第三十九話:王の厨房と、授けられしナイフ
ヴォルガルド王が、俺の料理を静かに食べ終えた後、謁見の間は、長い沈黙に支配されていた。
側近たちは、王の真意を測りかね、固唾をのんで次の言葉を待っている。俺は、ただ静かに、その判決を待っていた。
やがて、王は、深く、満足げなため息をつくと、その重々しい口を開いた。
「料理人ヒビキよ」
その声には、もう俺を試すような響きはなかった。
「貴様は、儂の問いに、満点以上の答えを示してくれた。我が国の真の強さは、個々の武力ではない。この多様性こそが、我らの誇りであり、未来そのもの。そして、それをまとめ上げるのが、王たる儂の役目……。長年、忘れかけていた、最も大切なことを、貴様の皿が思い出させてくれた」
王は、玉座からゆっくりと立ち上がると、俺の前まで歩み寄ってきた。その圧倒的な巨躯が、俺の前に立つ。
「貴様を、我がヴァロリアの、真の友として認めよう。そして、その敬意の証として、これを授ける」
王が、側近に合図をすると、桐の箱のような、荘厳な木箱が運ばれてきた。王は、自らの手でその箱を開ける。中に収められていたのは、一本の、古いが、尋常ならざる気を放つ、ナイフだった。
それは、解体用のナイフのようだが、刀身は、黒曜石のように深く、鈍い光を放っている。柄には、歴代の王の名が、ヴァロリアの古い文字で刻まれていた。
「これは、『魂喰い』。我が祖、初代獣王が、竜の牙を削って作り上げたと言われる、伝説のナイフだ。このナイフは、ただ肉を切るのではない。食材の魂と対話し、その記憶を、使い手に伝えると言われている」
王は、そのナイフを、俺に差し出した。
「代々、この国の最高の料理人にのみ、受け継がれてきたものだ。今日から、お前が、その正当な持ち主となれ」
その場にいた、ヴァロリアの誰もが、息をのんだ。クライン卿でさえ、驚きに目を見開いている。それは、俺が、この国の食の歴史において、頂点に立ったと、王自らが宣言したに等しかった。
俺は、震える手で、そのナイフを受け取った。ナイフを握った瞬間、まるで、これまで俺が調理してきた、全ての食材の想いが、流れ込んでくるような、不思議な感覚に襲われた。
「陛下……これほどの名誉、身に余る光栄です」
「礼には及ばぬ。むしろ、礼を言うのは、儂の方だ」
そして、王は、驚くべき提案を続けた。
「ヒビキよ。貴様の旅は、まだ終わってはいないのだろう? この国の全てを、その目で見て回るがいい。そして、そのアカデミーの若者たちと共に、この国の料理人たちに、新しい風を吹き込んでやってくれ」
王は、俺たちに、王宮の厨房を、自由に使う許可を与えた。それだけではない。ヴァロリア全土の、あらゆる食材を、自由に集め、研究することを、王の名において、公式に許可したのだ。
それは、俺たちにとって、何物にも代えがたい、最高の栄誉であり、最大の支援だった。
「ただし」と王は、悪戯っぽく笑う。「一つだけ、条件がある」
「なんでしょうか?」
「時々でいい。儂のためだけに、今日の料理を作ってはくれまいか。あの一皿は、王としての儂ではなく、一人の獣人としての儂の魂を、ひどく喜ばせたのでな」
その言葉に、俺も、思わず笑みを返した。
「御意。いつでも、喜んで」
謁見の間を退出する俺たちに、それまで冷ややかに見ていたヴァロリアの貴族たちが、一斉に、深い敬意のこもった礼をした。もはや、俺たちを、ただのひ弱な人間として見る者は、誰一人としていなかった。
アカデミーの生徒たちは、興奮を隠しきれない様子だった。
「師匠、やりましたね!」
「王様の厨房を、自由に使えるなんて……!」
俺は、彼らの頭を、優しく撫でた。
「ああ。だが、ここからが、本当の始まりだ。俺たちは、この国に、何を残せるだろうな」
俺は、授けられた伝説のナイフ、『魂喰い』を、静かに見つめた。その黒曜石の刃は、まるで、これから始まる、未知なる食材と、新たな料理との出会いを、予言しているかのように、鈍く、深く、輝いていた。
百獣の都での戦いは、終わった。そして、ここから、料理を通じて、二つの国を、真に繋ぐための、俺たちの本当の仕事が、始まろうとしていた。




