母になる、その途中で
カフェの扉を開けると、昼下がりの穏やかな空気と、ほのかなコーヒーの香りが広がった。店内はそれほど混んでおらず、窓際の席に座る奈緒の姿がすぐに目に入った。
「あ、来たね。」
奈緒はカップを手に、軽く手を振る。あゆみは小さく頷きながら、彼女の向かいの席に腰を下ろした。テーブルの上には、彼女が頼んでおいてくれたカフェラテが置かれている。
「昨日、お墓に居るって聞いてびっくりしたよ。それより何かあったの?」
奈緒の率直な問いかけに、あゆみはカップを手に取り、少しだけ息を吐いた。
「……家庭訪問があってね。」
「うん?」
「いろんな家庭を見て、家族の形って本当にそれぞれだなって思ったの。両親が共働きの家、母子家庭の家……みんな、自分なりの形で子どもを育ててる。でも……」
カップの中の泡がゆっくりと消えていくのを見つめながら、言葉を続ける。
「私は、この家の何なんだろうって考えちゃった。」
奈緒は少し目を細めながら、あゆみの言葉を待っている。
「入学式に行けなかったことから始まって……仕事で忙しくなって、送迎もできてなくて。でも、家は普通に回ってるし、すばるさんも子どもたちも、何の問題もなく過ごしてる。」
「……うん。」
「だから、思っちゃったんだよね。私がいなくても、家族として成り立つんじゃないかって。」
奈緒はストローをくるくる回しながら、考えるように視線を落とした。
「あゆみ、それってさ……結局、自分が“家族として役割を果たせてるのか”って悩んでるだけじゃない?」
「……。」
「今までずっと、『母親にならなきゃ』って思わずにやってきたんでしょ?」
「うん。」
「でも、入学式っていう大きな節目に行けなかったことで、『自分がこの家でどんな立ち位置なのか』が気になっちゃったんじゃない?」
あゆみは、少し目を伏せる。
「そう……なのかな。」
「じゃあ聞くけどさ、あゆみは蓮くんたちのお母さんになりたいの?」
その問いに、あゆみは答えられなかった。
「……正直、分からない。でも、私がいないことで子どもたちが寂しいって思うなら、できることはしてあげたい。」
「それでいいじゃん。」
奈緒はあっさりと答えた。
「別に、母親になるとか、ならないとか、肩書きにこだわらなくてもいいでしょ。あゆみがやりたいことをやって、それで子どもたちが幸せなら、それでいいんじゃない?」
「でも……それって、無責任じゃない?」
「違うよ。あゆみが考えてるのって、“母親にならなきゃいけない”っていうプレッシャーでしょ? でもね、家族ってそんな単純なものじゃないと思う。」
奈緒はカップを置き、まっすぐあゆみを見つめる。
「あゆみは今、家族になろうと頑張ってるんでしょ? それなら、焦る必要はないんじゃない?」
あゆみは、奈緒の言葉をゆっくりと噛みしめる。
「家族になるって、何かを決めることじゃなくて、一緒にいることで自然にできあがるものなんじゃない?」
「……。」
「だから、あゆみは今、“母親になる途中”なんだよ。」
“母親になる途中”——その言葉が、心に響いた。
まだ、答えが出せなくてもいい。
まだ、完璧にならなくてもいい。
ただ、今できることをして、少しずつ、家族としての形を築いていけばいい——。
「……うん。」
ようやく、あゆみは小さく頷いた。
「ありがとう、奈緒。」
「うん。ま、また悩んだら言いなよ。」
奈緒は軽く肩をすくめながら、スマホを取り出した。
「てか、次の休み、一緒にランチ行こ。気分転換もしないとダメでしょ。」
「うん……そうだね。」
少しずつ、心のモヤが晴れていくようだった。
帰り道、あゆみは夜空を見上げた。
母の墓前で悩んでいた自分。
迷いの中にいた自分。
でも、少しずつ、自分の中で答えが見えてきた気がする。
焦らなくてもいい。
まだ、途中でもいい。
「私は……家族になりたいんだ。」
胸の奥で、そう思えた。
夜の風が、優しく頬をなでた。




