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第三話:小麦と、初めての「パン」

 村人たちが初めて「食事」の喜びに目覚めてから、数日が過ぎた。


 俺は村の片隅にある釜戸を拠点に、毎日三食、村人たちのために料理を作り続けていた。獣肉のスープだけでなく、焼いた肉、蒸した芋など、レパートリーは少しずつ増えていった。


 村人たちは、食事の時間が待ちきれないといった様子で、目を輝かせながら俺の元へ集まってくる。彼らの笑顔を見るたびに、俺の心は満たされていった。


「ヒビキの飯は最高だ! もう栄養ゼリーなんて食えるか!」

「食事がこんなに楽しいなんて、知らなかったよ」


 ポポもすっかり俺の料理の虜で、寸胴鍋ほどの大きさの器をぺろりと平らげるのが日課になっていた。


 そんなある日、村長が神妙な面持ちで俺の元へやってきた。


「ヒビキよ、相談があるんだが」

「どうしたんですか、村長?」

「村人たちが、お前の料理ばかりを求めるようになってな。それは良いことなんだが、備蓄していた雑穀が底をつきそうなんだ」


 村長が指差す先には、確かにほとんど空になった雑穀の袋があった。この村の主食は、この雑穀を水でふやかして作る、味のない粥だったらしい。


「このままでは、冬を越せないかもしれん。どこかから食料を調達してこなければ……」

「雑穀、ですか……」


 俺は袋に残っていた一握りの穀物を手に取り、じっと観察した。それは、俺が知っているどの穀物とも違ったが、どことなく小麦に似ている。もしこれが小麦のように使えるのなら、作れる料理の幅は格段に広がる。


「村長、この雑穀、粉にすることはできますか?」

「粉? 石臼を使えばできなくはないが……何に使うんだ?」

「決まってるじゃないですか。最高の『パン』を焼くんですよ」


 俺の言葉に、村長もポポも、またしても「?」という顔をしている。


 俺は早速、村の女性たちに手伝ってもらい、石臼で雑穀を挽いて粉にした。出来上がったのは、少し黒みがかった全粒粉のような粉だ。これならいける。


 問題は、パン作りに不可欠な「酵母」だ。もちろん、この世界にドライイーストなんて便利なものはない。


「ポポ、この辺りで、甘い果物とか知らないか?」

「甘い果物? ああ、森の奥に、リンゴみたいな実がなる木があるぞ。ちょっと酸っぱいけどな」


 それだ! 果物の皮には、天然の酵母が付着している。これを使わない手はない。


 俺はポポに案内してもらい、森で「リゴの実」と呼ばれる果物をいくつか採ってきた。リゴの実を潰して瓶に入れ、水を加えて数日放置する。ぶくぶくと泡が出てくれば、自家製酵母の完成だ。


 数日後、狙い通りに発酵した酵母液を使って、俺は初めてのパン生地をこね始めた。粉と水、塩、そして自家製酵母。シンプルな材料だからこそ、ごまかしはきかない。


 生地を丁寧にこね、一次発酵、二次発酵と時間をかけてじっくりと寝かせる。村人たちは、また何か新しいことを始めた俺の周りに集まり、興味津々でその様子を見守っている。


 そして、十分に膨らんだ生地を、熱した石板の上でじっくりと焼き上げていく。


 やがて、釜戸の周りには、スープの時とはまた違う、甘く香ばしい、人を幸せにする香りが満ち始めた。


 焼き上がったのは、少し不格好だが、こんがりと焼き色のついた、紛れもない「パン」だった。


「さあ、みんな! 熱いうちに食べてくれ!」


 俺がパンをちぎって配ると、村人たちは恐る恐るそれを口に運ぶ。


 外はカリッと、中はふんわり、もっちり。噛みしめるほどに、穀物の素朴な甘みが口の中に広がる。


「な、なんだこの食い物は!?」

「外は硬いのに、中は雲みたいに柔らかいぞ!」

「美味しい……ただの雑穀が、こんなに美味しいものになるなんて……」


 村人たちは、夢中でパンを頬張り、その顔は驚きと喜びに満ち溢れていた。スープを初めて飲んだ時以上の感動が、村全体を包み込む。


 村長は、涙を流しながら俺の手を握った。


「ヒビキ……お前は神だ。いや、食の神だ!」


 こうして、俺の料理は、村の食糧危機を救うだけでなく、人々の心に、温かくて美味しい「パン」という名の新たな光を灯したのだった。

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