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痛みを知るとき

 教室はいつも通りざわざわと騒がしい。あゆみは深呼吸をし、前に立った。緊張で手が震えるが、自分の机に置かれた落書きと手紙を思い出し、意を決した。


「みんな、ちょっと話を聞いてほしいの。」


 子どもたちは徐々に話をやめ、あゆみに注目した。


「先生の机にね、落書きがされていたんだ。しかも、知らない間に。みんなの机は綺麗なままなのに、私の机だけ汚れているんだ。これって良いことだと思う?」


 教室が静まり返る。やがて、ひとりの男の子が手を挙げた。


「先生!僕の机にも落書きあるよ!」


「そうなんだ。それ、自分で書いたの?それとも誰かが書いたの?」


「自分で書いたんだ!これ見て!かっこいいでしょ?」


「うん、かっこいいね。でも、もし誰かに『嫌い』って書かれたらどう思う?」


 その言葉に、男の子は少し黙り込んだ。教室の空気が重くなる中、別の女の子がぽつりとつぶやいた。


「実は、私の机にも書かれたことがあります。すごく悲しかったし、何か言ったらどうなるか怖かった……。」


 その子の声が震え、目に涙を浮かべる。教室全体に張り詰めた緊張感が広がった。




「じゃあ、みんなに聞くね。人の物に落書きするのが好きな人、手を挙げてみて?」


 しばらくの沈黙の後、ひとりの男の子が手を挙げた。主犯格の少年だ。


「俺は好きだよ。なんか、そういうのかっこいいじゃん。みんな、ただ怒られるのビビってるだけだろ?先生の机だって、俺たちでやったもんね?」


 少年の言葉に、数人の子が笑いながらうなずいた。その光景に、あゆみの胸に怒りが込み上げる。


(許せない……。)


 あゆみは静かにその男の子の元へ近づいた。


「好きなんだ?」


 あゆみの声は冷たさを感じるものだった。


「じゃあ、この子の机にたくさん嫌いって書いてあげようよ!好きなんだって。」


 ざわざわとする教室の中、数人の生徒たちが動き始める。


「私だってこいつにやられたんだ。」


「前、僕こいつに蹴られたんだ。これくらいのこと。」


「おい!ちょっと!やめろって!」

 主犯の男の子が次第に語気を強めて訴えてくる。


 どんどんとその数が増え始めたとき、見守っていた中川先生が不安そうにあゆみにささやいた。


「如月さん、ちょっとやりすぎではありませんか?」



 その一言で、あゆみははっとして我に返った。深く息を吸い、ゆっくりと子どもたちに向き直る。


「ごめんね、みんな。やめよう。嫌な気持ちになるよね。みんなも君も、嫌なことはしちゃいけない。落書きされたら嫌な気持ちになるよね。それを分かってほしいな。」


 主犯の少年が小さな声でつぶやいた。


「だって、先生いつも俺たちを嫌そうな顔で見てたじゃん。俺、本当は先生に遊んでほしかったんだ……。」


 その言葉に、あゆみの胸が痛んだ。


「そっか……そう思わせちゃったんだね。ごめんね。」


 あゆみは静かに頭を下げた。


「先生、実は小さい子が苦手なんだ。だから、みんなが騒いでいるとどうしていいか分からなくなる時がある。でも、人のことを考えてくれる子は好きだよ。あと、一緒に遊んでくれる子は好きだよ!」


 教室の空気が少し柔らかくなる。


「もしかしたら気づいていないかもしれないけど学校の物って、みんなが使うものなの。自分が使う机や椅子が汚れていたら嫌だなって思うでしょ?だから、みんなで大切に使おうね。」


 子どもたちは小さくうなずいた。


「私も、そしてみんなも誰かに嫌われたいって思って過ごすことってないよね?むしろ好きになってほしいなって思うことの方が多いでしょ?素敵な人って目立つこととか意地悪をすることじゃなくて、嫌なことをしない人なんじゃない?そして素直にごめんなさいって言える人がかっこいいなって先生は思うんだ。」


 落ち着いて、あゆみは続ける。


「みんな、ごめんね。先生のせいで、少し嫌な思いをさせてしまったね。あとで一緒に遊んでくれる?」


 教室の空気が静まり返る中、主犯の少年が小さな声でつぶやいた。

「俺もごめんなさい。」


 その言葉に、他の生徒たちも少しずつ顔を伏せる。

「さっきはごめんね。」

「ごめんなさい。」

 次々と謝罪の声が上がり、教室の雰囲気が和らいでいく。




 その日の放課後、中川先生があゆみに声をかけた。

「如月さん、今日のホームルームのことだけど、少し私情が入っていたよね。途中までは良かったけど、生徒たちを使って主犯の子を追い詰めるのは避けるべきだったよ。あれじゃただの報復になってしまう。教師がすることじゃない。」

 あゆみはうつむきながら静かに頷いた。

「……はい。わかっています。本当に反省しています。」

 中川先生は優しく微笑み、続けた。

「でも、今日のことで子どもたちは人の痛みを知るきっかけを得たと思う。それは如月さんが真剣に向き合ったからだよ。ありがとう。ただ、教育実習はまだ終わっていない。これからも彼らと向き合い続けてみて。」

「はい……。」

 中川先生は少し声のトーンを下げ、静かに言葉を重ねた。

「子どもたちも、そして君自身も、誰かに吊し上げられるのは辛いものだ。だからこそ、もっと彼らを知って、1人の人間として接してみて。それができたら、きっと君は素晴らしい教師になれるよ。」

 あゆみはその言葉に胸がじんと熱くなり、小さく微笑みながら頷いた。




 帰宅後、あゆみは今日のことをすばるに報告していた。

「言われた通り、みんなに問いかけをしていたんです。でも、主犯の子がわかった瞬間、どうやって懲らしめてやろうって気持ちが湧いてきてしまって……。」

 すばるは少し目を細めて笑った。

「まぁ、そう思っちゃうのも無理はないよ。僕だって昔、そういう場面では感情が先走ったことがあったし。」

「……でも、実際にみんなに『落書きして』って言っちゃったんです。」

「やっちゃったね。」

 すばるはあゆみの頭を軽く小突き、柔らかく笑った。

「それで中川先生から指摘されたんでしょ?」

「はい。めちゃくちゃ反省してます……。」

「じゃあ、僕が何か言わなくてももうわかってるね。」

 すばるは少し冗談めかして言い、あゆみを安心させるように肩を軽く叩いた。

「でもね、あゆみ。そうやって迷いながら学んでいくのが教育実習なんだよ。誰だって最初から完璧になんてできない。それに、子どもたちに真剣に向き合おうとしてる君は、すごく頑張ってると思う。」

 あゆみはすばるの言葉に救われたような表情を浮かべた。

「……ありがとうございます。次は、もっと冷静に考えて行動します。」

「うん、気負わずにね。失敗した分だけ次に活かせばいいんだから。」

 すばるの優しい声に、あゆみは小さく頷き、新たな決意を胸に抱いた。

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