ルイス前編1
帝室テーラ家と北領ノーザンブリア家の緊張関係は、帝室にとってちょっとした課題だった。
帝室と北領には利害対立はない。
帝室は権謀術数を駆使して、中央に居座って踏ん反り返っていた。
北領は権謀術数を好まず、基本的に北に引っ込んでぬくぬくと過ごしていた。
スタイルの違い。
それだけだ。
北領がなけなしの人付き合いを見せるのは「帝立学園高等部」のみ。
西領や東領が領主の子女を帝都で育てるのに対し、北領と南領は顔つなぎ程度に「高等部」のみ子女を送る。
北領の姫に至っては高等部に出てきた記録が見つからなかった。
北領子女達は、多感な時期に帝都で田舎者だと散々バカにされて「中央はクソだな」と嫌気がさして、再び北領に籠るという悪循環で、とうとう帝国領と北領が「緊張関係」と評される段階に達してしまった。
この状況を打開するため、帝室はノーザンブリア家にアレクシア姫が生まれた瞬間に、すかさず婚姻の約束を取り付けた。
その時点で生まれていたテーラ家側の男児は私だけで、弟のトーマスはまだお腹の中だった。
だから、婚約はルイスとアレクシアの名で結ぶしかなかったが、相性や状況によっては別の皇子と変わることもあるという補足条項が付け加えられた。
帝室は皇太子の婚約を確定させたくなかったし、滅多に生まれない姫をぬくぬく育てたい北領も皇太子妃は嫌だったのだと思う。
両家は更に保険をかけて、婚約の発表はアレクシア姫が10才に至った時点と決めた。それが多くの貴族が婚約を結び始める年齢だったからだ。
そんな感じで私には2才の時から婚約者がいたが、非公開になっていて、「皇太子妃の座」争奪戦を静観していた。
私は結婚に理想を抱いていなかった。
父アルバートは、幼い頃にお見合いした相手への想いを抱き続け、策略を駆使して母ソフィアと結ばれたことになっているが、実際は違う。
私はソフィアの子ではない。
ソフィアは魔力無能者で、私は2属性持ちだ。
遺伝学よると、子供は父方から1属性、母方から1属性の魔法を引き継ぐ。
父アルバートは、火属性と風属性で、私は父方から風属性を引き継いだ。
そしてソフィアではない実母から水属性も引き継いでいる。
弟トーマスは火属性の単属性、マイクロフトは風属性の単属性で、ソフィアの子だ。
更に、父には顔が父そっくりの別の子がいるらしい。ソフィアの第一子トーマスと同じ年だ。
テーラ家の男は一途だと言われているが、父には当てはまらないようだ。
もしくは、テーラ家の男が一途だという定評すら、何代も続けてきた虚飾なのかもしれない。
だからなんだってことはない。
そんなの貴族には良くある話だ。
ただ、私は不誠実な男になりたくないから、潔癖と言われるほどに身綺麗にしていた。
そして、「皇太子妃の座」争奪戦という令嬢たちの激戦を勝ち抜いた令嬢と結婚しようと思っていた。
組織的に勝とうとする者、本人の求心力を存分に発揮する者、家のブランドが強い者、地道な努力家、絶世の美女、誰でもいい。
最終的に市井でこの令嬢が勝者だと言われるようになった令嬢なら、人気があって治世も楽だろう?
熾烈な争いだから、勝ち抜いた者には自ずと敬意が払えるだろうと思っていた。
その代わり、戦利品である私自身も魅力的であれるように努力していた。
そういうわけで、婚約者のアレクシア姫には興味がなかった。
戦いに身を投じないだけではなく、「無菌室の姫」と呼ばれる程に世間に姿を見せない姫だそうだ。
臣民からの人気なんて期待できない。
アレクシア姫の兄で北領惣領のカールが10才の時、カールと西領のマチルダ姫とのお見合いの為にノーザンブリア一家が帝都に上京することになった。
この時点で、帝室には私の他に二人の弟が生まれていた。
いい機会なので、私たち3人との相性を見るためにノーザンブリア一家にテーラ宮殿に滞在してもらうことになった。
私はどちらの弟との相性が良さそうか見極める感覚でアレクシア姫に会った。
まず、他の令嬢達にもそうしたようにチェスに誘った。チェスは相手を知るのに最適なゲームだ。
東領のミレイユ姫は、私がチェスにハマっていると聞いて練習してきた。
西領のマチルダ姫は、私に見惚れてゲームに集中できていなかった。
南領のリリィ姫は、チェスの打ち方を知らないフリをした。
そして北領のアレクシア姫は私とチェスを打つことを断った。
「チェスは兄さまとしか打ちません」
皇太子妃として論外な上、弟達の相手としてもやる気がなさすぎる気がした。
「アレクシア、そういう断り方はダメだよ? 相手が不快になるから、ちゃんと事情を説明しないと」
兄のカールはアレクシア姫を窘めたものの、アレクシア姫が私とチェスを打たないで済む方向に話を進めた。
かなり甘やかされていそうだ。
顔は美しいとは言えないが媚びたところがない愛らしい姫で、甘やかしたくなる気持ちはわかる。
優秀なトムにこのワガママ姫を押し付けるのは気の毒だし、マイクロフトでは振り回されてしまうかもしれないなと心配した。
意外と私とあっているのかもしれないと思った。
「すまない。私とアレクシアは週に1回、チェスのゲームの時にしか遊ばないんだ。だからアレクシアにとって、チェスは特別なんだ。他のゲームでもいいかな?」
アレクシア姫はチェスがとても弱い可能性もある。
恥をかかせるつもりはない。
私もその午後は体調が万全でなくゲームに集中出来るように思えなかったので、あっさり引いた。
「殿下、瞳が濁っています。どうか魔術のお医者様に見てもらってください」
庭園のガゼホでお茶を始めた後、アレクシア姫が悲鳴に近い声をあげた時、私は彼女の手を取ろうとしているところだった。
この姫は、私を見た瞬間から怯えていた。
でも、それは「無菌室の姫」と呼ばれるほどに隠し育てられ、男の子を見たことがないから怖がっているのだと思っていた。
一方で、私も始めからおかしかったように思う。
彼女を最初にエスコートしようとしたとき、手を差し出さなかったか?
私は誰にも手を差し出したことがない。
腕を貸す標準エスコートだけだ。
その時はこの子が怖がっていたので、リラックスさせようと下側から手を差し出したつもりだったが......
ガゼホに着いてお茶を飲み始めた今だって、手を握ろうとしていたんだ……
何かおかしい。
「魔術のお医者様って?」
「混乱か魅了の魔法の治療ができるお医者様です……」
アレクシア姫は、震えながらも何とか答えようとした。
かわいい。
「何故それがわかるの?」
「兄様が小さい頃……」
カールが精神攻撃を受けたことがあると?
涙目だ。
かわいい。
「確かに先程からなんだかふわふわしているんだけど」
「殿下、早く、お医者様に……」
私がなかなか動こうとしないので、姫は近くの近衛に向かって涙目でそのように訴えた。
近衛が異変を察知して、私を抱きかかえて典医の元に走った。
「姫を傍に」
私は姫を置き去りにするのが嫌で、近衛に姫も連れてくるように頼んだ。
「お連れします」
アレクシア姫が近衛に先導されて診察室に入ってきたときには、私はこの姫を傍に置きたくてたまらなかった。
「アレクシア、こちらにおいで」
姫は私のものだと、勝手に呼び捨てにした。
「魅了ですね。急ぎ陛下にご報告を」
典医がそう言うのが他人事のように聞こえた。




