94 新たな扉 ナギ視点
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いつものようにみやびのバイト上がりの送迎。
今日は雨が降っていたので、tranquillité(トランキリテ)店内で待つことにした。
早く着きすぎたので外で待つにも雨が鬱陶しいし、コンビニだと長時間居座るのは迷惑がかかる。
来店を知らせるドアベルの音を聞き、新規の客だと思って笑顔で出迎えたみやびは相手が俺だとわかり一瞬驚いたようだ。
すぐに営業用の笑顔ではなく、いつも俺に向けられる微笑みに変わる。
テーブルを片付けていて手が離せなかった彼女に声をかけられる前に、他のメイドに席を案内された。
その後も事あるごとに他のメイドが俺の接客をしに来た。
わざとか。
その間、俺は他の客に対して接客する彼女を目で追った。
すると他の客の数人も彼女を見ているのに気づいた。
この店には、明らかにみやび目当ての客がいるだろ。
そういえば「菓子をよく差し入れしてくれるお客さんがいる」とも言っていたし、こうして見ている限りどんな客にも分け隔てなく笑顔で接客をするみやびはこの店でも人気が高いのかもしれない。
変な男に目をつけられてないといいのだが。
みやびからは「バイトの送迎するのも大変だろうから、毎回来なくてもいいよ」と言われたが、やはり心配で仕方がない。
こうしてみやびを見ていると、感心する程よく気が利き積極的に動いているな。
そういう所も客の好感を得てるのかもしれない。
みやびを視線で追う男たちは見た感じ比較的大人しそうな人間ばかりで彼女に強引に迫るようなタイプではなさそうなのでそこは安心できるが、警戒しておかなければ。
彼女はあまり自分では理解していないが、かなり可愛い。
番いという贔屓目が無くても顔立ちは整っていると思うし、人当たりも良い。
主席だという男と以前偶然遭遇した時にも感じたが、あの学生はみやびに対して好意を抱いているのは間違いないだろう。
もっともみやびの方はそれに気づいてないようだったが。
今まで誰にも交際を申し込まれてこなかったのが不思議なくらいだ。
……もしかしたらすでにあったが俺には話してないだけかもしれないな。
忙しなく店内を動き回るみやびと目が合うとまたさりげなく微笑んでくれた。
その視線を辿ったのか、他の客たちが俺に視線を向けてきた。
俺と目が合うと、さっと視線を外す。
バイト先に来るのは彼女の仕事の邪魔をしてるようで気が引けてあまり店内には入らないようにしていたんだが、時折こうやって他の客たちを牽制するのもいいかもしれない。
第一、メイド姿のみやびも可愛いから見ていて飽きない。
彼女がバックヤードに引っ込んだので時計を見たらちょうど22時だった。
着替えて裏口から出てくるまで多少時間はかかるが、雨の中みやびを待たせるわけにも行かないので俺もさっさと清算をして店を出る事にする。
店からやや離れた所で傘を差しながら待つと、裏口から出てきたみやびが俺の姿を見つけて早足で駆けつけてきた。
傘をさしているから、抱き着くことも手を繋ぐこともできないのが残念だ。
2人で差せる傘を買うのも本気で考えてもいいかもしれない。
普通の傘で相合傘をしようとしても俺の体格のせいで狭いからな。
ついさっきまでメイド姿だった彼女が私服になってるのが不思議な気分だ。
バイトではまとめていた髪の毛もおろした状態のいつもの髪型になってる。
傘を差しながら、二人帰路につく。
それにしてもと思う。
「折角店に行ったのにみやびに接客されないのは残念だな」
他の女なんてどうでもいいし、他の客に営業用とはいえ笑顔を振りまくみやびを見るのも嫉妬する。
「そうだね。私も不満だけど、みんな押しが強いから」
あの店のメイド達は他の客の時には適当に接客しているのに、俺の時にはやたらと声をかけてくる。
今日も「お代わりのコーヒーはいかがですか?」と、まだ8割コーヒーが残ってるのに勧められたぞ。
一瞬、西の地域ではよくあるという「ぶぶ漬けでもどうどす?」という「早く帰れ」という意味を込めているのかと思ったくらいだ。
かといって他の客相手には声をかけていなかったようだ。
明らかな贔屓。
だから女は嫌いだ。
「他の女にご主人様と呼ばれても全然嬉しくないな」
というか煩わしいから呼ぶまで来ないで欲しいくらいだ。
「そうなんだ。じゃあ、私からご主人様って言われたら嬉しい?」
初めて店でそう呼ばれた時には動揺してしまったのを思い出す。
メイドカフェではそう呼ぶとは知識で知っていたが、実際に呼ばれると気恥ずかしいものがあった。
そしてそれが好意を寄せている相手からなら特に。
「そりゃ好きな人からなら嬉しいだろ」と言った後でふと思う。
「いや……ご主人様ってのもなんか上下関係があるようで考え物だな。呼び捨てくらいがちょうどいいかな」
一般的にあだ名で呼ぶカップルもいるらしいが、それは少々恥ずかしくて嫌だしな。
そういえば俺は友達からあだ名つけられたことがないな。
「ナギ」だからあだ名のつけようもないが。
みやびが友達に呼ばれているあだ名は「みやちん」だったか。
それは俺が呼ぶのは勇気がいるな。
ふと思い出した。
「以前、ナギさんと呼ばれたことがあったが、それも中々趣があったな」
ホテルでの顔合わせの時と、初めて彼女の家に泊った日の翌朝の2回だったか。
初対面の時にはもっと距離を縮めたいと思って「呼び捨てでいい」と伝えたんだったか。
そのお陰か、親近感が増したと思う。
選択自体は間違ってないと思うが、色んな呼び方もされてみたかったとふと思う。
とはいえ、呼び捨てか、さん付けかくらいしかないか?
母親は親父を「シンちゃん」と呼んでいるが、母の方が年上でかつ幼馴染だったらしいしな。
父親は祖父譲りの厳つい顔をしていたので、そんな男が「ちゃん付け」されるのになんかアンバランスだと子供心に感じていた。
俺がみやびに「ナギちゃん」と呼ばれるのは抵抗があるな。
やはり呼び捨てがいいか。
みやびの視線を感じたと思ったら、袖を引っ張られた。
雨に濡れてしまうのに、何事だろうかと思い顔を向ける。
「なに?」
するとみやびはどこか小悪魔みたいな笑みを浮かべた。
「ナギくん」
ぐふっ……。
不意打ちを食らってしまった。
「え、ちょっと……大丈夫?」
みやびが心配そうな表情でこちらを伺ってきた。
「突然そう呼ばれたので、少し驚いただけだ」と平静を装う。
が、内心はかなり動揺してしまった。
それにしても「くん」か。
「……いや、年下の子にくん付けされるのも中々いいな」
名前のくん付けなんて幼稚園や小学校の時以来じゃないだろうか。
あの時は何とも思わなかったが。
そもそも他の女にどんな呼び方をされても嬉しくもなんともない。
『ナギくん』
心の中で反芻する。
――結構いいな。
さっきの悪戯を企む子供みたいな表情含めてとてもいい。
なんだかみやびの視線が痛いが気のせいだろうか。
俺の仲の新たな扉がまた開きそうだ。




