マイクロフト10
僕は人が怖い。
人前に出るのも怖い。
城を出るのも怖い。
帝国領を出るのも怖い。
「アレクシア姫は帝国領にいるのに、ミッキーは北領に行きたいの?」
母上は不思議そうに聞いた。
「はい。ロイとユリアナに手紙が渡せればそれでいいのです」
僕は姉様のご無事が知れればそれでよかった。
お仕事の邪魔になりそうだから、あまりご迷惑をかけたくなかった。
ルーイ兄様も姉様もカール様も、立派にそれぞれの貢献をしようと頑張っているのに、僕は物陰に隠れることしかできないのが悔しかった。
せめて邪魔にならないように、姉様の安否を確認し、カール様やルーイ兄様についての情報提供ができればそれでよかった。
父上にもご許可を頂いて、マイケル・シャムジーという偽名と北領平民の身分証をもらった。
北領のロイとユリアナの自宅兼研究室に着いて思った。
こりゃ、帰ってこなくなるよ。
施設が帝都のラボより広くて大きくて充実していた。
実験場も広くて、近所迷惑とか考えずにバンバン実験できる。
異臭にもまあまあ寛容だ。
そこにいる研究者達も偏屈で、変わり者で、刺激的な人ばっかりだった。
帝都で爪弾きにされた協調性のない人ばっかりだったけど、不思議と「他人の邪魔をしない」という謎の鉄則を守っていた。
詰まる所、嫌われて、足を引っ張られて、嫌な思いを経験したことがある人ばっかりだった。
誰も僕に関心がない。
意地悪なことを言われることもなかった。
居心地が良くて、僕もついそこで魔道具の開発を始めてしまった。
月々の研究予算に合わせて、科研費を認可する仕事も貰えた。
自分にも出来ることがあるのが嬉しかった。
臨時主席研究員というかっこいい名前だ。
メインの仕事は予算管理だ。
出納係からその月に新たに認可できる科学研究費を聞いて、その範囲で予算申請を通す。
帝室でも学園に行かない代わりにこういう公務を手伝っていたから作業自体は慣れている。
帝室の時は、年次予算だったのが、ここでは月次予算で回転が速い。
帝室の時は、一つ一つの予算額が大きかったが、ここでは大小さまざま。
帝室の時は、本審査前の裏取りとか、関連論文の収集と実現可能性の評価など雑用が主だったけど、ここでは早く認可してほしい研究者たちが資料をたくさんつけてくれるので、確認作業が少なくて済む。
姉様は僕が送ったものは殆ど全部「承認」して、アレクシア姫の印を押印して返してくるから実質的には僕が承認者みたいなもので、やりがいがある。
帝室にいた時も「科学分野」を手伝っていたから、ロイにこの仕事をぶん投げられたときも戸惑わずに済んで助かった。
月に一度、帝都に帰って姉様宛の手紙に書くルーイ兄様の情報をトム兄様に聞きに行く。
僕は「エセ兄様至上主義」になっていた。
僕の秘密の指示書が分かりにくかったせいで姉様がルーイ兄様のことを完全に忘れたフリをするハメになったことに物凄く罪悪感を感じている。
せめてもの罪滅ぼしにルーイ兄様の情報提供だけは続けたいとトム兄様に打ち明けて、ルーイ兄様の情報を貰うようになった。
トム兄様には独特の倫理観があって、クセがある。
いちいち小さなことにまで「自分が正しいと思うのはコレだ」みたいなものがあって面倒くさいのが、なんかいい!
あと、いっぱい失恋して、いっぱい泣いたから、思いやりもいっぱいだ。
頼ると助けてくれるし、僕も何か頼まれれば出来ることをする。
僕の「エセ兄様至上主義」は、トム兄様の独特の倫理観の中では「大正義」と銘打たれて、手放しで協力してくれた。
帝都と北領を行ったり来たりする生活が半年ほど続いた頃、僕は嫌なものを見た。
南領からの移民たちに奉仕活動をする偽者のアレクシア姫だ。
偽者のアレクシア姫が研究区域に足を運ぶようになっているのは知っていた。
研究者たちや移民たちにいろいろと話を聞いているのを何度か見たことがあった。
研究者たちの間で「影武者」という二つ名で呼ばれている。
そのまんまで、分かりやすい。
影武者は、姉様の悪口を収拾して拡散するお役目らしい。
影武者から何か聞かれたとき、答えたくないことには答えなくてよいけれど、答えるときはありのままの真実を答えることになっていると「古株」から教えられた。
「古株」は、新しい研究員が来たときに親切に案内してあげるので、そういうあだ名になったそうだ。ここの研究者はみんな何かしらのあだ名がある。
姉様は、誰でも「コードネーム」で呼ぶ習性があるんだけど、ここの研究者たちは多分それが隠密ごっこの延長だと分かっていないと思う。
兎も角も、「影武者」が研究区域で奉仕活動を始めた姿を見てモヤっとした。
僕はあまり人に悪感情を抱くタイプではないけれど、影武者の奉仕活動は見る度に不快になる。
モヤモヤが積み重なって、ドロリとした悪感情の固まりに変わりつつある頃、姉様が研究区域に帰ってきた。
「ミッキー」
名前を呼ばれて振り返ると、とても健康的な笑顔で屋敷の玄関から入ってくる姉様の姿があった。
「ね、姉様!! お帰りなさい。健康的で可憐なお姿に安心しました」
あまりに驚いて、回収したばかりの科研費の申請書類をバラバラと床に散乱させてしまった。
「ふふふ。ありがとう。日焼けしてしまいました。これは科研費の申請書類ですね? こんなにあるのですか?」
姉様は書類を拾いながら驚きの声を上げた。
後から入ってきた黒衣の護衛たちが駆け寄って「私たちがやります」と言って手伝ってくれている。
「はい。選定の初期段階では『思い付きを書いちゃった』レベルの申請も多いですから。あの、執務室にご案内します」
僕が持っていた書類も護衛たちが持ってくれたので、姉様の封地「研究区域」の責任者である主席研究員の執務室にご案内すべく姉様の先導に立ったけど、姉様は何故か動かず、口を窄めて何か言いたげな表情でこちらを見ていた。
……
……
……
はっ!
なるほど!?
「失礼。姉様、参りましょう」
横に立って、腕を折ってエスコートに立つと、腕に手をちょこんと乗せて一緒に歩き出してくれた。
姉様の研究区域でのコードネームは「姫」だ。
「古株」の話では、最近入った研究員は「姫」の存在を知らない人もいるし、「姫」の正体を知っているものがどのくらいいるのかは分からない。ちょっと前に入った人は「姫」は単に振る舞いが「姫っぽい」からそういうあだ名になったと思っていると言っていた。
姫っぽいって、こういうこと?
お姫様扱いしてもらえないと動かないの?
でも、英雄アリスターの格好でも「姫」行動なの?
正体がバレちゃいますよ?
姉様は英雄の格好でもお可愛らしくはありますが、後ろの護衛たちが驚いていますよ?
何人か僕の顔をガン見している者もいますよ?
これ、大丈夫じゃないやつじゃないですか?
僕は小声で囁いた。
「姉様。護衛の人たちが驚いています。姫だとバレたのでは?」
姉様は、ふふっと、破顔して楽しそうに囁き返した。
「あれらは近衛です。姫だということは知っているわ。でも、弟がいることは知らなかったから驚いているのです」
「え?」
僕、やらかしちゃった!?
「ふふっ。陛下の予想通りですね。わたくしに、任せなさい」
姉様はにこやかです。
優しい。
執務室に到着すると、姉様は鍵のついた引き出しから身分証を取り出し、「ミッキーのも貸して下さる?」と僕の身分証と二つ並べて近衛たちに見せた。
「こちらは『帝室の隠密』マイケル・シャムジー卿です。『北領の隠密』であるアリシア・シャムジー令嬢の弟として、ここ北領研究区域にて帝室・北領の共同作戦の任務中です。まだ不慣れなところもあるでしょうから、どうぞ暖かく見守って下さい」
「マイケル・シャムジーです。いつも姉がお世話になっております。どうぞよろしく」
近衛たちは、一斉に敬礼をしてくれたんだけど……
敬礼が3種類!?
こ、これは……
姉様、これは、どういうことですか?




