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第十二話:最初の弟子

 『食堂ヒビキ』が、見習い募集の札を下げてから数日のこと。店の前には、開店を待つ客の行列とは別に、もう一つの人だかりができていた。


「俺を弟子にしてください! ギルドをクビになった腕利きです!」

「ヒビキ殿、私のパトロンになれば、貴族社会へのコネクションも思いのままですぞ!」

「料理って、なんだかカッコイイじゃん!」


 噂を聞きつけた我こそはという者たちが、店の前に殺到していたのだ。元ギルドの料理人、新しい流行りに乗ろうとする貴族の子息、ただの冷やかし。エリアーナが呆れ顔で人をさばき、俺は厨房からその様子を眺めていたが、心は晴れなかった。


 彼らの目には、野心や功名心はあっても、料理への愛情はなかった。


「次の方、どうぞ」


 エリアーナに促され、一人の着飾った貴族の青年が、ふんぞり返って俺の前に立った。


「私が君の最初の弟子になってやろう。我が家の名声をもってすれば、この店もさらに格が上がるというものだ」


 俺は何も言わず、足元にあった麻袋から、泥のついた芋を一つ取り出した。


「では、まずその芋の皮を剥いてください。そこに山積みになっている分、全て」

「はあ? 馬鹿にするな! 私がなぜ、下働きのような真似をせねばならんのだ!」


 青年は顔を真っ赤にして怒鳴り、ぷいと店を出て行ってしまった。俺は、静かにため息をつく。料理とは、地道で、泥臭い作業の積み重ねだ。それが理解できない人間に、俺の料理は作れない。


 その日の午後も、手応えのない面談は続いた。そんな中、俺はふと、人だかりの隅で、ずっとこちらを見ている一人の少年に気がついた。


 歳は14、5だろうか。着ているものはボロ切れ同然で、痩せこけている。彼は、弟子入りを志願するわけでもなく、ただじっと、店の入り口と、厨房から立ち上る湯気を、羨望の眼差しで見つめていた。その瞳は、空腹だけではない、何か別の渇望に満ちていた。


 閉店後。俺が野菜の切れ端などを入れた桶を裏口から運び出すと、そこに、あの少年がいた。彼は俺の姿に気づくと、ビクリと体を震わせ、隠そうとした何かを背中に隠した。それは、俺が捨てたはずの、野菜の皮やヘタだった。


 普通なら、盗人だと怒鳴りつける場面だろう。だが、俺は静かに尋ねた。


「それで、何を作るつもりなんだ?」


 少年は、怒鳴られると思っていたのか、おどおどと俺の顔を見上げる。やがて、観念したように、小さな声で答えた。


「……スープ、です。これでも、ちゃんと煮れば、少しは味が出るから……下の妹たちが、少しでもお腹いっぱいになれるように……」


 その言葉に、俺はハッとした。


 この少年――レオは、名声のためでも、金のためでもない。ただ、ささやかな食材で、大切な家族に、少しでも温かいものを食べさせてあげたい。その一心で、ここにいたのだ。


 料理の原点。俺がこの世界で、この村で、再確認したはずのものが、こんなところにあった。


 俺は厨房へ戻ると、泥のついていない、綺麗で丸々とした芋を一つ手に取り、レオの前に差し出した。


「そんな切れ端だけじゃ、美味いスープは作れない」

「……!」


 レオは、驚きに目を見開く。


「本当に美味いスープの作り方を、知りたくないか? 君の妹たちが、満面の笑みになるような、最高のスープの作り方を」


 俺の言葉に、レオの大きな瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。彼は、俺が差し出した芋を、まるで宝物のように両手で受け取ると、何度も、何度も、深く頭を下げた。


「中へ入れ。話はそれからだ」


 レオは、おずおずと、しかし確かな一歩で、光に満ちた『食堂ヒビキ』の厨房へと足を踏み入れた。興味津々といった様子で、ポポが彼の周りを飛び回っている。


 俺は、真新しいエプロンを一枚、彼に手渡した。


「ようこそ、俺の厨房へ。今日からお前が、俺の最初の弟子だ」

「……はいっ!」


 レオの、かすれているが、芯のある返事が、活気の戻った厨房に響いた。


 食の革命の、次なる一歩。それは、王侯貴族でも、腕利きの料理人でもなく、一人の名もなき少年と共に、今、静かに踏み出されたのだった。

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