マーガレット9
アレクシアは、麗しい姫姿でカール様の帰還を迎えたあと、姿を消しました。
研究者たちが避難路で作った保存食を南領各地に配布できるよう目録を作ってくると言って、アリスター姿で避難路に入った後、なかなか戻って来ませんでした。
わたくしはカール様に許され、正式にアレクシア姫の影武者に任命されました。
そして毎日アレクシア姫の格好でめしょめしょ泣きました。
わたくしが毎日めしょめしょ泣くので、研究区域の移民たちがアリスターが行方不明になったことを察して、森に入ってアリスターを探すと騒ぎ出しました。
困ったカール様は、偽アレクシア姫であるわたくしを南領のナンチャンまで「平和の使者」としてお遣いに出し、移民たちに「アレクシア姫がアリスターを迎えに行く」と言って宥めました。
「ちょっと怖い思いをするかもしれないけれど、殺されることはないと思う。ナンチャン城につけばアリスターが迎えに来るだろうから、そこで姫っぽく振舞って待っていなさい」
わたくしは泣くのをやめて、すぐさま旅立ちました。
北領と帝国領の国境で、白服の指揮官であるテーラ帝室の皇太子ルイス様が、自らアレクシア姫の護衛の為に待っていてくれましたが、すぐにそのルイス様に殺されそうになりました。
「本物のアレクシア姫はどこへやった」
ルイス様は挨拶代わりにわたくしの首元に剣を当てたのです。
怖かった。
3年前に北領領主夫妻の葬儀にお見えになった、世にも美しい皇子様が恐怖の大魔王に見えました。
わたくしはカール様の言っていた「ちょっと怖い思い」がこのことだとすぐに気づいて、黙秘を貫きました。「殺されることはないと思う」ともおっしゃっていましたが、そこはどうでもいいことでした。
ルイス様がカール様からアレクシア姫の失踪について予め聞かされていないことが、わたくしにとって一番重要な事実でした。カール様にとってルイス様は味方ではないかもしれないのです。
絶対にこの方に口を割るわけにはいきません。
積み荷は全て検められました。
「くそっ。また謀られた」
積み荷の中にあったルイス様あてのメッセージカードを読んで、皇子様らしからぬ汚い言葉を吐き捨てた後、メッセージカードが入っていた宝石箱から一対のピアスを取り出して、その場で身に着けられました。
帝室の皇子様がまさかの宝石泥棒?
わたくしは心の底から驚きました。
でも、それが、アレクシアの瞳の色のピアスだったことで、カール様とルイス様の間に何らかの協定が成立したことを理解しました。
カール様はルイス様が「謀られた」とお怒りになるようなことをして、その詫びとしてアレクシアを差し出すことで許されたように見え、涙が出ました。
それがカール様のご意志であるならアレクシアが喜んでその身を差し出すだろうと思えば、あふれる涙を止めることができませんでした。
「マーガレット嬢、だね? 怖い思いをさせてすまなかったね。大丈夫だよ。私も然るべき時までアレクシアを北領に留め置くことに協力するから」
キラキラ皇子に戻ったルイス様の言葉を聞いたわたくしは全く大丈夫な気がしませんでした。
しかし、目下、アレクシアを北領に戻すというカール様のご意向に沿っているのであれば、この恐ろしい皇子と協力するしかありません。
この美しい皇子は、世の中の令嬢達が憧れ慕うような柔和な方ではありません。
然るべき時とやらにこの皇子にアレクシアを渡さないで済むように、わたくしは強く賢くなるしかありません。
わたくしは涙をぬぐって、立ち上がりました。
アレクシアをお嫁にあげられる殿方は、アリスター以外にないように思えました。
バカなことを言っていることは分かっています。
同一人物ですから。
でもいつの日か、アレクシアの前にアリスターのような殿方が現れる日まで、この皇子からアレクシアを守らなければなりません。
力をつけなくては。
ナンチャンの城に到着し、迎えてくれた悲劇の公子マグノリアは、誰よりも年上の16才でしたが、誰よりも幼く見えました。
その赤髪赤眼の男の子は、両親を失って絶望していた頃のカール様のようであり、どこか壊れたアレクシアのようでもあり、それでいて2人よりも前向きに足掻いているような、2人にはない何かがありました。
「へぇ~。人が電撃的に恋に落ちることがあるっていうのは、本当だったんだね~。いいもの見させてもらったよ」
この人にしかない何かを観察していたら、その少年に魅入っていると解釈されてしまったらしく、帝国皇太子ルイス様の気の抜けた感想が降ってきました。
恋?
これは、恋ではありませんよ?
心の中ではまったく褒めていませんよ?
どちらかというと「この人が一番支えが必要そうだな~」頼りなく感じていましたよ?
この方は恐らく最も前向きでありながら、最も頼りないのです。
「うーん。カールの使者としてナンチャン入りしたアレクシア姫が東領の遺児マグノリア公子と電撃的な恋に落ちて結ばれるってのは、民が好みそうな美談ではあるけど、私にとっては都合がわるいんだよね」
この方は南領の領主一家の唯一の生き残りです。
北領の姫との婚姻は、強い後ろ盾にもなります。
でも、ダメです。
マグノリア公子は、アリスターになりえません。
そんなことを考えていたら、本物のアレクシアの来訪が告げられました。
ナンチャンについた瞬間に迎えに来てくれるなんて、嬉しい!
「殿下、南領の平民アルバートジュニアと申すものがアレクシア姫にお目通りしたいと」
アルバートジュニア!?
アレクシアのクマの本当の名前です。
ルイス様は渡された身分証を見て、プッと噴き出した後、その身分証をわたくしに見せてくれました。
「この子は、北領の隠密ですか?」
それは、ちょっと変顔というか、猛烈に映りの悪いアレクシアの顔写真の入った南領の身分証でした。
「南領? 平民? アルバートジュニア!?」
壊れたアレクシアは、もっと壊れたのか、南領の平民になっていました。
ここはまずルイス様に協力してでも、北領へ連れ帰らなければなりません。
わたくしはマグノリア公子にエスコートされ、応接室に入り、南領平民アルバートを待ちました。
しばらくすると、南領の庶民服姿のアレクシアが通され、駆け寄ってきました。
アレクシアの後ろからこっそりルイス様が入って来て衛兵の影から様子を伺っています。
わたくしたちが話しやすいように気を使ってくれたのでしょうか?
「アレクシア、無事でよかった!」
それはわたくしのセリフです。
わたくしの返事を聞く間もなく、マグノリア公子に向かって話し始めました。
「姫を保護していただきありがとうございます。私はアレクシア様付きの隠密です。こちらは北領の科学者たちが帝国の森で採取・狩猟したものや南領の農民から買い取った食物で開発した保存食の目録と保管場所です。味は酷いモノもありますが、この冬を超えるに十分な量は確保していますので、お納めください」
それからもう一度、わたくしに話しかけました。
「アレクシア、すぐに動ける? 歩きやすい靴を持っている? この時期には帝国の森は危険度が増すから君を連れて帰るなら急がなきゃ。昨年は夜眠れなくてひどい目に合ったんだよ。なんで寄りにもよってこの時期に来ちゃうかな……」
本物のアレクシアよ、主人にタメ語の隠密がどこにいますか?
あ、いました。
アリスターならやりそうです。