ヴァイオレット14
カール様とマチルダ姫が婚約し、その次の良き日に、テーラ家のマイクロフトがノーザンブリア家の養子に入りました。
アレクシア姫は速やかにマイクロフトに執政の引継ぎを行い、自身はテーラ家と地下組織の連絡係としての仕事をトーマスから引き継ぎました。
ルイス殿下の「秘密の恋人」として、偽者のミレイユ姫とライラ姫の牽制もさせられているようです。
トーマスは拠点をアルキオネ宮殿に移し、わたくしと共に東領と北領の領境の守護をしながら、時折、東領に潜入してスパイ活動をしていました。
地下活動中の西領のクリストファー公子と連携して、敵と味方の選別を行っているようでした。
「子供の頃はよくこうやって宮殿の庭に寝転がって君と二人でぼーっと空を見てたな」
スパイ活動を行っている時のトーマスは、キビキビとしてデキる隠密だと聞きますが、アルキオネ離宮で過ごすトーマスは、ダラダラとしたグータラ男です。
芝生の上に寝転がってよく空を見ています。
トーマスにも心の休憩所があった方がよいと思うので、トーマスがごろ寝できるようにアルキオネ宮殿に芝生の庭を造ってもらいました。
マイクロフトが、アレクサンドリア離宮について「まるで僕の為に作ってくれたような居心地の良さだ」と言っていたのを聞いて、アルキオネ離宮はトーマスにとって居心地が良くなるようにかなり工夫しました。
時々、はしたなくもトーマスの横に仰向けに寝転がって一緒に空を見たりもします。
そうすると、本当に子供の頃に戻ったような気持になるから不思議です。
気持ちの良い風に吹かれて、たまにうっかり二人してお昼寝をしてしまって、近衛がブランケットを掛けてくれるのも、子供の時と同じです。
「酷いわ。わたくし、話し方も姫っぽくなったし、随分柔らかくなったのよ。違いが分からない男ね?」
「そうか? 君は言い方はキツイけれど、あの頃から相手のためを思った助言をしていたと思うぞ」
嘘、おっしゃい。
ジーナをいじめたと勘違いして警戒していたくせに。
呆れたわたくしが横向きになってトーマスを睨みつけると、トーマスは柔らかい表情を浮かべながら零れたわたくしの横髪を耳にかけて、ポソリと呟きました。
「美しいな」
「は?」
トーマスの口から出てくるとは思えない言葉に咄嗟に反応が出来ないでいると、今度はしっかり伝えてくれました。
「空を見ながら声だけ聴いていると子供の頃から知っている君なのに、顔を見ると美しい令嬢で戸惑うよ」
「え? 何を言って……」
トーマスは、起き上がってわたくしに顔を寄せ、額にキスを落とすと真面目な話をはじめました。
どうやら、わたくしは、トーマスにとって兄弟枠に入ったようです。
きっとマイクロフトにも「かわいいな」とか言って、額にキスを落とすのでしょう。
仲良しテーラ家だったら、ありえそうです。
「来年、本物のシオン公子が表に出たら、北領領主代行のノルディック卿が姿を消す。そうなれば間違いなく東領が北領に攻め入ってくる」
急な切り替えに、わたくしも起き上がって真っすぐに聞きました。
「戦になるということ?」
「そうなれば姉様が戻って北領正規軍を率いて領境の防衛に着くから、君は母君と共にマイクロフトが貰ったアレクサンドリア離宮に身を寄せるんだ。いいね?」
わたくしは子供がイヤイヤするように首を振ってしまいました。
「トーマスは? トーマスは帝都に戻るの?」
「私は一足早く南領の領境の守護に着く。そこから東領に攻め入る可能性が高い。東領臣民からテーラ家が東領を侵略しているように見えないように工夫はするが……」
テーラ家が兵を出すことにしたということは、東領政治の混乱が臣民に影響をおよぼし始めたということでしょう。
「民が苦しんでいるのですか?」
「今のところ、窃盗が増えて治安が悪化しているとか、生活が苦しい人が増えているレベルだ。飢餓状態に陥っている民はいない」
「不戦のテーラが侵略だと誤解されるかもしれない段階で兵を出すのですか?」
責めているわけではありません。
心配しているのです。
民に余裕の残った状態で兵を出したら、南領の時の様に感謝されないでしょう。
恨まれるかもしれません。
「仕方ないさ。人が死に始めてからでは遅いだろ」
この後、トーマスは、アレクシア姫が戻った時は母とマイクロフトの元に避難するように重々言い聞かせてから、アルキオネ離宮を去りました。
わたくしは、トーマスのことを心の底から心配している自分に気付いてしまいました。
翌年、シオンが陛下の血を引くシオン・イースティア・テーラとして表に出ました。
帝立学園の入学式で偽者のシオン公子の断罪劇を演じると、北領領主代行のノルディック卿に東領貴族からの亡命歎願が殺到しました。
このタイミングでノルディック卿一家が失踪し、梯子を外された悪い東領貴族たちは大混乱に陥りました。
マイクロフトは、トーマスとクリストファー公子が作った敵と味方の仕分けリストを参考に一部亡命を受け入れましたが、殆どは却下されました。
北領に亡命者として受け入れてもらえなかった貴族達は、東領の旧正規軍を率いて北領に侵攻してきました。
再び武力による戦いが始まりました。
トーマスが教えてくれた通りになったのです。
権謀術数のテーラ家。
どこまでが予測で、どこからが策略なのでしょうか?
テーラ家から二人の皇子が速やかに挙兵して、トーマスは南領側から、ルイス殿下が帝国領側から東領を征服していきました。
北領側は、侵攻はせず、領境防衛のみです。
指揮官は「無菌室の姫」のアレクシア姫で、その間の北領執政は「無菌室の皇子」だったマイクロフトが担いました。
領主夫妻は既に亡く、惣領のカール様は帝立学園に在学中で留守、北領領主代行は一家で失踪。
北領はとても弱そうに見える状態でした。
もちろん、罠ですよ?
敵勢を東領の北側におびき寄せる為の罠です。
アレクシア姫が率いているのは、北領の正規軍です。
1都4領で最強の正規軍です。
しかも、「北領の至宝」アレクシア姫が御自ら東領との領境守護に出陣したのです。
北領正規軍の戦意は、爆上がりです。
北領軍が負ける要素がありません。
わたくしはトーマスの言いつけ通り、母上と一緒にマイクロフトの庇護下に入りました。
でも、わたくしはトーマスが心配で、心配で、よく眠れなくなりました。
まだ好きだったのだわと、自分で自分に呆れました。
アレクシア姫にタイミングを見計らってもらい、わたくしがトーマスの胸に飛び込むことができたのは、東領紛争の2年目のことでした。
「ヴァイオレット、進軍中は前線にいるトミーの邪魔になりますから、会いに行くのはイーストールを取ってからです」
わたくしがトーマスのところに行きたいとアレクシア姫に相談すると、南領紛争の際に帝室の領境に侵入してきた東領軍らしきものを撃退した経験を交えて説明してくれました。
領境守護のように前線を固定して守るのと、進軍して征服を進めるのでは勝手が違うそうです。
ルイス殿下とトーマスがイーストール城を制圧した後、イーストール城の防衛の段階に入ってから、わたくしをトーマスの元に送ってくれました。
アルキオネ離宮での籠城訓練が役に立つとのこと。
アレクシア姫は、こうなることを予見してわたくしとトーマスにアルキオネ離宮の守護を任せたのでしょうか?
「ヴァイオレット、大丈夫です。わたくしの調べでは、トミーに恋人はいません。いきなり抱きついて、カノジョづらをして、周りを取り込むのです」
何が大丈夫なのか、全くわかりません。
あなた、どこからそんな知識を得たのですか?
えっ!?
マチルダ姫?
ホントに??
「オードリーの『南領の乙女』のお芝居を覚えていますか? 双子の姉ヴァイオレットも同じことをするのです」
ん?
シオンのは、お芝居じゃありませんよ。
本気の求婚ですよ。
「あの時、周囲の人々は『南領の乙女』に非常に協力的でした。美人は得です。最大限に利用しましょう」
アレクシア姫、時折、驚くほど狡猾ですね?
わたくしは圧倒されて、思わず頷いてしまいました。
「でも、泣き落としよりも、好き好き言ってゴリ押しする方がオススメです。泣かれたら宥めて追い返せますが、ニッコニコで『しゅき、しゅき、だいしゅき』などと言われ、幸せそうな顔をされてしまうと絆されるのです」
なんですか、それ?
もしかして、シオンとルイス殿下の対比ですか?
あの究極の他人行儀なルイス殿下が、アレクシア姫の前ではニッコニコで「しゅき、しゅき、だいしゅき」と甘えるのですか?
恐ろしい。
シオンに勝ち目があるのでしょうか?
シオンの敵はマイクロフトではなかったのです。
「よいですか、かわいいは正義なのです。その路線で攻めるのですよ」
アレクシア姫は、甘えてくるルイス殿下がかわいいのですね?
イーストール城に入ったわたくしは、覚悟を決めて、トーマスを見るやいなや駆け寄って、胸に飛び込みました。
勢いは大事です。




