第二話:塩と出汁と、初めての「うまい」
「本物の、『料理』だと……?」
村長は、俺の突拍子もない申し出に眉をひそめた。その目は、哀れな若者がついに気でも狂ったか、と語っている。無理もない。この世界には「料理」という言葉すらないのだから。
「こいつ、何言ってるんだ? 食べ物って言ったら、栄養ゼリーのことだろ?」
隣ではポポが、羽をパタつかせながら首を傾げている。
俺は構わず、村長に向かって真剣な眼差しを向けた。
「お願いします。火と、鍋と、水。それと、何か食べられるものを少しだけ貸してください。必ず、驚かせるものを作ってみせます」
俺のあまりの気迫に押されたのか、村長は深いため息をつくと、しぶしぶ頷いた。
「……分かった。家の裏手にある釜戸を使いなさい。食材はそこの倉庫にあるものを好きに使うといい」
「ありがとうございます!」
俺は深々と頭を下げ、早速倉庫へと向かった。しかし、そこで俺は再び絶望することになる。
倉庫の中にあったのは、カチカチに硬い芋のような根菜、筋だらけで見るからに臭みの強そうな謎の獣肉、そして品種も分からない雑穀が数袋。調味料はもちろん、油の一滴すらない。
「これは……想像以上にハードだな」
だが、三つ星レストランの厨房は戦場だった。限られた時間、限られた食材で最高のパフォーマンスを求められる。それに比べれば、まだマシだ。
俺はまず、獣肉を手に取った。骨と肉を切り分け、骨は石で叩き割る。これで「出汁」を取るのだ。肉は薄く切り分け、これも石で入念に叩いて繊維を砕き、柔らかくする。根菜は皮を剥き、食べやすいように小さく切った。
「お前、何してるんだ? 骨は捨てるもんだぞ?」
ポポが不思議そうに俺の手元を覗き込む。
「いいや、ポポ。こいつが一番大事な『旨味』に変わるんだ」
釜戸に火を入れ、借りた鍋に水と叩き割った骨を入れて煮込み始める。アクを取りながらコトコトと煮込む、丁寧な火加減。この世界の人々は、ただ火力を上げて煮るだけ。そんな雑な調理では、食材の本当の味は引き出せない。
そして、最大の問題。塩だ。旨味を引き出し、味の輪郭を決める万能の調味料。これがないと始まらない。
「なあ、ポポ。この辺りで、舐めるとしょっぱい味がする石とか、草とか知らないか?」
「しょっぱい味? なんだそりゃ……ああ、そういえば、村の西にある洞窟の壁は、舐めると少しピリピリするって聞いたことあるな」
それだ! 俺はポポに案内させて洞窟へ走り、壁から岩塩の塊をいくつか削り取ってきた。これで役者は揃った。
骨から取った出汁に、下処理した肉と野菜を入れる。火が通ったら、削った岩塩で慎重に味を調える。
やがて、釜戸の周りに、この世界には存在しなかったはずの、香ばしく、食欲をそそる匂いが立ち上り始めた。
「な、なんだ? この匂いは……」
匂いに釣られて、村長や村人たちが一人、また一人と集まってくる。彼らは皆、不安と好奇が入り混じった顔で、俺の鍋を遠巻きに見ていた。
「よし、できた」
俺は木の器に完成したばかりのシンプルなスープを注ぎ、村長の前に差し出した。
「さあ、どうぞ。熱いので気をつけて」
村長は、恐る恐る器を受け取ると、中の液体をじっと見つめている。澄んだスープの中に、柔らかそうな肉と野菜が浮かんでいる。見たこともない食べ物だ。意を決したように、彼はスープを一口、口に含んだ。
次の瞬間、村長の目が見開かれた。
「こ、これは……ッ!?」
言葉にならない衝撃が、彼の全身を駆け巡る。今まで味わったことのない、温かく、そして複雑で豊かな風味が、口いっぱいに広がっていく。骨から溶け出した濃厚な『旨味』、野菜の優しい『甘み』、そして、それら全てをまとめ上げる絶妙な『塩味』。
「う……うまい……」
村長の目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
「これが……食べ物なのか……?」
その言葉を皮切りに、他の村人たちも我先にとスープに群がる。
「なんだこれ! うまい!」
「ああ……体が、心が温まるようだ……」
「毎日ゼリーだったのが嘘みたいだ!」
そして、一番の食いしん坊であるポポは、器に顔を突っ込むようにしてスープを飲み干し、恍惚の表情で叫んだ。
「ヒビキー! おかわり!!」
その日、エーテルディアの小さな村で、人々は初めて「食事」の喜びを知った。それは、灰色だった世界に、鮮やかな色が灯った瞬間だった。