3言め『雨降って地固まる』
ここは、『観念世界』。
負の感情が極限まで高まった時、
『つらたんたん』が産み落とされる場所。
『観念世界』はつらたんたんの特質次第で、
多種多様な変化を遂げ、1つとして同じものは無い。
今回、あのサメ型のつらたんたんの『観念世界』は、
呼吸はできるが、まるで水の中のように重たい空気と、
途中で噛み千切られたような痕のある赤い紐。
この2つの要素で構成された膨大な空間だ。
視界は、クリアとはお世辞でも言い難い。
交錯する無数の紐と暗闇のせいで、
穴から漏れ出す光を頼りに周囲を見るのが精一杯だ。
今はとにかく明かりが欲しい。
『観念世界』に入った今なら、あれが使える。
「〝闇夜の提灯〟」
言業紡久の周囲に幾ばくかの提灯が現れ、
その光が辺りの闇を退け、十分な視界をもたらす。
「よし、これなら遠くまで見え――」
目の前に映ったのは、ギョロっとしたサメの目玉。
想像よりも遥か近くにいたことに驚きを隠せない。
紡久は声にならない叫びを上げ、
サメの目玉に提灯を1つ投げつけて燃やす。
「オアアアアア!!!」
サメ型のつらたんたんは眼球が熔解する痛みに悶絶し、鼓膜が張り裂けそうなほど絶叫する。
次の瞬間、言業紡久の周りに無数のハサミやカッターが出現する。
「(しまっ――)」
「ゼッコーダアアアァァ!!!」
それらの鋭利な文房具たちが小刻みに震えた後、
一斉に言業紡久の腹部に照準を合わせる。
判断を誤った。死ぬ。そう思った次の瞬間、
それらは高速で動く何かによって全て叩き落とされた。
「お嬢様、気持ちはわかりますが、
もう少し冷静に行動なさってはいかがかと。」
「ぐうの音もでない。ありがとうございます、備さん。」
榑依備の周りに大量のハサミが現れるが、
彼は即座に全て叩き落とし、意に介さず話を続ける。
「お嬢様は少々先走りすぎるところがあります。
おまけに眼前の事象に夢中で視野狭窄です。
いつまでもそのような様子のままでは、
まだまだお兄様やお姉様には遠く及びませんよ。」
「まったく耳が痛いばかりだ。…切り替える。」
冷静に。冷静に。
「ゼエ……ゼエ………。」
「最愛。遅いですよ。」
「Outrageous。おじい様が速すぎるんです。」
続いて、榑依最愛が現着する。
「ひとまず、私と最愛であのサメを足止めしましょう。
お嬢様は呼吸を整えて、態勢を立て直して下さい。」
「はい!」
「ちょ……おじい様!? 私の意見は!?」
さあ、よく観察するんだ言業紡久。
己が使命を果たせ。
腐っても言業家の血筋だと示してみせろ。
私にできることは、それしかないだろう。
集中!
つらたんたんの生み出す『観念世界』には、
それが何を司っているのかが顕著に現れる。
また、つらたんたん自体の言動も貴重なヒントだ。
そこから大方の能力と対策が見いだせる。
サメ、息苦しく重たい空気、千切られた赤い紐、ハサミ、カッター、「ダイッキライダー」、「ゼッコウダー」。
小さい1つ1つの要素を、1本の紐のように束ねる。
言葉と言葉を繋いで、合わせて、紡ぐ。
「……整いました。」
「その心は?」
相手を傷つけたくなるほどの怒りと、
相手を傷つけてしまったことに対する後悔、
そして、失われてもらったものに対する悲しみ。
それらの負の感情によって生まれたつらたんたん。
「これは、『仲違い』のつらたんたんだ。」
不可解に思えたすべてに合点がいった。
何故あのタイミングで現実世界に現れたのか。
そして、何故私や備さんではなく安美を攫ったのか。
「Understand。素晴らしい考察です、紡久。
それで、ここからどう巻き返すおつもりですか。」
「速くなるあれを使う。反動で動けなくなるから、
後処理を任せてもいいだろうか?」
「構いませんよ。」「Of course。」
言業紡久は大きく息を吸い込む。
「〝拙速は巧遅に如かず〟」
その効果は、1分間の超人的スピード。
能力者本人の紡久からは周囲が遅く見え、
逆に周囲からは紡久が高速移動しているように見える。
「リエーーーン!!!」
「!」
ハサミ、カッターが言業紡久の四方八方を取り囲む。
が、今の紡久からすれば、蝸牛のように鈍い。
紡久は腕や足でそれらを蹴散らし、
一直線に『仲違い』のつらたんたんの元へ向かう。
「コッチニクルナァァァァァ!!!」
「断る。私は、彼女に謝らなければならないことがあるんだ。」
つらたんたんは言業紡久を近づけさせまいと、
その巨体を大きく揺らしながらちょこまかと逃げ回る。
「待て、そう簡単には逃さ――」
言業紡久の真横を、何かが通過する。
―――一文安美だ。
「な、何!?」
「ハハハハハハハハ!」
気を失って無防備な一文安美の周囲に、
先程までの比ではないほどの刃物が出現する。
「―――ッ!!」
防御系の諺の発動……いや遠すぎる。
備さんと最愛は……駄目だ間に合わない。
今からつらたんたんを倒したら間に合うか?
いや、仮に生成された武器が残るタイプだった場合、
取り返しのつかないことになる。
どうしよう。どうしよう。どうしよう。
ああ……クソッ。
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「――あれ。言業…先輩………?」
目を開くと、今1番見たくない美顔がそこにあった。
顔に、ぽたりぽたりと生温かい液体が垂れた。
「え………」
「良かったよ… 君が無事で…」
浅く弱々しい呼吸音と共に、かすれかすれの声で、
私の無事を心底安心したように、笑顔で言った。
「え……あ………え?」
私は状況がよく飲み込めずに茫然としていた。
頭に垂れ落ちたそれが、血であること。
それが言業紡久のものであるということ。
それを理解するためにかなりの時間を要した。
「え……なんで。何で!?
どうして!? 嫌!! 言業先輩!!!」
「(あぁ…違う。そんなつもりじゃなかった。
君にそんな顔をさせたくて助けたんじゃないのに。)」
そうだ。そうだった。
どうして忘れていたんだろう。
私がことだマスターになりたかったのは――
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――人の笑う顔が好きだったからだ。
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それを奪われるのが、すごく耐え難かったから。
だから、それを守りたいと思ったのが始まりだった。
「どうしよう……傷が……」
言業先輩の全身に刃物が突き刺さっている。
だが抱きかかえられている私には傷1つない。
そこから言業先輩が私を庇ったと理解するのは、
そう難しいことではなかった。
「なんで…!! どうして――」
言業先輩がぎゅっと私を抱き締める。
「(情けない。後悔ばかりの人生だった。
備さん、迷惑ばかりかけてごめんなさい。
最愛、いつも私を助けてくれてありがとう。
…そして、安美。
しつこく追いかけ回して申し訳なかった。
ようやく目が冷めたよ。…もう遅すぎたけどね。
…ああ、反動で身体が重くなってきた。眠い。)」
「先輩! 言業先輩!! お願い!! 死なないで!!
何でもするから! 死なないで!!!」
「(すまない………皆。)」
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目の前が真っ暗になった。
ここが黄泉の世界なのだろうか。
ということは、私は死んだのだろうか。
「汝はまだ死んでいない。」
「……誰だ。」
そこには1人だけ人間が居た。
……いや、本当に人間か? 妙な胸騒ぎがする。
白い髪、白い肌、白い着物を持った、
男とも女とも言えぬ中性的な見た目の者。
手に持った真っ赤なりんごを回して遊んでいる。
「余は、人語で“神”と形容される者だ。」
「これはまた笑えない冗談だな。」
得体のしれないこれがもし本当に“神”ならば、
何故私はここへ呼ばれたのだろうか。
「気になるか。ここに呼ばれた理由が。」
「(心を読まれた!?)」
「簡単な話。汝は一文安美に近づいた。
余が来たるべき災厄に備えて用意した彼女に。」
「(来たるべき災厄……?)」
「まあ説明するには意識の覚醒まで時間がない。
汝とはそう遠くないうちに相見えることになるだろう。
それまで、どうか彼女のことを守ってやってくれ。」
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「!」
あれは………夢?
だがそれにしてはやけに現実味があった…。
それになんだこの感じは。
先程までの瀕死の状態とは全然違う。
全身から力が溢れてくる感じ。
「よくも!よくもお嬢様ォォォォ!!
キィィィエエエェェェェェェェェェェ!!!」
「Inform。おじい様。大変です。」
「お嬢様の死以上に大変なことがあってたまるかァァ!!」
「お嬢様が生き返りました。」
「大変だアアアアァァァァァァァ!?!?」
Inclusion。一文安美の言霊が増大し、
それが言業紡久に流れていっている。
「あの少女は一体何者……!?」
身体から痛みが引いていく。傷が塞がっていく。
「…ありがとう、安美。もう大丈夫だよ。」
「……え?」
「君のおかげで、生き返った。」
「……???」
一文安美は脳の処理が追いつかずショートした。
だが「言業紡久が死ななかった」という事実に安堵し、
今になってようやく涙が溢れ落ちた。
「良かったぁ…っ。」
「な、何も泣かなくたっていいだろう。」
「泣きますよー私を庇って死ぬとこだったんですから!!」
言業紡久は安美の頭を軽く撫でる。
「心配してくれてありがとう。」
「……はい!」
ああ、温かいなあ。人ってこんなに温かかったっけ。
人に抱き締められるって、こんなに気持ちいいんだ。
私は、いつからこうしてもらっていなかったんだろう。
手放したくないなあ。……だからこそ。
「安美。そこでしかと見ていてくれ。
生まれ変わったこの私。言業紡久の初陣を。」
自嘲を捨てろ。諦念を捨てろ。羨望を捨てろ。
今の私は、これまでの私とは違う。
世のため人のため前線に立ち戦う1人の戦士だ。
「備さん!最愛! 安美をお願いします!」
「はい!」「Sure!」
2人が安美と合流したのを確認し、
言業紡久はつらたんたんに突っ込む。
そして、鼻に強烈な一撃をおみまいする。
「ハギャァァァァアアアア!!!」
「お前は安美を拉致した上、殺そうとした。」
「キョ?」
「覚悟は出来てるよな!?!?」
つらたんたんは言業紡久に恐れをなし逃亡する。
天井をぶち破り、今まさに現実世界に逃れようとしている。
「往生際の悪いサメだ。
だがしかし、ここでみすみす見逃すつもりは毛頭ない。」
言業紡久は大きく息を吸う。
その呼吸音は重々しく、風を切るように鋭い。
「〝天網恢恢〟」
言業紡久の目の前に1本の光の刀が出現する。
彼女はそれを引き抜き、刀身を少し露出させる。
「〝疎にして漏らさず〟」
唱え終わると同時に刀を納める。
すると、つらたんたんの周囲に無数の刀が現れ、
あっという間にそれを串刺しにし、
つらたんたんは炭となって消失した。
「やったか……」
戦いを終えた瞬間、光の刀は塵となって消え、
同時に言業紡久の肉体にどっと疲れが押し寄せる。
「う……ぐ……っ。
やはり、並の諺とは力の消費量が違うな。」
「お嬢様。お疲れ様でした。」
「備さん。
先程は助けてくれてありがとうございました。
安美は無事ですか?」
「はい。相当お疲れのようで、眠ってしまわれました。
最愛が先に上へ引き揚げました。
私たちも早く向かうとしましょう。」
▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽
こうして、私・一文安美の長い長い一週間は、
『仲違い』のつらたんたんとの激戦により幕を閉じました。
私と言業先輩の『仲違い』から始まって、
『雨降って地固まる』形で終わったのは、
少々皮肉な感じがしますが……。
さて、この一週間の終幕は、同時に、
新たな戦いの幕開けを意味していました。
私たちの出会いにより、
止まっていた運命の歯車が回りだし、
事態は思わぬ方向へと動き出しました。
「ん…………んん…っ。」
そんなことはつゆほども知らず、
この頃の私はすやすやと呑気に眠りこくっていました。
「んあ?」
私が妙な寝苦しさで目覚め、ふと横を見ると、
そこには、パジャマ姿の言業紡久が居ました。
「きゃあああああああっ!!!!!」
☆オマケ☆
「こ、言業紡久です。」
「〝神〟じゃ。」
「このコーナーでは、作中で使われたことわざの
意味や『使われ方』を解説していきます。」
「それではさっそく行ってみよう!」
「いや待ってください!! 何故ナチュラルに居るんですか!!」
「なんとなく。」
「なんとなく!?」
①闇夜の提灯
「『困難な状況にいるときに、助けとなる存在が現れたり、
探していたものに出会えたりすること』じゃな。」
「私は明かりが欲しかったのでそのままの意味で使いました。」
②拙速は巧遅に如かず
「『仕上がりが多少悪くても、早く行動する方が、
上手くても時間がかかってしまうことよりも
優れている』という意味のことわざじゃな。」
「私は加速手段として使いました。疲れるんですよね。」
③天網恢恢疎にして漏らさず
「中国の老子という人間の言葉じゃったかの。
『悪事を働いて、一時的に逃げ延びられたかのように
見えても、いずれ天罰が下るか、
報いを受けることになるという戒めの言葉』じゃ。」
「使い方もそのままの意味通りですね。」
④雨降って地固まる
「『困難や揉め事があった後、それらが解決することで
かえって物事がより安定することの例え』じゃな。」
「……先程からずっと思っていましたが、
なかなか諺についてお詳しいようですね。」
「そりゃあ、人間に言葉を与えたのは、
紛れもなくこの余じゃからのう。」
「……え? 今なんと?」
「それではまた次回〜♪」
「ちょ…待…!!」
「本編外で重要設定に触れるのはご法度じゃろうて。」
「もう!私の情緒はめちゃくちゃだあ!!!」




