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第十五話:心を閉ざした王子と、甘い魔法

 国王の勅命を受け、俺たちは第七王子が住まう、王城の離宮へと案内された。


 そこは、病弱な王子のためにと、陽当たりが良く、静かな環境が整えられた、城の中でも最も美しい場所だった。しかし、一歩足を踏み入れた途端、俺は息苦しさにも似た違和感を覚えた。


 王子の部屋は、豪華な調度品で満たされていた。だが、それらはまるで、生気のない人形の家のようだった。窓は固く閉ざされ、空気はよどみ、部屋の隅に置かれたテーブルの上には、山海の珍味が並べられている。しかし、それらは薬草の匂いが強く、いかにも「体に良い」というだけで、食欲をそそる見た目ではなかった。


 そして、天蓋付きのベッドの上には、一人の少年が座っていた。


 歳は十歳くらいだろうか。透けるように白い肌、月光を思わせる銀色の髪。ガラス玉のように美しいが、何の感情も映さない瞳。彼が第七王子、シエル。その姿は、お伽話に出てくる妖精のようだったが、あまりに儚く、脆く、今にも消えてしまいそうだった。


「……また、新しいおもちゃか」


 シエル王子は、俺たちを一瞥すると、何の興味もなさそうにそう呟いた。彼の前には、何人もの名医や料理人が現れ、そして諦めて去っていったのだろう。


 俺は、王から与えられた料理を差し出すのではなく、まず部屋を静かに見回した。そして、ある一点に目が留まる。


 窓辺に置かれた、小さな植木鉢。その中には、枯れかかった、小さな一株の植物があった。しかし、その周りの土だけが、誰かが懸命に世話をしようとしたかのように、湿り気を帯びている。きっと、この部屋で唯一、王子が心を寄せているものなのだろう。


 俺は、レオに目配せすると、宮廷の侍従に頼んで、いくつかのものを持ってこさせた。最高級の食材ではない。山で育ったヤギの乳、市場で売っている普通の鶏の卵、そして少しの砂糖。それと、小さな魔導コンロ。


「何をする気だ……?」


 王子の警戒するような視線を感じながら、俺は彼のベッドから少し離れた場所で、静かに調理を始めた。派手なパフォーマンスはしない。まるで、小さな魔法の儀式を行うかのように。


 ヤギの乳を小さな鍋で優しく温める。卵を割り、砂糖と合わせて、静かに、泡立てないように混ぜ合わせる。甘く、焦がさないように、細心の注意を払いながら。やがて、部屋の中に、ふわりと、心を落ち着かせるような甘い香りが立ち上り始めた。


 俺が作っていたのは、前世の記憶にある、素朴な菓子。『カスタード・プリン』だ。


 型に入れて魔導コンロの蒸気で優しく火を通し、仕上げに温めた砂糖水をかけて、黄金色のカラメルソースを作る。


 出来上がったのは、豪華なデザートではない。手のひらに乗るほどの、小さな、温かいプリン。俺はそれを、王子の前に差し出すのではなく、枯れかかった植物が置かれた窓辺のテーブルに、そっと置いた。


 そして、王子に向かって、静かに言った。


「これは、植物を元気にする、甘い魔法です」


 俺はプリンには一切触れず、枯れた植物の土を指でそっとほぐし、持参した水差しから、ほんの少しだけ水をやった。


「……!」


 王子の瞳が、初めて、かすかに揺らぐ。


 俺はそれ以上何も言わず、レオとポポを伴って、静かに部屋を退出した。


 一人残された部屋。甘く、優しい香りが、まだそこには漂っている。シエル王子は、ベッドの上から動かないまま、窓辺に置かれた小さなプリンと、自分の大切な植物を、ただじっと見つめていた。


 長い、長い沈黙の後。


 彼は、まるで誘われるかのように、ゆっくりとベッドから降りる。そして、震える手でスプーンを握ると、黄金色のプリンの表面を、ほんの少しだけ、すくい取った。


 おそるおそる、それを口に運ぶ。


 その瞬間。


 何の感情も映さなかったガラス玉のような瞳に、驚きと、戸惑いと、そして、生まれて初めて感じるであろう「甘くて、美味しい」という名の、小さな、確かな光が灯った。


 その日、心を閉ざした王子の世界に、ほんのわずかな亀裂が入った。それは、まだ誰にも気づかれない、静かで、しかし決定的な変化の始まりだった。

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