隠すべきもの?
夕飯の買い出しに出かけたスーパーで、あゆみはふと立ち止まった。
隣にいるのは蓮と莉桜。すばるはまだ仕事が終わっておらず、今日はあゆみが子どもたちを迎えに行き、そのまま夕飯の準備をする予定だった。
(こんな風に、ごく普通に買い物をすることが、どうして「隠すべきもの」になってしまうんだろう……)
そう思いながら、カートを押していると、突然背後から声をかけられた。
「如月先生?」
反射的に振り向くと、そこにいたのはクラスの児童の母親だった。
「あら、お仕事帰りですか?」
「あ……はい。ちょっと夕飯の買い物を……」
無難な返答をしようとしたその時、蓮が「ねえ、あゆみちゃん! これ買ってもいい?」と駆け寄ってきた。
「……!」
一瞬、気まずい沈黙が流れる。
保護者の女性は、蓮と莉桜を交互に見つめた後、ふっと微笑んだ。
「可愛らしいわねぇ。先生、弟さんかと思ったけど……もしかして?」
――どうしよう。
笑顔を作りながら、咄嗟に言葉を探す。
「知り合いの子どもたちです」
それが、精一杯の答えだった。
しかし、その直後。
「……あゆみちゃん、帰ろ?」
蓮の無邪気な言葉が、あゆみの背中を貫いた。
保護者の女性は、一瞬「?」という顔をしたが、深く追及することはなく、「じゃあ、まだ買い物途中なので、失礼します。」と言って立ち去っていった。
その場に残されたあゆみは、カートの取っ手を握りしめたまま、言葉を失っていた。
「……今日、スーパーで保護者の人に会ったの」
夕飯の準備を終えたあと、あゆみはリビングでため息をついた。
すばるがソファに座ったまま、「それで?」と問いかける。
「“知り合いの子どもたちです”って言っちゃった……」
視線を落としながら、あゆみは呟く。
「隠してるみたいで、すごく嫌だった」
すばるは、少しだけ表情を曇らせる。
「……もう、子どもたちのこと、話してもいいんじゃない?」
優しく言われたその言葉に、あゆみはぎゅっと唇を噛みしめる。
「それができたら、どんなに楽か……」
ぽつりと零れる本音。
「でも、私はまだ入籍もしてないし、親でもないから、“子どもです”なんて言えないよ……」
「それに、教頭の言ってることも、間違ってるとは思うけど……もし私のせいで何か問題が起きたらって考えると、やっぱり我慢しなきゃって思っちゃうんだよ……」
すばるは静かに話を聞いていたが、少しだけ眉を寄せながら問いかけた。
「それって、誰のための“無理”?」
「……わからない。でも、今のままじゃ、何も前に進まない気がするの」
あゆみは、自分の胸に手を当てながら、そっと右手の指輪をなぞった。
「ねえ……私、親との約束通り、ちゃんと教員になったよ?」
ふと、そう呟く。
「だったら、そろそろ結婚してもいいよね?」
すばるの動きが止まる。
そして、一瞬の沈黙のあと、静かに問いかけた。
「……あゆみは、怖くないの?」
「9個の差のこと……僕たちの未来のこと」
その言葉に、あゆみの胸が締めつけられる。
「……怖いよ」
「でも、それよりも……一緒にいたいって思うの」
すばるは、あゆみの瞳をじっと見つめ、微笑んだ。
「僕も。……でも、今はまだ、答えが出せない」
「……うん」
翌日、教室では、朝の会の時間にとある児童が元気よく手を挙げた。
「先生! 昨日、スーパーで見たよ!」
その一言に、クラスの子どもたちが「どこで?」「誰といたの?」と一気に盛り上がる。
「えっと……」
あゆみは、なるべく穏やかに微笑みながら話す。
「お休みの日に誰がどこにいたって話をすると、お友だちがびっくりすることがあるよね」
子どもたちは「えっ、そうなの?」と不思議そうな顔をする。
「みんなも、お休みの日にどこに行ったか、誰といたか、ずっと聞かれたらどう?」
「……ちょっと嫌かも」
「だよね。だから、お友だちのことを話すときは、相手の気持ちも考えようね」
子どもたちはこくんと頷いた。
昼休み、職員室でコーヒーを飲んでいると、隣の同僚が声をかけてきた。
「如月先生、ちょっと疲れてる?」
「……少しだけ、ですね」
あゆみは苦笑しながら、朝の出来事を話す。
「そっか、大変だったね。でも、いい教え方だったと思うよ」
そう言ってもらえて、少しだけ心が軽くなる。
しかし、その瞬間。
「如月先生」
低い声が響いた。
振り向くと、そこには教頭が立っていた。
「分かっていますよね?」
冷たい口調。
「若い先生が子持ちという噂が広まると、詮索したがる保護者が出てくる。やはり教師は清廉であるべきです。」
その言葉に、あゆみの手がぎゅっと拳を握る。
すると、隣にいた同僚がぼそっと耳打ちしてきた。
「うわー、教頭感じ悪っ。なんか昔の先生って感じよね」
あゆみは、乾いた笑いを漏らしながらも、胸の奥に小さな棘が刺さる感覚を覚えていた。
(……私は、何を隠してるんだろう)
(なぜ、家族のことをこんな風に言われなきゃいけないんだろう)
その疑問と憤りは、次第に大きくなっていく。




