表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
73/78

母の言葉と父の言葉

 週末の朝、あゆみはスーツケースのファスナーを閉めた。


「準備、できた?」


 すばるが車のキーを手にしている。


「あとは子どもたちの荷物だけ」


 蓮と莉桜が、それぞれのリュックを背負って駆け寄ってきた。


「いってきまーす!」


 元気な声が響く。


 今日は、あゆみの実家へ向かう日だった。


 母のお墓参りをし、父に会うために――。


 墓地には、春の日差しが降り注いでいた。


 あゆみは、墓石の前で手を合わせる。


「お母さん、久しぶり」


 風が静かに吹く。


「私ね……すばるさんと結婚しようと思う」


 ぽつりと呟いた言葉に、後ろで立っていたすばるが静かに目を伏せた。


「まだ、色々迷うこともあるし、怖いこともあるけど……でも、この道を歩きたいと思ってる」


 蓮と莉桜も、手を合わせていた。


「おばあちゃん、おはよう!」


 蓮の言葉に、あゆみは思わず微笑んだ。


 (……お母さん、きっと喜んでくれるよね)



 実家に戻ると、父は書斎で待っていた。


「話があるんだろう?」


 低く、静かな声。


 あゆみは、深く息を吸ってから、父の前に座った。


「お父さん……私、すばるさんと結婚したい」


 真っ直ぐに見つめながら、はっきりと言った。


 父は、無言のまますばるを見つめる。


「すばる」


 呼ばれた名前に、すばるは静かに頭を下げた。


「僕は、あゆみさんと一緒にいたいです」


「……本当に、それでいいのか?」


 父の問いかけに、すばるはゆっくりと頷いた。


「はい」


 その瞬間、父は静かに目を閉じた。


「……おまえたちの9個の差は、しっかり考えなければいけない」


 まるで、あのときと同じ言葉だった。


「遺す側と遺される側のことも、考えているのか?」


 すばるは、あゆみを見た。


 あゆみもまた、静かに父を見つめる。


「……怖くないと言えば嘘になる。でも、私はすばるさんと歩いていきたい」


 その言葉に、父は少しだけ眉を寄せた。


 長い沈黙が流れた。


 そして、やがて――


「……そうか」


 小さく、低く、けれど確かに頷いた。


「ならば、もう何も言うまい」


 父の声は、少しだけ優しかった。



「お父さん……お母さんの手紙のこと、覚えてるよね?」


 あゆみの問いかけに、父は少し視線を落とした。


「……もちろんだ」


 母・美雪が残した最後の日記。

 そこには、こんな言葉が綴られていた。


「きっと、私は少しだけ未練を残して去ると思う。」


「そして、子どもたちが泣いてくれたとしたら——」


「私はこの世に少しだけの未練と、家族の涙を残して逝くことができる。」


「これほど幸せなことは、きっとないでしょう。」


 あのとき、父はこの言葉を噛みしめながら、ただ涙を流していた。


 そしてあゆみもまた、母が「母親として最期まで生きたこと」を知り、涙した。


 でも、今――あゆみは気づいた。


 この言葉は、自分たち子どもに向けられたものだけじゃない。


「お父さん……これ、私たちへの手紙だったけど、実は、お父さんに向けたものでもあったんじゃない?」


 父が、わずかに息を呑んだ。


「お母さんはね、きっとお父さんにも、前に進んでほしかったんだと思う」


 父の手が、握りしめられる。


「お母さんが言ってたじゃない……少しだけ未練を残していくことが、幸せだって」


 あゆみは続ける。


「愛する人が涙を流し、愛する人を思い出とともに生きていくこと。

 それは、「遺す側」にとっても、「遺される側」にとっても、幸せなことなのかもしれない。」


「お母さんの言葉が正しいかは、わからない。でも……私、怖いけど、すばるさんと一緒にいたい」


「怖いけど、だからこそ、その時間を大切にしたい」


 あゆみは、そう言って微笑んだ。


 父の肩がわずかに震えた。


「美雪が、子どもたちに宛てた手紙だと思っていた」


 震える声で呟く。


「でも……違ったんだな。これは……」


 父は手紙を握りしめ、目を閉じた。


「私にも、前を向けと言っていたのか」



 父はふと、あの日のことを思い出す。


 あゆみがすばるを連れて、初めて「結婚したい」と報告に来た日。


 そのとき、彼は絶句した。


「星宮君は、一度結婚生活を失敗しているんだぞ!家庭を壊した人間だ!家庭の重みや責任を背負いきれなかった人間に、娘を託すなんて、考えられるか!」


 そう叫び、怒鳴るように反対した。


 それに対して、あゆみは震える声で、しかし、はっきりと父に言い放った。


「いつまでも私を不出来なお荷物のように言わないで!」


 その言葉に、父は驚き、言葉を失った。


 あゆみは、父の視線を真っ直ぐに受け止めたまま、さらに声を強めた。


「私はすばるさんに、私の人生を“任せた”つもりなんてない! 彼が完璧だから選んだわけでもない! 私たちは、一緒に苦しんで、一緒に乗り越えて、一緒に笑っていくの!」


 その姿は、かつて父が知っていた娘よりも、遥かに強く、覚悟を持っていた。


 ……あれから時間が経ち、父は今、目の前に座るあゆみを見つめた。


 彼女は変わらず、まっすぐに自分を見つめている。


 父は静かに目を閉じ、そして、ぽつりと呟いた。


「……あのとき、お前の結婚を全否定したこと、謝る」


 その言葉に、あゆみの喉が詰まる。

 (お父さんが、謝るなんて……)


 父は何かを振り払うように、ゆっくりと顔を上げた。


「すばる」


 呼ばれた名前に、すばるは背筋を伸ばし、真剣な眼差しで父を見つめた。


「お前のことを、最初は受け入れられなかった。だが、こうしてお前は……最後まで、あゆみの隣にいた」


 長い沈黙の後、父は僅かに微笑みながら続けた。


「……あゆみを、頼む」


 すばるは静かに頷き、しっかりとした声で答えた。


「はい」



 (この道を、歩いていこう)


 あゆみは静かに、そう決意した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
是非こちらもご覧ください!

この道を歩む登場人物

「砕けた昴」と「この道を歩む」は、関わり合う物語です。

それぞれのキャラクターが織り成すストーリーが、互いに新たな視点を与えてくれます。

それぞれの視点で紡がれるストーリーを、ぜひご覧ください!

砕けた昴

心がほどける時間

― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ