届かない報告
二次試験が終わってからの数週間。
何をしていても落ち着かず、ふとした瞬間に試験のことが頭をよぎった。
家事をしながらも、子どもたちと遊んでいても、どこか上の空。
ただ、できることはすべてやった。
──そして今日、合格発表の日が来た。
「あゆみ、もう確認した?」
すばるが穏やかな声で尋ねる。
あゆみはスマホを握りしめ、画面を見つめる指が止まった。
教育委員会のホームページ、合格者一覧。
スクロールする手が汗ばみ、心臓が嫌なほど高鳴る。
──あった。自分の番号が、そこにあった。
目を疑う。何度も画面をスクロールして、自分の受験番号を確認する。
けれど、それは確かに、何度見ても「合格」の欄に刻まれていた。
「……っ、受かった……!」
自分の口から出た言葉に、ようやく実感がわく。
指先が震える。胸の奥が熱くなる。
「やったじゃないか!」
すばるがあゆみの肩を抱きしめる。
れんとりおも駆け寄ってきた。
「あゆみちゃん、すごい!」
「おめでとう!」
あゆみは目尻を押さえながら、笑う。
「うん……ありがとう……!」
思えば、長かった。
子どもが苦手だった自分が、小学校教諭を目指すなんて、あの頃の自分には想像もつかなかった。
でも、今なら胸を張って言える。
「なりたい」じゃなくて「なる」んだ、と。
──お母さんにも、早く報告しなくちゃ。
あゆみはスマホを持ち直し、実家へ電話をかける。
プルルル……プルルル……
呼び出し音が、いつもより長く感じた。
やがて、ようやく電話が繋がった。
「……お父さん?」
受話器の向こうから聞こえたのは、母ではなく父の声だった。
少し驚きながらも、あゆみは笑顔で切り出す。
「お母さん、いる? 早く伝えたくて……私、合格したんだ!」
けれど、父は何も言わない。
いや、言えなかった。
受話器越しに、静かな息遣いが聞こえる。
妙な違和感に、あゆみの背筋が冷たくなった。
「……お父さん?」
声が震えた。
何かがおかしい。
そして、父が沈痛な声で言った。
「……美雪が、昨日、亡くなった。」
その瞬間、時間が止まったような気がした。
「──え?」
耳鳴りがする。
まるで現実じゃないみたいだった。
この前、電話で話したばかりだったのに。
遊園地で、れんとりおと楽しそうにしていたのに。
孫になるかもしれない子たちと遊ぶのを、あんなに嬉しそうにしていたのに。
──信じられない。
「嘘……でしょ?」
父の声が、震えていた。
「お母さんは、俺にしか病状を教えなかった。『子どもたちの人生を邪魔したくない』って言ってな……。」
あゆみの呼吸が止まりそうになる。
思い返せば、遊園地の時も、どこか無理をしているように見えた。
すごく痩せていたのに、それを気にした素振りさえ見せなかった。
「いつからだったの!? どうして隠していたの!? 」
矢継ぎ早に父に尋ねる。
「お姉ちゃんは知ってたの!? どうして私には言わなかったの!?」
父は、短く答えた。
「……お前にも、香己にも、伝えなかった。」
「子どもたちの邪魔をしないって……美雪が強く言ったんだ。」
「そんなの、勝手じゃない……!」
堰を切ったように、涙が溢れた。
言いたいことがあったのに。
「受かったよ!」って、一番に伝えたかったのに。
もう、声は届かない。
──報告をしようとした瞬間に、伝える相手はいなくなっていた。
すばるがそっと肩に手を添えた。
「……あゆみ……」
彼も言葉が出てこない。
れんとりおが、不安そうにあゆみを見上げる。
何も知らない彼らの前で、泣きたくなかった。
でも、もう、堪えられなかった。
あゆみは、ぽろぽろと涙をこぼしながら、小さく呟いた。
「……ありがとう、って……ちゃんと言いたかったのに……」
静かな部屋に、嗚咽だけが響いた。
──「伝えたかった」
──「でも、もう届かない」
その現実が、胸に突き刺さるように、痛かった。




