ヴァイオレット5
アレクシア姫は兄君と共にテーラ宮殿に預けられていると聞いてホッとした。
兄君が凶化した時にあれだけ必死にしがみついていた子だ。
さぞや心を痛めているだろう。
あの時のことを思い出して、少し涙が出た。
上の学年ではルイス殿下が学園を休むようになっていた。
アレクシア姫についてあげているらしい。
3週間後、カール卿が意識を取り戻したと聞いて、心の底から嬉しく思った。
さぞや喜んだことだろう。
でも、ご両親は帰ってこない。
私の母上は倒錯して生きていないに等しい。
私の父上は私のことを利用してトーマスに魅了薬を盛らせていた疑いがある。
私の弟は多分もう生きていない。
孤独の何たるかがわかるからこそ、私に友好的だったアレクシア姫に兄君が戻ってきたことがとても嬉しかった。
ルイス殿下は、カール卿が意識を取り戻した後も学園を休み続けているらしく、怒ったリリィ姫が私達の学年の教室までトーマスにいちゃもんをつけに来た。
アレクシア姫の子守を代わってやれ、と。
これは私も疑問に思っていた。
アレクシア姫はトーマスの友人「闇のアリスティアちゃん」だ。
トーマスは何故アレクシア姫のお世話を買って出ないのか?
「誰でもお傍に侍ってよい方ではないから私はお目に掛かったことがない」
トーマスの言葉を聞いて私は猛烈に不安になった。
私がすり替えたミレイユ姫のお菓子には、魅了薬が入っていたのではないか?
ルイス殿下は魅了薬の影響下でアレクシア姫に会ってしまったのではないか?
誰でもお傍に侍ってよい方ではないというのは、アレクシア姫がルイス殿下に惚れられてしまって皇太子妃候補になったからではないか?
無菌室の姫だとか、北領領主と同等の貴人だとか他の理由がつけられていたが、それにしても会わせても貰えないのはおかしい。
ルイス殿下のお妃候補になったがために、惚れっぽいトーマスは遠ざけられているのではないかと思った。
それに、あの完全無欠で人を寄せ付けないルイス殿下が貼りついてお世話をしているなんて、異常だ。
アレクシア姫はぶっちゃけ地味だ。
天性の気品というか品格は抜群だが、かわいくはない。
話し方も端的で、知性を感じるほどでもない。
ルイス殿下が惚れるような魅力は全くない。
魅了はまだ解けていないのか?
もしかしてルイス殿下はアレクシア姫に何か取り返しのつかないことをしてしまったのではないか?
最悪、アレクシア姫はルイス殿下に魅了薬を盛った容疑で貴族牢に入れられているかもしれない。
そんなことが頭をグルグルと巡り、眠れない夜が続いた。
私は気を紛らわすために、必死で勉強した。
リリィ姫が父君を利用して宮殿に突撃した時、二人が手を繋いでいたと聞いて、ルイス殿下の魅了薬罹患の疑いがグッと深まった。
その更に後に、偽のミレイユ姫が面会した時の和やかさから、投獄や取り返しのつかないことをされてしまった線はなさそうだと、胸を撫で下ろした。
最後に西領のマチルダ姫は、訪問の後、争奪戦から降りたように見えたことから、ルイス殿下はアレクシア姫を手放さないかもしれないと不安に思った。
兄君が大好きなアレクシア姫にとっては大迷惑なことだろう。
私だってアレクシア姫が兄君と結婚出来ないことは知っているが、せめて北領に残してやりたい。
皇帝を引退するまではテーラ宮殿に暮し続けるだろうルイス殿下では、絶望的だ。
しかも、ルイス殿下は帝都で最も人気の高い最高級の皇子様で、「皇太子妃の座」争奪戦は熾烈。
既にアレクシア姫は、ズルしてルイス殿下に構ってもらっていると非難されていた。
魅了薬で心を奪ったとバレたら、どんな窮地に追い込まれることか。
ああ、なんてことをしてしまったんだろう。
私は将来、シオン公子としてアレクシア姫を娶って東領に隠すことを心に決めた。
密かに北領で暮らすことを許してもいいだろう。
政略としても悪くない。
魅了されているルイス殿下の魅了がいつ解けるのかわからないので、念の為に解除魔法も学んだ。
学園の勉強、領地の治世学だけでなく、魔法学、主に精神魔法学を必死で学んだ。
ルイス殿下は魅了が解ければ、アレクシア姫への執着をなくすだろうと思った。
私とアレクシア姫じゃ、女性同士で子供が出来ないが、父のような種馬を探せばよいのだ。
きっと上手くいく。
そう信じて頑張った。
数年の後、南領の領主一家が無国籍軍事集団に襲撃されて命を落とした。
偽のミレイユ姫はテーラ宮殿に預けられ、私はイーストール城に戻された。
偽のミレイユ姫はルイス殿下のお妃への道を着実に歩んでいるように見えたから、時間が経ってルイス殿下の魅了は解けたのだと安堵した。
あとは、シオン公子とアレクシア姫の縁談を打診できるように、東領惣領としての地位を確固たるものにしなければならない。
トーマスからはガリ勉だと呆れられたが、私はとにかく勉強した。
離宮へ赴き、母上と再会し、もうダメだと理解した。
完全に虚ろで、私を認知できないようだった。
久しぶりのイーストール城は、父の新しい奥方の好みに合うように人が入れ替わって、知っている人がいなくなっていた。
アレクシア姫が言ったようにトーマスに頼るべきだっただろうか?
心細くて仕方がなかった。
だから、アレクシア姫がイーストール城の私の部屋に忍び込み、救出に来てくれたことが、凄く嬉しかった。
着せられもしないドレスを持って来て着せようとしたことが、履かせられもしない編み上げ靴を持って来て自分の足を見て同じ様にやれと言ってくれたことが、そして名前を取られてしまった私に新しい名前をくれたことが。
凄く、凄く、嬉しかった。
ヴァイオレット。
母上の名前と同じ花だ。
花の名前で、色の名前で、紫色で、女の子っぽい。
アレクシア姫の先導に従って黙々と歩きながら、その新しい名前を何度も心の中で繰り返し唱えて噛みしめた。




