門出
役所の前に立ち、あゆみは深く息を吸った。
右手には、今日提出する婚姻届。
書類の上には、『星宮昴』と『如月歩己』の名前が並んでいる。
「……本当に、今日で如月歩己は終わりなんだね」
ぽつりと呟く。
すばるは横で優しく微笑んだ。
「終わりじゃないよ。これからは、星宮歩己として生きるんだ」
彼の言葉に、あゆみはそっと視線を落とした。
「そうだね……」
父に許してもらった。母の言葉の意味も、ようやく理解できた。
なら、もう迷うことはない。
あゆみはペンを手に取り、自分の名前を書いた。
『星宮歩己』
たった2文字の変化。
それなのに、今までの人生とこれからの人生が、はっきりと分かれるような気がした。
すばるがそっと手を重ねる。
「これで、本当に家族だね」
あゆみは笑って頷いた。
「うん。……これから、よろしくね」
二人は婚姻届を提出し、役所を後にした。
青空が広がる。
春の風が、彼らの背中を優しく押していた。
翌朝、職員室。
「おはようございます、星宮先生」
そう呼ばれた瞬間、あゆみは一瞬だけ戸惑った。
けれど、すぐに微笑み、
「おはようございます」と返した。
これが、自分の新しい名前。
これが、これからの自分。
ふと、隣の教師が話しかけてくる。
「星宮先生、結婚したんですってね。おめでとうございます!」
「ありがとうございます」
そう答えた瞬間、後ろの方から元気な声が飛び込んできた。
「先生、名字変わったんだって?」
振り向くと、教え子たちが無邪気な笑顔を向けていた。
「うん、今日から星宮先生だよ」
そう伝えると、子どもたちは「へぇー!」と目を輝かせた。
それだけで良かった。
これからも、教師として、家族として、自分らしく生きていけばいい。
その日の帰り道。
「ねえ、すばるさん……」
「ん?」
「やっと、“星宮歩己”になったんだなって、少しずつ実感が湧いてきた」
すばるは隣で歩きながら、ふっと微笑んだ。
「そうか。……でも、僕にとっては、ずっとあゆみはあゆみのままだよ」
その言葉に、あゆみは小さく笑う。
「私も、すばるさんがずっとすばるさんでいてくれるのが嬉しい」
二人は手を繋ぎながら、ゆっくりと家へ帰った。
家の中には、蓮と莉桜が待っている。
リビングの温かな灯りが、二人を迎え入れた。
靴を脱ぎながら、ふと左手を見る。
――約束の指輪が、穏やかな光の下で静かに輝いていた。
「おかえりなさい!」
元気な声が響く。
あゆみは、微笑んで頷いた。
これが、彼女の新しい人生。
新しい家族。
そして、これから歩んでいく道だった。
――私は、星宮歩己として、この道を歩いていく。




