がる、百獣の都の夜景を見下ろした。無数の灯りは、まるで、俺が灯した、新しい希望の光のようにも見える。だが、その光が届かない、深い闇も、確かに存在しているのだ。


 俺は、静かに、腰に差した『魂喰い』の柄を握りしめた。その感触は、以前よりも、少しだけ重く感じられた。それは、ただのナイフではない。俺が、この国で築き上げた、絆と、未来を、守り抜くための、覚悟の重さだった。


 料理人としての戦いは、新たな、そして、より危険な局面へと、静かに移り変わろうとしていた。

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