ルイス前編5
目を開けているカールを最初に見た時のアリーのことは忘れ得ない。
ふぁ~っと息を吸って、信じられない奇跡を見るように口を開けたまま、私の方を見た。
私が微笑みかけると、涙をボロボロ流して、繋いでいた私の手をギュッと握った。
私はアリーはカールに駆け寄って抱き着くんだと思っていたが、実際には私の手をギュッと握ったまま、恭しく淑女のご挨拶の口上を述べた。
繋いだ手から緊張が伝わって来て、私は不謹慎にも笑ってしまった。
アリーは帝国皇太子の私よりも北領惣領カールに会う時の方が緊張するようになっていた。
かわいい。
北領の教育方針が、よく理解できた。
私には弟たちしかいないけど、もし帝室に姫がいたら、ふんぞり返ってただろう。
でも北領では、姫は惣領への忠誠を誓うんだね?
身代わりになって惣領のために死ぬことが名誉なんだね?
惣領には週に一度しか会わせてもらえないんだね?
でもカールは優しいから、その機会を使って出来るだけ長くアリーと遊んでくれるんだね?
それでカールが大好きなんだね?
私は「よくご挨拶できたね?」と言葉で伝える代わりに、アリーにニッコリと微笑んだ。
アリーは、微笑みを返してくれた。
私たちの様子を見たカールは、驚いた。
まぁ、分かる。
私たちの方が兄妹みたいだ。
起き上がろうとするカールに、片手をあげて「免礼」を示して、アリーの手を引いてカールに近づいた。
そうしなければ、アリーはカールに近づけないのだ。
私には遠慮なくしがみついて離れないのに。
おかしくて仕方がない。
かわいくて仕方ない。
毎日、朝夕2回、アリーと手を繋いでカールのお見舞いに行き、帰りに庭園を散歩する日々は、私にとっては至高の幸せだった。
でもその幸せがアリーの不幸の上に成り立っていることが残念でならなかった。
カールが目覚めてからは、母上が抱いて寝る代わりに巨大なクマのぬいぐるみを与えた。
アリーは、それにしがみついて眠った。
悪夢の種類が少し変わって、最後のお見送りの時に、ダダをこねて行くのを止めてもらう夢が増えたようだった。
「父様、母様、行ってはダメです。危険です。どうか、どうか、行かないで」
姫の幼い頃からの世話係をテーラ宮殿に置くことを許して、アリーがうなされていれば起こしてあやしてもらうようになった。
日中は私の目の届く場所で典医から精神魔法の治療方法を学んでいた。
とても熱心だったし、集中力もあって、努力家なことが伺えた。
ゲームに誘えば喜んだ。
私がズルい手を使うと尊敬のまなざしを向けながら喜んだ。
アリーは絶対に負けてあげない私を非常に気に入っているから、負けないように頑張った。
アリーは、心理戦が好きだ。
私の表情をつぶさに確認しながら慎重に手を進めた。
私はアリーに見つめられると堪らなく嬉しい気持ちになった。
私の考えを読もうと、私の感情を読もうと、私の中身を探ろうとする水色の瞳が心地よかった。
母上は言葉を教えた。
アリーは、辞書で言葉の定義を読んだあと、その言葉の多面的なとらえ方について考えるゲームが大好きだった。母上のへそ曲がった解釈を聞くと世界が広がるようだとうっとりした。
「ソフィアは、良くない言葉ばかりを教えてくれる悪魔的な美女ね」
もう、かわいくて、かわいくて、仕方がなかった。
正直に忌憚なく言葉にすると、アリーは顔はそこまでかわいくない。
利発な帝都の令嬢達と比べると劣って見える。
でも、この子が利発じゃないから、この子が競争しないから、私も気を楽にできる。
私が私として素の姿で接することが出来る。
そして、私の素の姿を最もよく知る家族が、アリーと一緒に過ごす時間が長い「血のつながらない母上」となった。
皮肉だな。
カールは目を覚ましてまもなく、南領、東領、西領の領主たちの訪問を受けた。
領主たちはそれぞれ姫達を連れてきた。
南領のリリィ姫の時はふいうちだった。
北領領主夫妻が毒殺された日から、宮殿の庭園は関係者以外立ち入り禁止にしていたにも関わらず、リリィ姫はいつもの調子でズカズカと入ってきてしまった。
世の中が毒に敏感になっていた時期なので、流石にお菓子を持ち込むようなことはしなかったようだが、私自身も魅了薬を盛られたばかりで、リリィ姫に会いたい気分ではなかった。
その時点では、私に魅了薬を盛ったのはリリィ姫だと疑っていたから、彼女の姿を見た瞬間、私は緊張で身体が強張った。
アリーはそのことを察知して、私の手をギュッと握った。
「しっかり!」
そう言われているような気がして、グッと気合を入れなおして、とにかく最短でその場を立ち去った。
リリィ姫がアリーを怒鳴りつけていたように思えるが、私はパニック状態でよく聞いていなかった。
アリーは、ソファーでげっそりしている私を抱きしめてくれた。
いつもはお行儀のよいアリーが、靴を脱いで、ソファーに膝立ちになって、私を抱きしめてくれた。
私がアリーの身体を引き寄せてギュッとしがみつくと、私の髪を優しく手で梳きながら「ルーイは立派でした。ちゃんとキラキラ皇子様ができていました」と褒めてくれた。
「私、キラキラ皇子様なの?」
アリーの目にもキラキラして見えているのか?
「はい。胡散臭いぐらいにキラキラな皇子様です」
どうやら私のキラキラ皇子様スマイルはお好みではないようだった。
言い方が面白かったので、思わず笑ったら「もう、よかろう」といった雰囲気で私の頭に一つキスを落として、私から離れ、いつものお行儀のよいアリーに戻ってしまった。
失敗した。
もう少しげっそりしていれば良かった。
頭にキスを落とすのは、私のマネだろう。
アリーが隣に座っている時にたまにふらっと祝福のキスを落とすようになっていたから、それがテーラ式だと思って同じ様にしてくれたのだと思う。
私は幸せな気持ちがぶわっと溢れだした気がした。
宮殿の者たちは皆、実に良く私を支えてくれる。
でも、「心」を支えられたのはそれが初めてだったように思う。
アリーは何もかもが特別だ。
この子が大事でたまらない。
愛おしいとは、こういうことなんだろう。
続いて東領のミレイユ姫が来たとき、アリーの社交の実力を見せてもらった。
基本に忠実な模範的で敵を作りにくい受け答えだった。
別に人嫌いでも人を怖がっている様子もない。
最初に私のことを怖がったのは、精神魔法にかかった状態で胡散臭い皇子様スマイルを浮かべた男に近づかれたからだと腹落ちした。
それは怖がるべきだ。
正しい反応だ。
お見合いの前は「無菌室の姫」は社交が出来ないだろうから弟たち用で、私の妃はミレイユ姫になるんだろうと思っていた。
ミレイユ姫は、リリィ姫と違って距離を詰めてこないし、マチルダ姫と違ってふわふわして会話が成立しない感じでもない。
チェスも勉強してそこそこ強い状態でやってきたし、真面目な努力家という印象で、無難だった。
適当に話を合わせて時間を潰すのが最も簡単な相手という意味で、一番楽だった。
私はそれまで婚約者と言ったら、義務的にお茶をしながら、適当に話を合わせて時間を潰すイメージだった。
アリーは、適当に話を合わせるも何も、必要がなければ話をしない。
その沈黙がなんとも心地よく、非常に気に入っている。
私に寄りかかって魔導書を読んでいるのかと思えば、寝ていたりする。
マイペースで、好き。
嫌いなことはハッキリ言う。
ミレイユ姫が帰った後、私は猛烈にアリーに甘えたくなって、抱っこさせてと頼んでみたら、ぬいぐるみを買えと言われた。
ドライなところも、好き。
理不尽なことを言っている自覚はある。
他の令嬢達はアリーより優れている部分が多い。
でも、他の令嬢達は、私と一緒にいられる時間が限られている。
私と一緒にいたくない人は、私に会う機会が与えられない。
私の提案を断るという選択肢はない。断ればすなわち競争からの離脱だ。
私がそのように仕向けたようにも思う。
それなのにマイペースなアリーが心地良いとは、随分酷い話だ。
申し訳なく思う。
早期に婚約を発表して、無用な競争を止めてもらうことぐらいしかできないだろう。
それでも切磋琢磨、自分磨きをしたこと自体は彼女らの為になっていると思いたい。




