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偶然鳴り響いた音

 あゆみは昼下がりの静かなリビングに座っていた。すばると子どもたちは外出しており、自分一人だけの時間が流れていた。壁掛け時計の秒針が静かに音を刻む中、あゆみは深く息をついた。


 "これからどうしよう…"


 あゆみは心の中でつぶやいた。すばるとの生活は温かい。子どもたちも最初は苦手意識を持っていたが、今ではかけがえのない存在になっている。それでも、彼女の胸には一つの重い課題がのしかかっていた。


 それは――両親への報告だ。




 幼い頃から、あゆみは常に姉と比較されてきた。姉は学校でも成績優秀で、スポーツも万能、先生や近所の人たちからも「できた子」として認められていた。対するあゆみは、何をやっても姉に追いつけない。「お姉ちゃんみたいに」と言われるたびに、彼女の心の中に小さな溝が広がっていった。


「どうして私はこんなにダメなんだろう…」


 姉と比べられ、常識的で良い子であろうとするプレッシャーに押しつぶされそうになりながらも、あゆみは自分を見失わないよう必死に足掻いていた。しかし、その努力が報われることは少なく、やがて彼女は心の中でこう思うようになった。


「何をやっても無駄なんだ。私はこの家族に必要とされていない。」


 大学進学を機に実家を出てからも、あゆみの心にはその傷が残っていた。そして今、彼女が選んだ――元教師であり、2児の父であるすばるとの関係を両親に報告しなければいけない日が近づいていることが、その傷を再び疼かせていた。


 自分の選択は間違っている、そう言われるのは目に見えている。

 初めて自分で選んだ道を否定されるかもしれない、そんな不安がこんなにも躊躇いを生むものだなんて想像していなかった。




 その時、携帯が振動した。表示された名前に目を留めると、「姉」の文字が目に飛び込んできた。


「お姉ちゃん…?」


 あゆみは一瞬躊躇したが、深呼吸をして通話ボタンを押した。


「もしもし?」


「元気にしてる?最近連絡がなかったから心配してたのよ。」


 姉の声は明るいが、その裏には探るような響きがあった。あゆみは自然に笑みを浮かべる努力をしながら返事をした。


「うん、元気だよ。そっちはどう?」


「こっちは変わらないわね。でも、そっちこそ、同棲してるって言っていたけど、その後どうなの?」


 姉の言葉に、あゆみは一瞬言葉を詰まらせた。この質問が来ることは予想していたが、どう答えるべきか迷っていた。


「順調…かな。」


 少し控えめな返事に、姉の声が少し鋭くなる。


「そう。じゃあ、子どもたちとの生活はどう?ちゃんと上手くいってるの?」


「あ、うん。毎日、楽しいよ。」

 あゆみは言葉に少し詰まりながら答える。


「ほんとに? だってあんた、もともと子ども苦手だったでしょ。今は平気なの?」


「……慣れてきたと思う。」

 あゆみは視線を落としながら答えるが、その言葉には確信がない。


 姉は少し間を置いてから、冷静に、けれど皮肉を含んだ口調で続けた。


「ふーん。でもさ、あんた、うじうじ悩んで何もできなくなるのが昔からの癖じゃない。それに、子ども苦手だったよね?そんな状態で一緒に暮らしてるなんて、子どもたちがかわいそうだと思わない?」


「どういう意味?」

 あゆみは眉をひそめて問い返した。


「そのままの意味よ。」

 姉の声は冷静そのものだった。


「些細なことでイライラするタイプでしょ?そんなの、子どもたちは敏感に感じ取るものよ。それに、もしイライラをぶつけたりしたら、フォローするのは星宮先生の役目でしょ?仕事が忙しいのに、家庭の問題まで背負わされるなんて、かわいそうじゃない。」


 あゆみの胸に、その言葉がじわりと重くのしかかった。静かな家の中に、姉の言葉だけが響き渡る。


「私は……ちゃんとやってる。」

 かすれた声で反論するが、自分でもその言葉が心許ないと感じていた。


 姉は小さく息をついてから、さらに言葉を重ねる。

「ちゃんとやってる……ね。じゃあ、あんたは子どもたちの気持ちをちゃんと考えてる?無理して笑顔を作っても、子どもたちは敏感よ。自分が“邪魔”なんじゃないかって感じるのって、すごく辛いことなのよ。」


 その言葉はあゆみの胸に鋭く突き刺さった。姉が自分を見下しているように感じることは、これまで何度もあった。しかし、今回はそれ以上に、自分の選択そのものが否定されるような感覚があった。




「私、そんなつもりじゃ…」

 小さな声でそう呟くが、自分でもその言葉がどこか空虚に感じられる。


 姉の冷たい声が追い討ちをかける。

「だったら、どういうつもりなの?現実を知らないまま突っ走ったところで、苦労するのは子どもたちや星宮先生よ。感情だけで家庭なんて守れないんだから。」


 あゆみは反射的に電話を切りそうになったが、思いとどまった。姉の言葉が苛立たしく、傷つくものだとしても、それがすべて間違っているとは言えない。あゆみ自身が抱えている不安を、姉は見抜いているのかもしれない――だが、それでも。


「お姉ちゃんにはわからないよ……。」

 震える声で、そう言い返した。




 あゆみの脳裏に、りおとの砂場での出来事がよぎった。


 あの日公園で、りおと二人で砂のお城を作っていたときのことだ。


「お城、できた!壊れないといいね!」


 りおの言葉が耳に残る。無邪気なその声は、あゆみの心の奥深くに何かを刻んだ。


「壊れないといいね…」


 その言葉を繰り返しながら、あゆみは砂のお城を見つめていた。その時の感覚が、今も鮮明に思い出される。


 砂のお城は、壊れやすく、不安定だ。でも、それを形にしていくことが、家族というものの象徴のように感じられた。そして、りおの言葉に背中を押されたあの瞬間…。


「壊れても、また作ればいいんだから!」


 あの言葉が、あゆみの中で何かを変えた。


「私は、この家族を守りたい。」


 そう思えたのは、あの瞬間だった。





「お姉ちゃん。」


 あゆみの声は低く、しかし確かな力が込められていた。


「最初からうまくできる人なんているの?私はお姉ちゃんを見ていて、自分が失敗ばかりの落ちこぼれなんだと思ってた。でも、失敗って何かをしなければ生まれないものよね。」


 姉は一瞬黙った。


「失敗を恐れて何もしないことのほうが、本当に良くないことなんじゃないかと思うようになったの。」


 あゆみの声は震えながらも、確信に満ちていた。


「もちろん、辛いことが何もない人生が理想的に決まっている。誰だって辛い思いはしたくないと思うの。」


 あゆみは自信を持って続ける。


「私は優秀になりたいわけでも、正しく生きたいわけでも、みんなの言う通りにして良い子でいたいわけでもない。この選択が失敗だとしても――それでも、つらい道を一緒に乗り越えていきたいと思ったの。それに失敗なんてきっとおばあちゃんにならないと分からないと思うの。人生最期の日に振り返ってみて、初めてそれが分かるような気がするの。だからまだ失敗だなんて言い切れないと思う。」




 姉は長い沈黙の後、静かに答えた。


「前もそう言っていた気がするわ。そういう意見も…あるわよね。でも、私は選ばないけどね。」


 冷静な言葉だったが、その奥にわずかな理解が感じられた。


「それが…あんたの選択なら、応援…はできないけど、見守るわ。」


 電話を切った後、あゆみは深く息をついた。涙が頬を伝うが、その中に小さな微笑みが浮かんでいた。


「私は、この道を歩いていく。」


 その思いが、彼女の胸の中で強く、確かに根付いていた。



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