第十話:判決、そして新しい時代の夜明け
「では、これより審査に入る!」
司会役の式部卿の声が、固唾をのんで見守る広場に響く。審査員は三人。王室魔術師団長、ドワーフの工匠ギルド長ギムレット、そして中立貴族の代表である老婦人だ。
まず、彼らの前に運ばれたのは、アントワーヌの『黄金の戴冠スフレ』だった。
「おお……なんと壮麗な……」
審査員たちは、その神々しいまでの見た目に感嘆の声を漏らす。スプーンを入れると、しゅわ、と軽やかな音を立て、中から湯気と共に甘く濃厚な香りが立ち上る。
一口食べた魔術師団長は、目を閉じて深く頷いた。
「完璧だ。グリフォンの卵の濃厚な風味を、寸分の隙もなく菓子として昇華させている。まさに王家に捧げられるべき、伝統の味そのものだ」
老婦人も微笑みを浮かべる。
「ええ、懐かしい味ですわ。幼い頃、お祝いの席でいただいた味と寸分違わない。これぞ歴史と格式の味です」
アントワーヌは、その評価に満足げな笑みを浮かべた。観衆も「やはりギルドの勝ちか」と頷き合っている。
唯一、ギムレットだけが、難しい顔で腕を組んだままだった。
「うめえのは認める。だが……それだけだ。知ってる味、想像通りの味だ」
そして、ついに俺の『茶碗蒸し』が審査員たちの前に運ばれた。
「……これは?」
そのあまりに素朴な見た目に、魔術師団長は怪訝な顔をする。老婦人も、期待外れといった様子で小さくため息をついた。アントワーヌは、もはや勝利を確信し、鼻で笑っている。
「まあ、食べてみてください」
俺の言葉に促され、三人は半信半疑で、器にレンゲを入れた。
その瞬間、審査員たちの表情が変わった。
レンゲの先に伝わる、信じられないほどの柔らかさ。まるで絹ごし豆腐のように、しかしそれ以上に繊細な感触。彼らは、恐る恐るそれを口に運んだ。
次の瞬間、三人の審査員の動きが、完全に止まった。
口の中に広がるのは、暴力的なまでの卵の旨味。しかし、それはスフレのように重くなく、どこまでも優しく、どこまでも温かい。昆布とキノコの出汁が、グリフォンの卵が持つ本来のポテンシャルを極限まで引き出し、その輪郭を際立たせている。それは、味の足し算ではなく、究極の引き算によって生まれた、奇跡の調和だった。
「な……んだ、これは……」
魔術師団長は、震える声で呟いた。
「卵の味が……これほどまでに深く、優しいとは……まるで、生命そのものを味わっているようだ……」
老婦人の目からは、はらはらと涙がこぼれ落ちていた。
「ああ……思い出しました。遠い昔、母が病の私に作ってくれた、滋養に満ちたスープの温かさを……この料理には……人の心に寄り添う、温もりがある……」
そして、ギムレットは、レンゲを置くと、天を仰いで大声で叫んだ!
「美味ああああああいっ! 美味すぎるぞ、小僧っ! なんだこれは! 初めてだ! 生まれて初めて、こんなモンを食った! これが料理か! これが、本当の『食事』なのか!」
彼の魂からの叫びは、広場全体を揺るがした。
観衆は、審査員たちのありえない反応に、ただ呆然としている。アントワーヌの顔からは、余裕の笑みが消え、信じられないといった表情で俺の料理を睨みつけていた。
やがて、審判の時が来た。
司会役の式部卿が、震える声で結果を告げる。
「しょ、勝者……『食堂ヒビキ』、ヒビキィィィィィッ!!」
一瞬の静寂の後、広場は爆発したような大歓声に包まれた。それは、単なる勝利を祝う声ではなかった。旧い権威が打ち破られ、新しい時代の幕開けを目の当たりにした、人々の歓喜の雄叫びだった。
ボルマンは、その場でへたり込み、アントワーヌは、自らの皿と俺の空になった器を交互に見つめながら、呆然と立ち尽くしている。
俺は、熱狂する観衆に向かって、深く一礼した。肩の上では、ポポが「やったな、ヒビキ!」と叫びながら、ぴょんぴょんと飛び跳ねている。
これは、ただの勝利ではない。
王都の、いや、この国の食の歴史が、今、確かに変わったのだ。食事が、ただの栄養補給や、権威の象徴ではなく、人々の心を満たし、幸せにするためのものであると、誰もが知った記念すべき日。
俺の異世界での本当の戦いは、まだ始まったばかりだった。




