ルイス前編10
翌春、アリーは約束通り私の入学に合わせて北領の平民アルとして帝立学園に入学してくれた。
南領惣領マグノリア公子改めルカとその婚約者のマギーも一緒だ。
北領のカールが翌年帝立学園に入学することが公表され、今年の3人は露払いに来たノーザンブリア家の近衛だと称している。
アルがカール付きで、マギーとルカがアレクシア付きだという設定で、校章の横にそれぞれの主人の紋章の襟章をつけているから、学園へ通うことは任務の一部だという意思表示だろう。
マギーとルカは皆勤で学園の方が主任務、カール付きのアルは休みがちだから努力任務といった雰囲気だ。
3人とも主の入学を阻止するために学園の悪口を報告しまくっていると明言している。
そのおかげなのか、学園内でのいじめ、からかい、イヤミの応酬が激減した。
あまりにも率直に学園の悪いところを指摘するので、逆に好感を持たれて、親切にしてもらえているようだ。
カールからの手紙にルカとマギーの入学に関しては、二人が将来、南領に戻り領地の管理を始める為の人脈作りが目的だと書いてあった。
支援して欲しいとも書いてあったが……
3人は放課後、学園のカフェテリアでお茶を飲むことを日課としており、マギーの社交手腕で3人とお茶を飲みたがるファンを増やしていたので、私がサポートするまでもなかった。
そして、アルは私の知っているアリーではなかった。
「帝室の侍女は『北領の近衛』が自分の命令を聞くと思っているのか? 教育を受け直した方がいいよ」
入学して間もない頃、北領の平民アル扮するアリーと私が「横並び」で歩こうとしたことについて、ミレイユ姫がアルを窘めた。
この時アリーは速やかに反撃した。
「北領の近衛」は、皇族と東西南北4領の領主一家なら全員が知っているアレクシア姫の自称だ。
太陽と並び立つ月と評されている偽ミレイユ姫を「帝室の侍女」呼ばわりしたことが生徒達を震撼させた。
わたくしを見て誰かわからないなんて勉強不足だ。
お前の命など受けぬ。
そんな風に言ったように見えた。
北領領主夫妻が亡くなったばかりの頃、偽ミレイユ姫のイヤミに忍耐強く無難な返答に徹した立派なアレクシア姫とは全くの別人だった。
アルは、西領惣領クリストファーと仲が良かった。
互いに遠慮がない爽やかでテンポの良いやり取りが聞いていて楽しく、好感を得ていた。
クリスは単独では不愛想な印象で、人好きのするタイプではないが、アルとのやり取りで彼個人を見直す者、西領への印象を変える者、西領に様々な良い影響をもたらした。
政治的には、北領の姫は、南領惣領とその婚約者と行動を共にし、西領惣領と友好関係を築きながら、学園のパワーバランスを変えていったと言える。
帝室は?
私は?
私は寂しかった。
私は、偽者の監視役だ。
しかもこの熟練の偽物は全くボロを出さない。
とうとう寂しさに耐えかねた私は、文化祭の最終日、キャンプファイアーを囲むダンスにアルをムリヤリ引っ張って行って、一緒に踊ってもらった。
自分でも強引でクソだなと思ったけど、どうしてもアリーと踊りたかった。
純粋にアリーが恋しかった。
彼女の瞳に見つめられたかった。
そう切望したのが伝わったのだろうか?
踊っている間だけ、少しだけアリーに会わせてくれた。
「どうしたらアレクシア姫は、お嫁に来てくれるのかな?」
アリーは、一瞬、困った顔をした後、それを誤魔化すように微笑んだ。
アリーの作り笑顔、ショックだ。
「陛下は殿下に何もお話なさっていらっしゃらないのですか?」
「お話って、婚約の解消のこと? それなら父上は承諾して、正式な手続きは母上が進めるということになったよね?」
まさか、本当に解消されたと思っている?
父上からの連絡で十分に解消についての合意は形成されているかもしれないけれど、手続きは終わっていないことを、知らないとか?
「それだけではありません。わたくしのこと、北領の姫のこと、帝室と北領の関係のこと、北領と東領の関係のこと、東領のこと、南領のこと、ソフィア様のこと、ミッキーのこと、スミレ様のこと、ミレイユのこと、シオンのこと、継承者のこと、何故世の中がこんな風になってしまったのかということ……」
言葉が進むにつれて、微笑みは消え、困ったような、泣きそうな、懇願するようなそんな表情が浮かんできて言い知れぬ不安が襲ってきた。
「そんなに沢山のことが私と君の関係に影響すると?」
「はい。殿下。全てのことが影響した結果、わたくしと殿下のご縁はもう、どう考えても……」
「アレクシア姫、どうしてそんな……」
「殿下、殿下はテーラ家のお方です。それらはわたくしの口から説明してはならないことなのです。どうか、陛下とお話しください」
泣くのを堪えて鼻の頭が赤くなっている。
また怖がらせてしまったかな?
もしかして、私との縁に光が見えないことを悲しんでくれている?
ああ、こんな顔が見たかったんじゃない。
私はそう思って、話を変えた。
「父上とは話をしてみよう。ところで、短い髪も見慣れたら、愛らしいね。よく似合っているよ」
「はい。さっぱりとして気に入っているのですが、一部では絶不評です。この一年が終われば再び伸ばし始めるしかないでしょう」
アリーも話を切り替えるのに乗ってくれた。
それでようやく笑顔を見ることが出来た。
宮殿に帰った後、私は父上に謁見して、話を聞こうとしたが「今はまだその時期ではない」と言われただけだった。
文化祭の後、アリーは数回だけ私と並んで学園内を散歩してくれた。
甘い話はなく、政治的な情報交換や南領の復興状況、移民を抱えた北領の経済状況の話題に終始した。
ほんの少しだったとしてもアルではなく、アリーとして私と話をしてくれる時間が持てて嬉しかった。
「父上に聞いてみたら『時期が来れば、私が聞きたくないことも含め、全てを引き継がねばならないから、今はまだ何も知らないままで、どうか人生を楽しんで欲しい』と言われたよ」
「そうですか。もどかしいですね。学生の間は『猶予期間』とのお考えなのでしょうか?」
「そうかもしれない。君やカールには『猶予期間』なんてないし、私にも要らない。そう言っているのに……」
アリーのいない人生なんて、楽しめる気がしなかった。
それでも何度頼んでも父上が口を開かないものは、どうしようもなかった。
翌年、カールが入学し、アリーは去った。
領主夫妻を亡くした後、ノーザンブリア家は、北領の大使館の役割も持つ公邸を一つ残して帝都から撤収した。
北領貴族たちもそれに続き、この5年間、帝立学園に通う北領学生は皆無だった。
6年間の沈黙を経て、北領惣領のカールが入学した事は、学園内外問わず大きな話題となり、入学式に記者たちが押し寄せた。
マチルダ姫との笑顔の立ち姿が表紙を飾り、アリーの嫁取り計画が周到且つ順調に進んでいることが伺えた。
カールの入学からまもなく、西領の正装に茶色のカツラ姿のアリーが学園の食堂に突撃してきた。
私が会う時は黒衣を着ていたことがない。
可愛らしい姫姿だった。
しかし、ウェストリア家のサッシュを掛けて、近衛まで引き連れて来たから、クリスと婚約したのかと思って、焦った。
アリーは、ウェストリア家の二の姫を名乗った。
お姫様ごっこだというので、お姫様だっこで馬車に連れ込んだ。
私は会うたびにアリーの嫌がることしかしていない気がする。
抱っこのまま馬車に入り、そのまま膝の上に収めて抱きしめたら、私の全身全霊がアリーを解放するのを拒んだ。
ずっとこのまま抱きしめていたい。
「ごめん。アリー。もうムリ。君を離したくない」
言葉が口からするりとこぼれ出た。
「きっと今が踏ん張りどころなのです。ルーイ」
え?
今、ルーイって?
ルーイって言ったよね?
私はアリーの拘束を緩めて、アリーの顔がこちらに向くように首裏から頬までを手で支えて、私の大好きな水色の瞳を覗き込んだ。
「アリー、私のこと、思い出したの?」




