マーガレット6
わたくしは、影武者修行の過程で比較的早い段階でアレクシアへの考えを変える機会を得ました。
アレクシアと同レベルに姫らしく暮せるようになるための指導を受けて目が醒めたのです。
姫教育はとても大変でした。
2つも年下のアレクシアがあんなに厳しい教育を乗り越えていたなんて、衝撃でした。
この教育に耐えた姫がどこにもお嫁に出せないと言われたら、北領にはお嫁に出せる令嬢は一人もいないでしょう。
噂に悪意と作為を感じて、一歩引いて城の者たちを観察するようになりました。
悪意はわたくし自身がアレクシアの悪評を撒くことで育ててしまったことを自覚しています。
でもそれだけではなく、作為的に広げられているような印象を受けたという意味です。
城は概ね3つの派閥に分かれていました。
カール様の崇拝者、アレクシアのアンチ、静観者です。
興味深かったのは、静観者たちでした。
静観者たちは、皆がカール様を褒めているときは同意し、皆がアレクシアを非難しているときはニコニコとその様子を楽しんでいたことからアンチアレクシアのサイレント層だと認識されました。
アレクシアへの不満は声が大きく、よく城の中を通りました。
アレクシアにとって伯父にあたる当主代行は、その意見に耳を傾けたことで、この方は身びいきではないと人気が高まりました。
城の中が鬱々としはじめ、わたくしの目線は、自ずと城の前を素通りする避難民たちに向きました。
最初に感じた違和感は、研究区域へ向かう足取りが、軽く、力強いことです。
もっと悲壮感を漂わせて、トボトボと歩くイメージだったのに、思ったより元気そうなのです。
子どもたちなんてむしろ楽しみにしている様子です。
そして思っていたより数が多いのです。
報告されたより数が多いということではなく、報告の人数が歩いている様子が思ったより沢山に感じるということです。
わたくしはそこで禁を破って、研究区域へ足を運びました。
わたくしは「留守番のためにノーザス城に戻った引きこもりの姫」の影武者ですから、出歩く事自体が禁忌です。
しかも研究区域はアレクシアの崇拝者が多く、影武者であることを見破られ易い環境ですから、そんな場所へ足を踏み入れるなんて、大禁忌です。
でも、行ってみて良かった。
そこでアレクシア、いえ、アリスター・ノーリスは、「壊れた」カリスマで南領民の崇拝者を増やしていました。
アリスターは「捨て身」で避難民を守るそうです。
あれの粘り強さは「ぶっ壊れてる」と言われる程、シールドを解除しないそうです。
その姿を見た避難民の中からアリスターの側で避難路を守護したいとの志願者が相次ぎました。
アリスターはその者たちの服を黒色染料で染め、避難路守護に限って従軍を許しました。
やる気に溢れた無給兵士の現地調達です。避難路はとても安全になりました。
植物学の研究者たちが前人未踏の森が安全になったと聞いて、保存食を背負ってわらわらと森に入っていきました。
「良さげな子がいたら、弟子にしたら?」
研究者たちは饒舌に森の植物のすばらしさを避難民たちに語りはじめました。
不便な生活を便利に変えるのが科学の醍醐味だと言って、ウキウキと張り切った空気読めない研究者たちが、キャッキャとはしゃいで避難路の雰囲気を明るくしました。
アリスターは、志願兵には給料を払いませんでしたが、アレクシアが研究で稼いだお金を使って現金が欲しい南領の農民から食べ物をあるだけ買い上げました。
森の入り口は食べ物で溢れかえりました。
「ひとり3キロずつ運んでくれない?」
断る避難民はおらず、すぐに避難路全域に食べ物が行き渡りました。
「腐りやすいものから食べてね。勿体無いから」
流通がスムーズになり、避難民達は新鮮な野菜を口に出来るようになりました。
「子どもたちは、栗拾い大会ね? どんぐりでもいいよ?」
遊びも食べ物に変わります。
「暇な時、罠かけといて?」
避難路に食べ物が行き渡った後は、野獣を捉える罠を運んで貰うようになり、肉が食べられるようになりました。
「保存の効くものは研究区域まで持ってって。冬になったら鍋にいれようよ」
北領の食料備蓄が跳ね上がりました。
一つ一つの簡単なことが、人海戦術パワーで大きな助けとなりました。
アレクシアに言わせれば「叩き売り状態で格安で買った食物で、無給兵士と無給運搬人が雇えるなんて、悪徳商人になった気分ね」だそうです。
研究者たちはノリノリで避難路を文化的にしようと、手の空いた兵士に小川から離れたところに小川に並行して大きな溝を掘らせて排泄物やゴミを埋めるゴミ通路を作ったそうです。
また、ゴミを埋めた後には茨などのギザギザしたものを埋めて、野獣が近づきにくく、安全に排泄できるように工夫しているそうです。
それ以外にも、目に付いたものを手あたり次第に保存食に変えて遊んでいるそうです。
この危険な森に入れるのは避難民を退避させている期間に限られます。
研究者たちにとっては、保存食は貴重な研究サンプルでもあるのです。
北領に到着した避難民たちは、マッドサイエンティスト達の指示に従って、染料、生薬、各種化学原料となる植物、または自分たちの食糧の生産業務、すなわち農耕職に就業しました。
もともと南領は農業・畜産が盛んな土地なので、彼らの知識も活かして、生産効率も向上しました。
研究区域では、ちゃんとそれなりに良い労働対価を支払いました。
北領に移住した難民でも財を蓄える手段が与えられることが知れ渡ると、黒服に助けを求める難民が増えました。
「そろそろ農民はいらんのだが……」
マッドサイエンティストたちからそんな手紙を受け取ったので、アリスターに転送すると、アレクシアは領地に戻ってきました。
真っ白だった肌は、小麦色に焼けて、とても女の子だとは思えない少年に変貌していました。
「これから農閑期に入るし、何かやることを考えなきゃね?」
わたくしは不覚にもアリスター姿のアレクシアを見て赤面してしまいました。
アリスターはアレクシア姫のヒモ。
北領ではそんな風に言われるようになっていました。
二人ともまだ12才の子供ですから、スキャンダル的なニュアンスはありません。
わたくしがアレクシアの影武者として研究区域へ赴くと、アリスターがやりたいことは必ずアレクシア姫がお金を出すことについて揶揄われていたのです。
まるでわたくしが英雄アリスターを囲っているような響きです。
研究者たちがアリスターにタカって、アレクシア姫がお金を出す。
避難路の常識となっていました。
アリスターは美形です。
そして、優美です。
わたくしがお金持ちで、アリスターからおねだりされたら、お金をだしちゃうかもしれません。
でも、アリスターの人気の根源は、野獣や魔物が現れた時、その場の全員が難を逃れるまで絶対にシールドを解除しない鉄壁の守り。
時にシールドを張ったまま移動し、時に兵士が戦っている間、陣を張る。
錫杖を持ちゆったりと戦況を眺める優美な立ち姿は、勇壮な守護神のイメージを覆したそうです。
研究者たちが小川に並行してゴミ通路を掘らせ始めた後は、夜間、小川とゴミ通路の間のエリアに広域シールドを張って、多くの避難民たちが安心して眠れるようになりました。
流石に避難路全域とはいきませんが、半分以上の路程をカバーする超広域シールドです。
わたくしはアリスターの体調が心配でたまりませんでした。
火の回りで椅子に座り、錫杖を肩にかけて、ゆったりと星を眺める姿は、遠い未来を見通す王のようだと讃えられました。
小隊長といえば精悍な騎士といったイメージからかけ離れた、華奢で典雅な姿について揶揄われると「魔術師が率いる小隊なんてこんなものじゃない?」とあっけらかんと笑うのだそうです。
志願兵が多くいつの間にか、中隊ぐらいの人数になっていることは、皆で気づかないフリをしているのか、城にその実態が報告されることはありませんでした。
その頃から、アリスターの生活は昼夜逆転し、滅多に姿を見せなくなり、避難民たちからアリスターの様子を聞くことが難しくなりました。
姿は見えずとも夜間シールドでアリスターの存在を感じることが出来た避難民たちからの人気は留まるところを知りませんでした。