第二十四話:対話のための献立(メニュー)
アカデミーの講義室は、かつてないほどの緊張感と創造の熱気に満ちていた。
巨大な黒板には、獣人王国ヴァロリアに関する情報――文化、気質、好み、歴史――が、カインの几帳面な文字でびっしりと書き込まれている。俺は、アカデミーの未来を担う、レオ、カイン、リリア、ドルガンら、選抜チームの前に立っていた。
「いいか、みんな。献立とは、一つの物語だ。俺たちは、この晩餐会で、ヴァロリアの民にどんな物語を伝えたい?」
俺の問いに、生徒たちは真剣な表情で向き合う。これは、ただ美味しい料理を考えるのではない。一皿一皿に、意味とメッセージを込める、外交戦略の構築なのだ。
一皿目:前菜『野生の魂に捧ぐ三楽章』
まず、カインが調査結果を報告する。
「ヴァロリアの古い伝統に、『狩人の敬礼』という儀式があります。仕留めた獲物の心臓や肝臓を生で食らい、その生命の力と一体化することで、獲物への敬意を表す、と」
「なるほどな。だが、それをそのまま王宮の晩餐会で出すわけにはいかない」
「はい。あまりに野蛮だと、我が国の貴族たちが顔をしかめるでしょう」
俺の答えは、決まっていた。
「ならば、俺たちの流儀で、彼らの伝統に最大限の敬意を払う。前菜は『野生の魂に捧ぐ三楽章』だ」
それは、三つの小さな料理で構成される一皿。一つは、鶏のレバーを使い、臭みを完璧に取り除いて滑らかなパテにしたもの。二つ目は、鹿の心臓を絶妙な火加減で焼き、力強いベリーのソースを添えたもの。そして三つ目は、狩猟肉の骨から取った、雑味のない、しかし力強い味わいのコンソメスープ。
「彼らの伝統を理解し、敬意を払っている。その上で、俺たちの文化には、それを芸術にまで高める力がある。そう伝えるんだ」
二皿目:スープ『二つの国の石のスープ』
次に、リリアが提案する。
「ヴァロリアの厳しい大地では、野性的で、土の香りが強い根菜が育つそうです。対して、我が国の野菜は、品種改良が進み、甘く繊細です」
「よし、それを使おう」
俺が提案したのは、この世界にも伝わる古い民話『石のスープ』をモチーフにした一皿。ヴァロリアの力強い根菜と、我が国の繊細な野菜。異なる二つの食材を、ギムレットに特注させた素朴な石の器の中で、一つの調和したポタージュへと昇華させる。
「見た目は素朴。だが、その味は驚くほどに滑らかで、複雑。異なる者たちが手を取り合えば、より素晴らしいものが生まれる。スープに、そんな融和のメッセージを込める」
三皿目:主菜『偉大なる山竜の饗宴、炎と大地の三つのソース』
「メインは、なんといってもデカい肉だ!」
ドルガンが、拳を握りしめて叫ぶ。その意見に、俺も頷いた。
「ああ。だが、ただの丸焼きじゃ、芸がない」
メインに据えるのは、この地方で最も巨大とされる幻の魔獣、山竜のロースト。その調理は、二つのパートに分かれる。
一つは、「炎」。ドルガンが、そのドワーフとしての本能と技を全て注ぎ込み、アカデミーが誇る巨大オーブンで、山竜を完璧な丸焼きにする。皮はパリパリで、肉は野性味あふれるジューシーさを保ったまま。これぞ、獣人たちが求める「力」の象徴だ。
そして、もう一つが「大地」。俺が、その力強い肉に合わせる、三つの全く異なるソースを用意する。爽やかなハーブのソース、濃厚なキノコのソース、そして甘辛い果実のソース。
「力強いだけの料理ではない。我々には、その力を自在に操り、楽しむための、知恵と多様性がある。そう示すんだ。食べる者に、選択の自由を与える。それこそが、我々の文化の豊かさだ」
四皿目:デザート『森の宝石』
甘いものを「軟弱」と見下す獣人たちに、ただのケーキを出せば侮辱と取られかねない。
「デザートは、彼らを驚かせ、そして楽しませる、遊び心でいこう。『森の宝石』だ」
それは、一見すると、森の岩や朽ち木にしか見えないデザート。岩は、甘さを抑えた濃厚なチョコレートの中に、強い酒を効かせたビターなガナッシュを閉じ込めたもの。朽ち木は、木の実と蜂蜜を使った、香ばしいロールケーキ。
「彼らが愛する自然への敬意を示しつつ、甘いものの楽しさを、彼らの価値観を否定しない形で伝える。最後の最後で、彼らの心の武装を解くんだ」
前菜からデザートまで、一本の筋が通った、壮大な物語。生徒たちは、ただ圧倒されていた。料理が、これほどまでに雄弁な外交手段になり得るのだと、初めて知ったからだ。
「さあ、献立は決まった。これは、机上の空論じゃない。これから三日間で、俺たちはこれを、寸分の狂いもない、完璧な一皿として完成させる」
恐怖は、もはやどこにもなかった。生徒たちの顔には、国家の代表として、この歴史的な晩餐会を成功させるのだという、誇りと覚悟が満ちていた。
「総員、調理準備! 俺たちの料理で、歴史を動かすぞ!」
俺の号令と共に、アカデミーの厨房は、王国始まって以来の、最も重要で、最も困難な戦いのための、準備を開始したのだった。




