ヴァイオレット12
「父上、いえ、東公が貴方を人質に取っていないと分かったのです。陛下も少し動きやすくなるのではないでしょうか?」
シオンに印章を返却しながらアルバート陛下とのやり取りを報告すると、シオンは少しホッとしたように言いました。
「あんなゴミ溜めのようなところには全く興味がないけれど、今の北領の姫はこれの持ち主との婚姻が最も政略的価値があるからね。個人的には戻ってきてよかった」
ゴミ溜め。
酷い言い方ですが、事実です。
20年ほど昔、アルバート陛下がソフィア妃と結婚したいがために粛清したお金に汚い帝国貴族たちが東領に押し寄せたことで、東領は腐敗しました。
ゴミの不法投棄は、近所迷惑です。
母上の防衛力不足ではありますが、ゴミを押し付けておいて、何が「本物のイースティア家に東領を取り戻してほしい」でしょうね?
陛下はおかしなことをおっしゃいます。
これに加え、今回、アレクシア姫が粛清した権力に汚い貴族たちも東領に押し寄せるでしょう。
北領の権力に汚い貴族たちは、東領の陰謀でそそのかされて調子に乗ってしまった貴族たちですから、こちらは痛み分けと言ったところでしょうか?
北領には権力に汚い貴族がいなくなった代わりに、大量の善良な貧乏人たちが押し寄せてきましたのでどっちが貧乏くじなのか分かりません。
南領紛争が終結し、北領正規軍は北領防衛に戻り、移民は北領に入れなくなります。
南領紛争の残党も東領に流れるでしょう。
もう、ゴミ溜め以外の何者でもないのが東領なのです。
暗い未来しか見えないなか、唯一わたくしが楽しみにしていた隠密姉妹たちとの2回目のお茶会は、オードリー扮するシオンも主たるアレクシア姫も一緒で、総勢7名。
シフォネのアイデアで、円卓の騎士をイメージした美しい円卓に着飾った令嬢達が集う様子は壮観で胸が震えました。
しかし、議論が紛糾して和やかとは言えないお茶会でした。
7人目の姉妹がマーガレット・サマーに決まったのです。
マーガレットは、アレクシア姫の悪口を拡散しまくっていた令嬢でしたから、影武者姉妹たちから毛嫌いされていました。
わたくしが北領に入った時にはマーガレットは既にアレクシア姫を崇拝していましたから、個人的には悪感情はありません。
でも、影武者姉妹たちにとっては「では今日から姉妹ね」という気分には到底なれなかったようです。
「マーガレット姉様は、ルイス殿下に刃を突きつけられても黙秘を貫いたそうです。現在の忠誠心は確かです」
あのルイス殿下が令嬢に刃を?
アレクシア姫の言葉に耳を疑いました。
姉妹の参加テストの中では最も過酷な試練をクリアしたのですから、入れてあげてもいいような気がしましたが、新参者のわたくしは沈黙に徹しました。
最初に折れたのはオードリー、つまりシオンでした。
「実際に影武者として活躍しているのはかの令嬢だけですから仕方がありません」
後で気付いたのですが、これはルイス殿下のことを毛嫌いしているマーガレットをアレクシア姫の傍に置くという姑息な目的だったように思います。
シオンが折れたので、他の4人は従うしかありませんでした。
マーガレットはケラエノになりました。
帝立学園でのマーガレットの平民名は、マギー・ケラエノです。
とはいえ、誰もマーガレットに、この家名の意味を教えてあげなかったので、マーガレットは学園でこの家名を名乗ることがなく、サマー侯爵家の令嬢であることがバレバレだったようです。
わたくしはマーガレットに恨みはありません。
でも、姉妹たちの気持ちもわかるので、わたくしも教えてあげませんでした。
そして最後の最後にオードリーがゴネにゴネてマーガレット論争は吹っ飛びました。
英雄アリスター・ノーリス子爵令息が伯爵位を賜り、ノーリス子爵家から独立することになったことを聞いた姉妹たちが改姓を主張したのです。
影武者姉妹たちは、マーガレット・サマーがアレクシア姫に与えたノーリスという家名を嫌っていました。
ノーリスは「北領人」という意味で、名付け方が雑過ぎるのが不評の理由です。
女性の「嫌い」は、怖いものがあります。
マーガレットがアレクシア姫に関わったことは、全て気に食わないようでした。
アレクシア姫はとても気に入っていたように見えたので、少しかわいそうでした。
「7姉妹は全部埋まっていますから、わたくしは『アトラス』にしようかしら?」
この何気ない言葉に、オードリーが猛反発しました。
「ダメです! 姫様が『アトラス』なら、わたくしは『プライオネ』に変えてください」
アトラスとプライオネは、7姉妹の両親です。
北領人にとっては「冬の星は綺麗よね~」みたいな軽い感覚のようですが、東領人にとってはそこにはストーリーがあるのです。
姉妹たちは、オードリーがゴネる様子を微笑ましく眺めていました。
マーガレット・サマーが英雄アリスター・ノーリスと「特別な関係」のように噂されて、オードリーがキレていると勘違いしたからです。
アリスター卿がアトラスという妻を持つ男性キャラを家名にするなら、自分はプライオネ夫人を家名にしたいと望んだ、と。
オードリーの姉妹のヤキモチだと微笑ましく受け取られていましたが......
違います。
普通に男女のヤキモチです。
シオンはマイクロフトが「アトラス」の妻である「プライオネ」に迎えられることを恐れて断固抵抗したのです。
マイクロフトの帝室の個人意匠は星です。
星座ではなく、星です。
プライオネも星座の名前ではなく、星の名前です。
シオンは過敏気味になっていたのでしょう。
自分が「プライオネ」になれないのであれば、「アルキオネ」を譲るからアリスター卿を「アルキオネ」にしてくれと、ゴネにゴネました。
今までオードリーがワガママを言う姿を見たことがなかった姉妹たちは、オードリーに賛成しました。
オードリーは間違いなく普段から沢山ワガママを言っていると思いますよ?
人前で見せないだけで……
いえ、わたくしも賛成しましたよ。
トゲトゲでも、血が繋がっていなくとも、弟ですからね?
応援していますよ?
シオンにとってマイクロフトがそんなに大きな脅威だとは、信じがたいものがあります。
でも、まぁ、似たような顔で「トゲトゲ」と「ぽやぽや」ですからね……
ごめんなさい、シオン。
わたくしだったら、「ぽやぽや」を選びます。
貴方の為にアレクシア姫がそうでないことを祈ります。
「では、わたくしをアルキオネに入れてください。戸籍なんだから二人いてもいいでしょう?」
そうして、アリスター卿と南領の乙女オードリーはめでたくアルキオネ夫妻になりました。
まだ年齢が足りていませんから、正式に結婚することはできませんが、アリスター卿をアルキオネ籍に養子入りさせた上で叙爵されており、二人は姉弟ではありません。
シオンは、アレクシア姫とマイクロフトが姉と弟のシャムジー籍を共有していることに猛烈なヤキモチを焼いていましたから、姉弟では絶対に満足しませんでした。
究極のモテ皇子ルイス殿下からの寵愛の噂は完全にスルーしていたシオンですが、マイクロフトはめちゃめちゃライバル視していました。
戦うべきところを知る男、なのかもしれません。
あるいは、大いに間違えているか……