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茨の道の先に

 その日の午後、あゆみは勉強机に向かっていた。


 開いた教科書の文字はいつも以上に薄く感じられ、何度ページをめくっても頭には入ってこない。ペンを握る手に力を込めるが、次第に焦りばかりが募る。


「あゆみちゃん!見て見て、これできた!」


 子どもたちの声がリビングから響いた。その瞬間、あゆみの脳内に、必要な情報と一緒に騒音が流れ込んでくる。頭が重くなり、鉛のようにのしかかる。


「……静かにしてって言ったのに……。」


 あゆみは歯ぎしりをし、拳を強く握りしめた。必死に耐えながらも、机に突っ伏す。その瞬間、すばるの穏やかな声が耳に届いた。


「いい子だね、静かに遊ぼう。ほら、ブロックの続きやってみようか。」


 すばるが必死に子どもたちを静かにさせようとしているのがわかる。それでも、小さな笑い声やブロックが床に落ちる音が、壁一枚を隔てた空間を軽々と越えてくる。


 ――わかっていたはずだった。子どもたちが居るということはこういうことだ。


 あゆみは拳を握りしめる。父にも啖呵を切った。「子どもたちと一緒に、この道を進む」と自分で選んだ道だ。それなのに――


「……いなければ楽なのに。」


 その一言が、喉の奥から勝手に漏れ出た。あゆみの目からじわりと涙がにじんだ。すぐに両手で顔を覆い、首を振る。


「違う……違うのに……。」


 こんなことを思う自分が情けない。苦しい。でも、現実は厳しく、こんなにも神経をすり減らすとは思わなかった。


 夜、子どもたちが寝静まった後、あゆみはすばるの隣に座っていた。夕飯後、すばるがいつもより早く子どもたちを寝かせてくれたことに、気づいてはいたが何も言えなかった。


「……ごめんね。」


 静かなリビングに、あゆみの小さな声が響く。


「なんで謝るの?」


 すばるは穏やかな声で尋ねるが、あゆみは目を伏せたまま言葉を続ける。


「……私、子どもたちが邪魔に感じることがあるの。」


 すばるは何も言わず、ただあゆみの言葉を待っていた。


「父には大きな口を叩いたくせに、頭に何も入らないし、子どもたちの声がうるさくてどうしようもないし……こんなにも辛いなんて思わなかった。」


 涙がポツリとあゆみの膝に落ちる。


「私、最低だよね。選んだのは私なのに……。」


 すばるは静かにあゆみの手に触れ、少し柔らかい笑みを浮かべた。


「……あゆみはもともと子どもが苦手だったのに、ここまで一緒に過ごしてくれた。それだけでも、すごいことだよ。」


 あゆみが驚いたように顔を上げると、すばるは続けた。


「疲れた時くらい、誰だって邪魔に感じることはある。僕だって、正直そう思うこともあるし。」


「……すばるさんも?」


「うん。でも、それは“嫌い”とは違う。ただ余裕がなくなるだけだよ。」


 すばるの優しい言葉が、あゆみの心の重い鎖を少しずつ解いていくようだった。


「辛いと思うのは仕方ない。全部を完璧にやろうとしなくていい。」


 あゆみが顔を上げると、すばるは微笑みながら続けた。


「これからは、子どもたちを少し早めに寝かせて、二人の勉強時間を作ろう。それなら集中しやすいだろ?」


「……そんなことで変わるのかな。」


「変わるさ。一人で抱え込む必要はない。だって、僕も一緒にいるんだから。」


 あゆみの心に、すばるの言葉がじんわりと染み込んでいく。


「……ありがとう。」


 その日から、あゆみとすばるは子どもたちを少し早めに寝かせるようにした。そしてリビングで二人だけの勉強時間を設けることにした。


 机の上には、分厚い参考書とペン。それを前に、あゆみは歯を食いしばる。


「自分で決めた道だから……。」


 どれだけ茨の道でも、進むしかない。子どもたちの寝顔を思い浮かべながら、あゆみは一文字一文字をノートに書き込んでいく。


 ――私は、この道を選んだんだから。


 苦しさと焦りの中でも、あゆみの瞳には小さな光が宿っていた。それは、彼女が未来へと進むための、確かな覚悟の光だった。

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