第十四話:王宮からの呼び出し
レオが弟子入りして、一ヶ月が過ぎた。
彼の成長は目覚ましかった。持ち前の真面目さと、料理への純粋な探究心で、俺が教えたことをスポンジのように吸収していく。今では、スープやパン作りはもちろん、簡単な前菜なら一人で任せられるようになっていた。
何より、彼の表情が全く変わった。初めて会った頃の、世を儚むような暗い瞳は消え、今では厨房に立つ喜びに満ちた、生き生きとした光を宿している。妹たちも時々店に顔を出すようになり、兄の作った料理を頬張っては、花のような笑顔を見せた。その光景は、『食堂ヒビキ』にとって、何よりの宝物だった。
店も、順調そのものだった。食戟での勝利は、最高の宣伝になった。王都の住人たちは、もはや俺の料理を「怪しげなもの」ではなく、「新しい時代の象徴」として受け入れ、連日、店の前には開店を待つ人々の長い列ができていた。
「ヒビキの奴、すっかり王都の人気者だな!」
「まあ、私の見立て通りだけどな!」
ポポとエリアーナは、店の特等席で、いつものように軽口を叩き合っている。そんな穏やかな日常が、ずっと続くかのように思われた、ある日のことだった。
店の扉が開き、重厚な鎧に身を包んだ、王宮の近衛騎士が入ってきた。店内の喧騒が一瞬にして静まり返る。
騎士は、俺の前に進み出ると、恭しく巻物を差し出した。
「料理人ヒビキ殿。国王陛下より、勅命である」
巻物を開くと、そこには流麗な文字で、こう記されていた。
『明朝、王城へ登城し、朕がため、料理を披露すべし』
「……ついに、来たか」
エリアーナが呟いた言葉は、俺の心の声を代弁していた。食戟の後、彼女から予言されていた、国王陛下からの呼び出し。断ることは許されない、絶対の命令だ。
翌朝。俺は、レオとポポを伴い、人生で初めて、王城の巨大な門をくぐった。聳え立つ白亜の城壁、磨き上げられた大理石の床、壁に飾られた勇壮な絵画。全てが、俺のいた世界とはかけ離れている。
「す……すごい……」
レオは、緊張で顔をこわばらせながら、周囲をキョロキョロと見回している。
案内されたのは、謁見の間ではなく、城の最も奥にある、王族専用の厨房だった。そこは、俺の店とは比べ物にならないほど巨大で、豪華絢爛な設備が整っていた。そして、その中央には、この国の頂点に立つ男が、普段着のようなラフな格好で佇んでいた。
「お前が、ヒビキか」
柔和な笑みを浮かべているが、その瞳の奥には、全てを見透かすような鋭い光が宿っている。彼が、この国の王、アルトリウス・フォン・エーテルディア。
「巷で噂の料理、朕にも味わわせてはくれまいか。テーマは、『朝餉』。朕が、一日の始まりに食すにふさわしい一皿を、ここで作ってみせよ」
王の言葉に、厨房に詰めていた宮廷料理人たちが、一斉に緊張した面持ちになる。これは、単なる食事の提供ではない。王が直々に、俺の腕を試そうとしているのだ。
俺は、王の前に進み出て、深く一礼した。
「御意。我が魂を込めて、最高の朝餉を献上いたします」
俺は、レオに指示を出し、慣れた手つきで調理を始めた。宮廷料理人たちが、俺の不可解な調理法――米を研ぎ、出汁を引き、味噌を溶く――を、遠巻きに、しかし食い入るように見つめている。
俺が作るのは、日本の食卓の原点。白く輝く炊き立てのご飯、豆腐とワカメの味噌汁、そして、絶妙な火加減で焼き上げた、塩鮭。この世界にはない食材は、似たもので代用し、俺の技術で再現した。
やがて、質素だが、完璧なバランスで整えられた「日本の朝食」が、王の前に差し出された。
王は、初めて見るその料理を、興味深そうに眺めている。そして、まず味噌汁を一口、口に運んだ。
その瞬間、鋭い光を宿していた王の瞳が、ふっと、優しく和らいだ。
「……温かいな」
王は、ただ一言、そう呟いた。それは、王としてではなく、一人の人間としての、偽らざる感想だった。彼は、ゆっくりと、そして実に美味そうに、一汁一菜を平らげていく。
食事を終えた王は、満足げなため息をつくと、俺に言った。
「ヒビキよ。お前に、我が息子の『食育』を任せたい」
「……食育、でございますか?」
「うむ。我が息子、第七王子は、生まれつき体が弱く、食が細い。どんな名医も、どんな高価な食材も、彼を健やかにすることはできなかった。だが、お前の料理には、人の心と体を、根源から癒す力がある」
王は、俺の肩に手を置いた。
「王子を救ってくれ。そうすれば、お前が望むものを、何でも与えよう」
それは、国王からの、料理人としてこれ以上ない栄誉であると同時に、失敗が許されない、あまりにも重い勅命だった。