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第十六話:二つ目の魔法と、信頼の芽生え

 翌朝、俺たちは再びシエル王子の部屋を訪れた。


 緊張した面持ちの侍従たちとは対照的に、俺は平静を装っていた。レオとポポも、俺の意図を察してか、余計なことは何も言わない。


 部屋に入ると、俺はまず窓辺へ向かった。昨日プリンを置いたテーブルの上。小さな陶器の器は、綺麗に空になっていた。俺は、そのことに一切触れず、ただ内心でガッツポーズをする。


 そして、昨日と同じように、枯れかかった植物に静かに語りかけた。


「おはよう。昨日の甘い魔法は、効いたみたいだな」


 俺は、今日もまた、その乾いた土に少量の水をやる。その一連の行動を、ベッドの上のシエル王子が、じっと見つめていた。そのガラス玉のような瞳に、昨日まではなかった、微かな好奇の色が宿っている。完全な無関心という名の、分厚い氷の壁が、少しだけ溶け始めたのを感じた。


「さて、と。今日は、少し賑やかな魔法にしようか」


 俺は、レオに手伝わせ、部屋の中央に小さな鉄板と、いくつかの食材を準備させた。小麦粉に似た穀物の粉、水、卵、そして細かく刻んだ数種類の野菜と、ほんの少しの干し肉。


 王子が見守る中、俺は静かに生地を作り始める。だが、本当の「魔法」は、熱した鉄板に生地を流し込んだ瞬間から始まった。


 ジュウウウウウッ!


 それまでしんと静まり返っていた部屋に、心地よく、食欲をそそる音が響き渡る。やがて、薬草の匂いを追い出すように、香ばしい匂いが部屋を満たしていった。


 俺は、軽やかな手つきで生地をひっくり返し、表面に果実と醤を煮詰めて作った特製のソースを塗る。仕上げに、薄く削った魚の干物をふりかけると、熱で揺らめくそれが、まるで生きているかのように、プレートの上で踊り出した。


 それは、料理というより、一つの小さなショーだった。音と、匂いと、そして不思議な光景で、王子の心を外の世界へと誘い出すための。


 俺が作っていたのは、『お好み焼き』。もちろん、この世界には存在しない、俺の故郷の味だ。


 焼き上がったそれを、俺はヘラで小さな四角形に切り分けた。そして、その一切れをまず、ポポにやる。ポポは、ハフハフ言いながら、実に美味そうに頬張った。次に、レオにも一切れ。レオもまた、師匠の作る料理に、幸せそうな笑みを浮かべる。


 俺も、一つ口に運んでみせる。食事が、楽しいものであるということを、示すために。


 俺は、残りが乗った鉄板を、王子のベッドのそばにあるローテーブルの上に置いた。無理強いはしない。ただ、そこに、温かくて楽しい空間を作るだけだ。


「これは、眠っているものを起こす、賑やかな魔法です」


 シエル王子は、その光景を、ただ黙って見ていた。誰にも強制されず、三人がごく自然に、同じものを食べて、微笑んでいる。それは、孤独な食卓で、義務のように栄養を詰め込まされてきた彼にとって、全く未知の世界だった。


 長い沈黙が流れる。


 やがて、王子は、ゆっくりとベッドから降りた。そして、テーブルの前に立つと、小さなフォークを、震える手で握りしめた。


 一瞬の逡巡の後、彼は、意を決したように、小さく切り分けられた一切れを口に運んだ。


 ふんわりとした生地の食感、甘じょっぱいソースの味、野菜の歯ごたえ。様々な味が、口の中で渾然一体となる。だが、それ以上に。生まれて初めて、自らの意志で、食事を「楽しいもの」として体験した、その衝撃。


 王子は、何も言わない。だが、もう一切れ、フォークを伸ばす。そして、また一切れ。


 その小さな背中を見守りながら、俺とレオは、静かに顔を見合わせて微笑んだ。ポポが、俺の肩の上で、得意げに小さな胸を張る。


 心を閉ざした王子の、長くて暗い冬が、終わりを告げようとしていた。その確かな兆しが、温かい湯気の向こうに、はっきりと見えていた。

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