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ことわざ先輩の腹積もり。  作者: 阿寒湖まりも


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7/10

7言め『魚心あれば水心』

私・一文(ひとふみ)安美(あみ)は、月曜のあの一件からずっと、

週末の言業(ことわざ)先輩とのお出かけのことばかり考えていた。


確かに最初は期待と興奮で胸が高鳴っていた。

でも時間が()つにつれて不安の方が大きくなってきて…。


「はぁ………。」

「もしも〜し。安美(あみ)っち、聞こえてる?」

「……は! ごめん、何か言った? (もとむ)ちゃん。」

「昼休みになったから一緒にご飯食べよって言ったの。」

「ああ、うん、ありがとう。今行くね!」


▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽


安美(あみ)っちは弁当派なんだねー」


聞耳(ききみみ)(もとむ)はアンパンを丸かじりしながら、

私のごくごく質素なお弁当について言及する。


「あー…、うん。まあお弁当の方が安上がりだからねー。」

「……もしかしてだけど、手作り?」

「え?うん、そうだけど。」

「うっそォ!? すっごぉい!! 自分で作れるんだ!!

 てっきり親とかに作ってもらってるのかと思ってた。」

「私は一応 一人暮らしだからねー。

 自分のことは自分でやらなきゃいけないし。」

「へー、何だか、ちゃんとしてるねー!

 自立してる人って感じ? (あこが)れちゃうな〜。」

「…そんな、全然すごいことじゃないよ。

 このお弁当だって冷凍食品ばっかだし…。

 …それに 私はそんなにしっかりしてないし。

 いつも誰かに頼ってばっかりだし、迷惑だって――」


そこまで言いかけたところで、

私のバッグが()()()()()大きく揺れる。


「ん? 今 何か音にしなかった?」

「――ううん。気の所為(せい)だよ。」

「? たしかに聞こえたんだけどな〜…」


そうだった。これからは自分を肯定するんだもん。

(あや)うくまた自分を否定するところだったよ。

教えてくれてありがとう、ダミー。


「――そういえば、さっきは何を考えてたのさ。」

「ああ、えっとね――」


安美(あみ)は事のあらましを聞耳(ききみみ)(もとむ)に打ち明ける。


言業(ことわざ)先輩にデートに誘われたぁ!?!?」

「シー!シーッ!! 声が大きいよ(もとむ)ちゃん!!!」

「おっとこりゃ失敬。でも良かったじゃん。

 二人の仲をぎゅーんと縮める絶好のチャンスだよ。」

「それは まぁ、そうなんだけど…。

 私、こういうお出かけは初めてで、

 どうしたらいいのか 分からなくて……。」

「なるほど。安美(あみ)っちは萎縮(いしゅく)しちゃってるんだね。

 まあ相手が相手だから気持ちは分からなくもないけど。」

「……どうしたらいいと思う?」

「そうだねー。うーーん…。

 でも今回のデートは安美(あみ)っちのためのものでしょ?

 言業(ことわざ)先輩は安美(あみ)っちを楽しませたいんじゃないの?

 今からそんなに重苦しく構えてたら、

 楽しめるもんも楽しめなくなっちゃうって。

 そんなに難しく考えなくてもいいんじゃない?」

「で、でも 身だしなみとか…」

「あー、まあそりゃ失礼にならないよう、

 最低限の心遣いは必要にはなるかもねー。

 でもまあ、あくまで最低限でいいのさ。

 デートプランも先輩が()ってるって話なんだし、

 今回は先輩の()()んで、思いっきり楽しんじゃいな!!」


▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽


――そして、デート前日の夜。


「うーん………」

「まァーだ迷ってんのかよォ!? もういいだろォ!!

 どっち着て行ったってたいして変わんねェって!!」


かれこれ数時間、明日の服選びに苦戦する私に、

ダミーは(あき)れたと言わんばかりに言う。


「いやまぁそうなんだけどさぁ……。」

「なんだァ。何がそんなに引っかかってんだ?」

(もとむ)ちゃんは楽しめばいいって言ってくれた。

 それはきっとそうなんだと思う。でもね、

 隣を並んで歩く以上、私は先輩に恥はかかせたくない。

 今は対等に見られなくてもいいから、せめて、

 唐揚げに()えられたレモンくらいにはなりたい。」

「要は『不快にならない程度の存在』ってことか?

 まったく、俺のご主人様は心配性だなァ。

 いいぜェ? とことん付き合ってやろうじゃんよォ。

 だって俺は、ご主人様のために作られたんだからな。」

「……ありがとう、ダミー。」

 

▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽


――そして、デート当日が訪れた。


時刻は4月19日午前9時15分。

バスに揺られながら、私は虚空(こくう)を見つめていた。


トートバッグから顔を出したダミーが私に問いかける。


「おいおい……。今からそんなんで大丈夫かァ?」

「ああ、うん。心配してくれてありがとう。

 ………ちょっと緊張しすぎて無理……吐きそう。」

「おいおいおいおい、大ピンチだなご主人様ァ!?

 今日は楽しむんだろ? ほらリラックス、リラックス。」

「でもやっぱり不安だよぉ……。」

「大丈夫だって、なんとかなるって!!

 ほら 今日は一段とかわいく仕上がったじゃねェか。

 よく似合ってるぜワンピース。自信持てよご主人様。」

「自信なんて、持てるわけがないよ……。

 今まで母親が買ってきた服しか着てなかったんだから。

 自分が選んだ服がダサかったらどうしようって。

 ごめんね、ダミー。頼りない主人でごめんね……。」


ご主人様が完全に()んじまった。

これじゃァ、変に(しか)っても逆効果だな。

ここはもう紡久(つむぐ)姐御(あねご)手腕(しゅわん)()けるしかねェ。

俺は下手(へた)に刺激しないようバッグに戻ろう。


『次は〜 終点 言葉(ことのは)駅前〜。

 お忘れ物のないようお気をつけください。』


「あ、もう()くみたい。」

気張(きば)れよ、ご主人様!」

「あ、ダミー! …バッグに戻っちゃった。」


バスを降りればそこは言葉(ことのは)駅。私の最寄(もよ)り駅だ。

電車通学の子たちは大半がここから通学してくるらしい。

周辺には多種多様な飲食店が配置されていて、

この駅から5分ほど歩くとショッピングモールがある。


『ショッピングモール・コトノハ』。

食事から娯楽まで何でもござれな大型複合施設。

今回言業(ことわざ)先輩が選んだデート場所だ。


先輩を待たせるのは大変(しの)びないので、

待ち合わせ時間よりも1時間早く来たつもりだったのだが、

そこには何故(なぜ)か、よく見慣れた顔があった。


「こ、言業(ことわざ)先輩!?」

安美(あみ)!? いくらなんでも早すぎないかい!?」

「それはこっちの台詞(セリフ)ですよ!!

 なんで1時間前にスタンバイしてるんですか!!」

「それは、君を1人待たせるのは(しの)びなかったからね。」

「……私も、先輩と同じ考えです。」

「なんじゃそりゃ。」

「「フフ……ハハハ!」」


絶妙な空気に耐えきれず、2人して思わず笑ってしまった。


「あー……はぁー……おかしい!フフ!」

「まったく君は……私の好意をなんだと……」

「えへへ…すみません!」


私は言業(ことわざ)先輩の姿をじっくり見る。

この人は やはり私服1つとっても完璧だ。

ロングスカートが特によく似合っていて、

改めて言業(ことわざ)先輩のスタイルの良さを実感させられた。


「服、とっても綺麗ですね。似合ってます。」

「そうかな?そういってもらえると嬉しいよ。

 なんせ今日は安美(あみ)とのお出かけだからね。

 思わず(とし)甲斐(がい)もなくはしゃいでしまったよ。」

「…言業(ことわざ)先輩って結構可愛いところありますよね。」

「なっ!? と、年上をあまりからかうんじゃない!!」

()めてるのにぃ…。」

「うぅ……嬉しい……けど、気恥ずかしいんだ!

 ……君こそ、似合っているよ。とても可愛らしい。」

「!? お、お()めにあずかり光栄です…」

「「・・・・・・。」」


お互いに気まずい空気が流れる。

そして私たちは沈黙したまま歩きだした。


「…あの、今日はお誘いいただきありがとうございます。」

「そんなに(かしこ)まらなくていいよ。

 これは私が君に(つぐな)うために(もう)けた()なんだ。

 安美(あみ)のためにいろいろと考えてきたから、

 今日はぜひとも心おきなく楽しんでおくれ。」

「ありがとうございます、言業(ことわざ)先輩!」

「……うーん。前から思っていたのだが、

 やはり名字呼びというのは(かた)(くる)しく感じるね。

 (ため)しに私を『紡久(つむぐ)』と呼んでみてくれないかい?」

「え!? えっと………。紡久(つむぐ)―――先輩…。」

「アハハ! まだ呼び捨ては難しいか!」

「ちょっとー! 笑わないでくださいよ!」

「ハハハハ! いやぁー、ごめんごめん。

 はにかむ君の姿が可愛くて、ついつい……。」

「なっ……!?」


紡久(つむぐ)安美(あみ)の手をそっと取る。


「さあ、楽しいお出かけの始まりだ。

 私がリードする。ほら、一緒に行こう、安美(あみ)!」

「え!?? は、はい……!」


▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽


始めに来たのは服屋『オタカイノ』だ。

紡久(つむぐ)先輩は普段この店で服を購入しているらしい。

雰囲気がオシャレでいい店とは思うけど……。


「(値段がたっっっかい……!)」


一介の高校生がおいそれと出せる金額ではない。

せっかくいいデザインの服を見つけても、

値札を見てギョッとし、そっと棚に戻すだけ。


分かってるよ…!! どう考えても私は場違いだって!!

紡久(つむぐ)先輩みたいな人じゃないと釣り合わない。

私みたいなファッションレベル1のザコは、

服屋を見て歩くだけでもスリップダメージで死に至る!!


安美(あみ)ー。ちょっと来てくれないか。」


私が切歯扼腕(せっしやくわん)していると、紡久(つむぐ)先輩に呼ばれる。


「はーい どうしたんですか?」

「こういうの、君に似合うと思うんだが、どうだろう。」

「へぇ〜!! いいですね!おいくらですか?」

「▓▓▓▓円だね!」

「へ、へぇ〜…(うぉっ、すっごい高い!!!)」


挙動不審になる私を見て、紡久(つむぐ)先輩は微笑(ほほえ)み、

そのままレジへと持っていく。


「すみません、これください。」

「ちょちょちょ何ナチュラルに会計してるんですか!!」

「何って……君へのプレゼントだよ。」

「う、嬉しいですけど、お金大丈夫ですか!?!?」

「つらたんたん退治の報酬があるから大丈夫だよ。

 それより、さっき躊躇(ためら)って戻した服。

 それも気に入ったのだろう? 持っておいで。

 まとめて私が会計してしまうから。」

「(こ、この人、私のことよく見てるなぁ…!!)」


▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽


「さて、会計も済んだことだし、次はどこへ行こうか。」

「あ、自分の荷物はさすがに自分で持ちますよ?」

「いいって。私が安美(あみ)のためにしたいんだ。」

「そ、そうですか…」


手を(つな)ぎ、私たちは再び歩き始める。


「高校はどうだい? 授業にはついて行けそうかい?」

「そうですねー、数学がちょっと難しいです……」

「数学かー。まあ初めは誰だってそうさ。」

「先輩もですか?」

「ん? ああ、もちろん。私も初めはとても苦手だったさ。

 でも根気強く取り組んで、徐々(じょじょ)に克服していったんだ。」

「すごいですね、先輩は。」

「君こそ、言葉(ことのは)高校に入学できたということは、

 相当の努力を積み重ねてきたのだろう? すごいことさ。」

「いや……、今の私は怠惰(たいだ)そのものですよ。

 休日にはマンガやゲーム三昧(ざんまい)で1日が終わりますし。」

「……ふむ。君はマンガやゲームが好きなのか。」

「はい。受験の時はずっと我慢してまして……。

 その反動で、今はもうめちゃくちゃやってます。」

「ならいいじゃないか!

 今までできなかった分、今は思いっきりやればいい。

 君はそれだけたくさん頑張ってきたんだ。

 もし君の“好き”を(とが)める(やから)がいたならば、

 遠慮せず私を呼ぶと良い。折檻(せっかん)してやろう。」

「あ、ありがとうございます…。」


紡久(つむぐ)先輩は、本当に頼りになる人だ。

私の手を握る(てのひら)はこんなに温かく、頼もしい。

だが私は知っている。彼女には弱い面もある。

彼女の家でみた、彼女の心の弱い部分……。


息を飲むほど綺麗で、繊細(せんさい)で、

だけどガラス細工(ざいく)のように(もろ)い、先輩の中身。


私は、彼女に頼りきりの存在にはなりたくない。

どうせなら、彼女に守られるだけじゃなく、

いずれ彼女を守れる存在――対等な存在になりたい。


「ねぇ、先輩。」


私は紡久(つむぐ)先輩の手を引く。


「ちょっと、早めの休憩にしませんか?」

「……フフ。ああ、分かった。そうしようか!」


▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽


イタリアンレストラン『ガルデニア』。

その格安な値段から、学生からの人気が高いチェーン店だ。

今日はまだ早い時間だったおかげで、

ドリンクバーに近い席に座ることができた。


「何か取ってくるよ。安美(あみ)は何が飲みたい?」

「あ、ありがとうございます!

 私はアイスティーでお願いします!!」

「分かった。」


「(紡久(つむぐ)先輩は気遣い上手だなぁ…。)」

きっと将来先輩と結婚する人は相当(しあわ)せ者だろう。

彼女は人格者で、容姿にも(すぐ)れていて、

人望も厚く、そして、一緒に居ると何だかホッとする。

私とは大違いの、手の届くはずのない『高嶺(たかね)の花』。


そんな彼女と私が今お茶できているのは、

『つらたんたん』という非日常的な存在がもたらした、

まさに偶然の賜物(たまもの)で、私にはもったいなさすぎるものだ。


「……そんなに難しい顔をしてどうしたんだい?」

「いえ……。とても幸せだなあ、と。」

「そ、そういう(ふう)には見えないのだがな……」


安美(あみ)は、スプーンでドリアを(すく)いながら、

その不満を紡久(つむぐ)に打ち明ける。


「なんだか、私が『言葉贄(ことのはのにえ)』じゃなかったら、

 こんな(しあわ)せを味わえなかったと思うと複雑なんです。」

「……なるほど、ね。君はそんなことを考えていたのか。」

「そ、そんなことってなんですか!! こっちは真剣に――」


紡久(つむぐ)はクルクルとフォークにパスタを巻き付け、

安美(あみ)の口へと素早く放り込んだ。


「!? ――美味(おい)しい……!!」

「『人間万事塞翁(さいおう)が馬』というだろう?

 要は(こう)不幸(ふこう)表裏一体(ひょうりいったい)の関係なんだ。

 (しあわ)せは時に不幸(ふしあわ)せを()み、不幸(ふしあわ)せは時に(しあわ)せを()む。

 安美(あみ)の気持ちは分かるよ。だが私はこう考える。

 『この幸福は、不幸(ふこう)を乗り越えたご褒美(ほうび)だ』ってね。」

「……本当に、先輩には(かな)わないですね。」


トマトソースの甘酸(あまず)っぱさが口いっぱいに飽和する。

先輩から食べさせてもらったパスタは、

不思議といつものパスタよりも美味しく感じた。


「君は本当にパスタが好きなんだな。」

「……? どうしてそう思うんですか?」

「見ればすぐに分かるよ。目線さ。

 君は私と話をしているはずなのに、

 時折 チラチラとパスタに目移りしていた。」

「そ、そんなに表に出てました!? 恥ずかしい…!!」


顔から火が噴き出しそうなほど身体が熱くなる。

今日は粗相をしないって決めてたのに〜!!


「す、すまない……。そんなに気にするなんて。」

「別にいいですよ……。事実なんで。」

「――でも、そんなに好きだったのなら、

 どうして初めからパスタを頼まなかったんだい?」

「……私、先輩みたいに上手く食べれないので。」

「?」


紡久(つむぐ)先輩は首を(かし)げる。


「今日は紡久(つむぐ)先輩と二人きりのお出かけだったから、

 お行儀(ぎょうぎ)悪いこととか、失礼なこととか、

 先輩に恥を()かせるようなことしたくなかったんです!!」

「私の……ため?」

「……あ!! 違います!! 違うんです!!

 先輩にこんな恩着せがましいことを

 言いたかったわけではなくてぇっ……!!」

「…フフッ ああ。分かっているとも。」


紡久(つむぐ)相好(そうごう)を崩し、安美(あみ)が慌てふためく様子を眺める。


「私は君を楽しませるつもりが、

 逆に君に気を遣わせてしまっていたんだね。すまない。」

「い、いえ…! 先輩が謝ることではないですよ!!

 元はと言えば私が勝手にやったことなんですし……!!」

「いや。これは私の過失だよ。

 君が私の恥? そんなこと絶対に無いさ。

 君は私の特別なんだ。何も気にすることはない。

 遠慮なんてしなくていいし、君は好きにすればいい。」

「で、でも――!」


反論を許さないと言わんばかりに、

紡久(つむぐ)はテーブルの上の紙ナプキンを1枚取り、

安美(あみ)の口元に付いてソースを丁重に(ぬぐ)う。


「それに私はね、ありのままの安美(あみ)が見たいんだ。

 私は、美味(おい)しそうに食べる君の方が好きだよ。」

「〜〜〜〜ッ!?!?!? か、からかわないでください!!」

「そ、そんなつもりは無かったんだが……」


急になんてことを言い出すんだか。まったく。

……でも、嫌な感じはしなかったな。


▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽


「――本当に良かったのかい?」

「いいんですよ、()(かん)で。

 (おご)ってもらってばかりじゃ申し訳ないですから。」

「そうか…。すまないね。」

「いえいえ。」


紡久(つむぐ)が最後に選んだのは、

ショッピングモールに併設された水族館だった。

安美(あみ)紡久(つむぐ)からチケットを受け取る。

その手際の良さに感心しながら、二人は奥へ進む。


「水族館なんて小学生ぶりですよ。」


集団で(たわむ)れる熱帯魚を(なが)めながら、安美(あみ)(つぶや)く。


「あれ、そうなのかい? ……なら、私と一緒だ。」

「え? 先輩もそうなんですか?」

「ああ。昔1度だけ来たんだよ。ここに。

 あの父と、そして、……母と、一緒にね。」


紡久(つむぐ)()りし日の思い出を(しの)び、

そして悠々(ゆうゆう)と泳ぐ魚たちから目を()らすように顔を()せた。


「私の父は、正直おかしな人だっただろう?」

「……えぇ、まあ。」


否定はしない。良くも悪くも『正しい』人。

でも、その『正しさ』に息が詰まる思いがした。


「昔は、ああじゃなかったはずなんだ。

 確か私が、まだ小学2年生だった頃かな。

 母が死んでから、あの人は変わってしまったんだ。」

「…………え。」


▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽


言業(ことわざ)勝陽(かつよう)には妻がいた。

政略結婚だったが、夫婦仲は非常に良かったらしい。

合理的な勝陽(かつよう)と、人情に厚い妻。

互いの弱点を(おぎな)い合いながら、仲睦(なかむつ)まじく暮らしていた。


だがある日、突然別れは訪れた。

飽食期のつらたんたんが現実世界に降臨したのだ。


飽食期のつらたんたんは災害級の被害をもたらす。

勝陽(かつよう)とその妻はすぐに現地へと向かった。

市街地という複雑な地形での、人を守りながらの戦闘は、

非常に苛烈(かれつ)を極めるものだったと考えられる。


その戦い果てで、彼は妻を失くしたのだと()う。

勝陽(かつよう)は多くは語らなかったため、

(いま)だそこで何があったのかは何も分からないまま。

ただ1つ分かるのは、そこが彼の転換点だったことだけだ。


▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽


「思い返してみれば、あの日から、

 私は父の笑顔を1度も見ていない気がする。

 そうは見えなかったかもしれないけれど、

 かつての父は、本当はもっとよく笑う人だったんだ。」

「え、そうだったんですか?」

「ああ。……きっと今の父は、

 私たちに後悔してほしくないのだろう。

 だから私たちが失敗しないようにレールを引くんだ。

 悪気がないのは承知の上だが、少しだけ、窮屈だね。」


そこまで言い切ったところで、

紡久(つむぐ)(あわ)てて取り(つくろ)う。


「ああ!すまない、退屈で暗い話をしてしまって。

 少しセンチメンタルな気分になってしまってね。」

「いえ、いいんです。先輩の気持ちはよく分かります。

 私の親も、きっとそういうタイプでしたから。」

「! ………そうか。」


子どもを思うが故に、子どもを(しば)る。

親も人間なんだ。加減を間違えることもあるのだろう。

私の母も、本当は私のことを大切に思っていた。

私はそう信じたいと、切に思う。


▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽


「他に無いんですか? 先輩の話。」

「ないわけではないが、聞いてて退屈すると思うよ?」

「そんなことは無いですよ。先輩の話なんですから。

 私、先輩のことなら何だって聞きたいと思いますよ。」

「―――ッ!? き、君こそ私をからかうんじゃない!!」

「先輩は、私がふざけているように見えますか?」


振り返り問う安美(あみ)に、紡久(つむぐ)はバツが悪そうに髪を(いじ)る。


「見えないな。まったく 君はズルい人だよ。

 ……決して笑わないと約束してくれるかい?」

「笑いませんよ。」


紡久(つむぐ)は重い口を開く。


「この先に大水槽があるのは知っているね?」

「ええ、知っていますよ。」

「寝る前にいつも思い出すんだ。

 あの日私がここで見た、この大水槽のことを。」


長い通路を抜けた先にある、1番大きな水槽。

小さい魚も大きい魚も皆 ()れを()して、

その銀色の(うろこ)(きら)めかせながら泳いでいる。


「……きれい。」


目を輝かせる安美(あみ)の横顔を見て、

紡久(つむぐ)はようやく大水槽へと目を向けた。


綺麗(きれい)だよね。私もそう思うよ。

 アクリルガラスで(へだ)てられた(わず)かな空間で、

 魚たちはこんなにも楽しそうに舞い踊っている。

 私は子供ながらに(うらや)ましく思っていたものだよ。」

「……先輩に『(うらや)ましい』なんて感情あるんですね。」

幻滅(げんめつ)したかい?」

「安心しました。先輩も1人の人間なんだなぁって。」

「……そうだね。私は1人の人間だ。」


魚群が照明の光を(さえぎ)るように水面下を通過する。


「…この(おびただ)しい数の魚を見ていると、

 自分は本当にちっぽけな存在なんだと思わされるんだ。

 初めはそんなこと思いもしていなかったはずなのに、

 日を()る内に、私の中で水槽の意味が変化していくんだ。

 そして、ある1つの考えが頭を()ぎったんだ。」


紡久(つむぐ)(ひとみ)は大きな魚群を(とら)えていた。


「もしこの世界が1つの水槽なのだとすれば、

 私は数ある魚の1匹にすぎないのではないかと。

 絶えず自由を求めて藻掻(もが)いて、それでも年を取って、

 いずれは死んで、『入れ替え』によって、

 その役割を別の誰かに取って代わられてしまう。

 まるで自分の()(すえ)を見ているように思えて、

 どうしようもなく目を(そむ)けたくなってしまう。」


彼女の横顔は確かな(うれ)いを()びていた。

ツンとつつけば割れてしまいそうな(はかな)さがあった。


「……何を言ってるのだろうね、私は。

 すまない、安美(あみ)。今言ったことは忘れて――」

「忘れませんよ。」


安美(あみ)紡久(つむぐ)の手をより強く(にぎ)った。

紡久(つむぐ)は思わず安美(あみ)と目を合わせる。


貴女(あなた)がただの魚だというのなら、

 私だってただの魚です。皆が皆、ただの魚なんです。

 たしかに水族館の魚は死んだら入れ替えられます。

 でもそれは『人を楽しませる』という役割を、

 生涯(しょうがい)を通して 自分のやり方で完遂した結果なんです。

 誰一匹としてその代わりをできるものはいません。

 たとえ同種の個体はいても、同一個体はいないんです。

 誰もが皆、唯一無二のオンリーワンなんですよ!!

 大丈夫です。もし『入れ替え』の日が来ても私は、

 紡久(つむぐ)先輩を私の“1番”としてずっと覚えていてあげます。

 ほら。これでもう嫌じゃなくなくなりましたよね!」

「―――ああ、そうだね。」


安美(あみ)の言葉は、いとも容易(たやす)く私の悪印象を払拭(ふっしょく)してくれた。

私の心は今、こんなにも(こころよ)い温かさで満たされている。


「――綺麗(きれい)だ。」


安美(あみ)なら私のすべてを受け止めてくれるのではないか。

そんな身勝手な妄想を(いだ)くほどに、私は熱に(おぼ)れていた。


「ねぇ、安美(あみ)。1枚だけ一緒に写真()っていかないか?」

「えぇ……写真に(うつ)るの苦手なんですけど……」

「お願い!1回だけ!1回だけだから!!」

「わ、分かりましたよ。しょうがないですね…」


やっぱり、この人が何を考えているのかは分からない。


▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽


やがて私たちはお土産(みやげ)コーナーへと辿(たど)り着いた。


「少し見ていこうか」

「はい!」


()いぐるみ、ボールペン、フィギュアなど、

色々な種類のグッズが並べられている中、

あるキーホルダーが、私の目に止まった。


「それが気になるのかい?」

「うわぁびっくりした!! 驚かせないで下さいよ 先輩。

 そっちの(たな)はもう見終わっちゃったんですか?」

「まぁね。…それはクラゲのキーホルダーかい?」

「はい! なかなか可愛いらしいデザインだったので。」

「ふむ……」


紡久(つむぐ)(まゆ)を寄せてクラゲと(にら)めっこする。


「めっちゃ凝視(ぎょうし)してますけどどうしたんですか?

 もしかして……あんまり好きじゃない感じですか?」

「ああ、いや。私は昔クラゲに刺されたことがあってね。

 心肺停止で皆がてんやわんやになったんだ。」

「笑顔で言うことじゃないですよね!?!?」


紡久(つむぐ)の衝撃のカミングアウトに、

安美(あみ)驚愕(きょうがく)せざるを得なかった。


「それって大丈夫だったんですか……?」

「ウチは(ことわざ)生業(なりわい)としている家系なんだ。

 死人を生き返らせること以外なら大抵なんとかなるさ。

 あの時だって、(まこと)(にい)が私を救けてくれたんだ。」

「すごい人なんですね……(まこと)さんって。」

「ああ。自慢の兄さ。」


紡久(つむぐ)先輩が(ほこ)らしそうに笑う。

そういえば、前に来人(らいと)さんもベタ()めしていたな。

いつか、直接会ってみたいな。


「ねぇ、安美(あみ)。もし良かったらなんだが。

 そのクラゲのキーホルダー、お(そろ)いで買わないかい?」

「お(そろ)い!?!?!?」


安美(あみ)素頓狂(すっとんきょう)な奇声を上げる。


「なぁに、ちょっとした記念だよ。

 安美(あみ)と水族館に来たっていう(あかし)がほしいんだ。」

「……それってさっきの写真じゃダメなんですか?」

「あれは……。なんていうか……、

 1枚くらい、君の写真を持っていたくて……。

 って!!! 私に何を言わせるんだ!! いいから買うよ!!」

「は、はい……。」


結局 私は先輩の勢いに圧倒されるがまま買い物を済ませた。

私は白いクラゲを、先輩は黒いクラゲを購入した。


買ったものは仕方ない。うん。仕方ない。

帰ったら学校のカバンにでも付けてやるとしよう。


▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽


そして私たちはショッピングモールの出口へ向かった。

他愛(たわい)もない話をしながら、二人で歩幅(ほはば)を合わせて歩いた。

すると途中で『制服専門店はっとり』の前を通りすがった。


「あ、ここ。」

「おや、安美(あみ)もここで制服を買ったのかい。」

「はい。……ということは先輩もここで?」

「ああ。私も一昨年(おととし)ここで購入したんだ。

 言葉(ことのは)高校の制服を買える店は2つあるんだが――」


楽しそうに出口へ向かう二人を尻目に、

虎のように黄色い髪の少女が制服屋を訪れる。


「おや、時間通りだね。届いているよ。

 ほら、これがご注文の品――言葉(ことのは)高校の制服だ。」

「おおきに。」


少女がカラッと笑って代金と制服を交換する。


「―にしても大変だねぇ。こんな時期に転入だなんて。」

「仕事の都合やからしゃあないやん。

 まあ しっかりと勉学に(はげ)みますさかい。

 心配せんといて〜な。ほんじゃあ、もう行くわ。」

「ああ。気をつけてな。」


少女は()ける。

彼女が招き入れるのは、果たして福か(わざわい)か。

私の知らないところで、運命の歯車は静かに回り続ける。

☆オマケ

このコーナーでは、作中で使われた(ことわざ)の意味や『使われ方』について解説を行います。


魚心(うおごころ)あれば水心(みずごころ)

今回のサブタイ。『相手に歩み寄れば、相手もそれに応えてくれる』という、人間関係における対応を表す(ことわざ)。相手に好意を示したのなら、相手も相応の好意を返してくれる。それは逆も(しか)り。


高嶺(たかね)の花

『遠くから眺めるだけの、決して手の届くことのない(あこが)れの存在』を表す(ことわざ)。ラブコメでよく使われがち。


③人間万事塞翁(さいおう)が馬

『人生の(こう)不幸(ふこう)は非常に変化しやすく、予想のしようがないため、その時々で一喜(いっき)一憂(いちゆう)するのではなく、冷静に構えた方が良い』という故事成語。一見不幸(ふこう)に思える事柄も、時間を置いてみれば幸福の前触れかもしれない。

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