マイクロフト9
静かな生活がしばらく続いた後、今度は南領の領主一家が襲撃された。
ルーイ兄様は速やかに出撃した。
その報を受けて、今度はカール様が出兵した。
ルーイ兄様は14才で、カール様は13才だ。
帝都では、カール様が出兵したことでルーイ兄様が出なければならなくなったと、北領が非難された。
でも、本当の順番は逆だ。
兄様が出立する時、母上は兄様をぎゅうぎゅう抱きしめて、デコチュウして、ポロポロと涙を流した。
人に触れられるのを嫌う兄様でも、この時ばかりは母上にされるがままになっていた。
母上にそんなことをされるのが初めてだったルーイ兄様は、驚いて固まっていただけかもしれない。
母上は、幼い僕やトム兄様には遠慮がなくなってきていたけれど、流石にルーイ兄様にはベタベタしたことがなかったんだ。
ルーイ兄様に慣れたら、きっと次は人前で父上とイチャイチャし始めるんだ。
でも、テーラ家は神の遣いとのご縁が切れてしまったから、そこまではいけないかもしれない。
ルーイ兄様、何卒、ご無事で!
僕がボロボロ泣いていたら、ルーイ兄様からハグしてくれた。
僕がロイや母上みたいにルーイ兄様をギュウギュウ抱きしめたら、オデコにチュウをしてくれた。
僕は11才で、幼児とは言えない年齢になっていたけど、かまうもんかと、ボロボロと泣き続けた。
トム兄様は僕が泣き止むまで横で本を読んでいた。いい兄様だ。
翌日、父上が僕を宝探しに誘いに来た。
僕はこんな時に何を言い出すんだと戸惑ったけど、父上に従った。
行先は無国籍武装集団にあっさり陥落した南領領都のサウザーン城だった。
父上はロイとユリアナの家にお邪魔するかのようにフラリと敵地に入った。
もちろん、正門からではない。
隠し通路の入り口を知っていたみたいだ。
「ミッキー、あそこに『北領の隠密』がいるよ?」
小さな声でそう囁いた父上の視線の先に、姉様がいた。
僕は両手に口を当てて息をのんだ。
気配でこちらに気付いた姉様は、一旦は球体シールドを展開した後、僕に気付いて微笑んだ。
ミッキー。
無音で口の形だけで僕の名前を呼んだ姉様がゆったりと優雅にこちらに近づいてきた。
短くなったお月様のような色の髪が、月の光に照らされて動くたびにキラキラと輝き、身じろぎが出来なくなるほどお美しかった。
姉様は父上と僕に無言で臣下の礼をくれた。
父上が面礼のしぐさを示すと、姉様は「こちらです」とでも言うように微笑みながら顔を傾けて僕たちを近くの部屋に案内した。
姉様はその部屋に小さな明りを灯し、ローブの下に隠していた肩掛けカバンから、南領の公印や権利書など、これまで集めたものを取り出して父上に見せた。
まさか、こんなところで、待ち合わせ?
まさか、ね?
父上はそれらを確認し鞄に収めた後「十分だ。これ以上はやめておこう。仲間のところまで送ろう」と言った。
姉上は、頷きで同意を示し、再び優雅に顔を傾けて「こちらへ」と伝え、歩き始めた。
どのくらい歩いた後だろうか、姉上は先導を止めて、後ろを歩く僕を見て微笑んだ後、父上の手に掴まった。
「テーラ家では手を繋ぐのですよね?」
母上の言葉を信じ込んでいるのか?
いや、あれは違うんですよ!?
陛下はダメだよ!!
姉様、何ということを!
僕はギョッとして肩がビクッとした。
父上は小さく笑って「ああ、そうだったね?」と、僕の手を取った。
ええっ!
父上も!?
僕はしばらくドキドキして、何も考えられなかった。
姉様は父上まで人間にしてしまうのかもしれない。
ご縁がなくなっても神の遣いの威力は健在だった。
「サウザーン城をもっとゆっくり探索なさらなくてよろしかったのですか?」
もう会話をしていいぐらい安全らしい。
「いいよ。今日は大事な子供達も一緒だし、安全第一だ」
大事な子供達!?
姉様は父上の中でも我が子認定なんですね?
凄いです。
「帝室の近衛か隠密を探して印章をお渡ししようと考えてはいましたが、陛下が自らお出ましになったのには、わたくしも驚きました」
「城の構造も大事なものの保管場所もどこも似たようなものだから、私が回収するのが早いと思ってね」
待ち合わせってわけではなかったのか。
「ソフィア様は反対なさらなかったのですか?」
「行くならミッキーも連れて行くように言ったのは、ソフィアだよ」
母上が?
母上はいつも僕を尊重してくれる。
人が怖くて、物陰に隠れるようになった頃、それを「隠密ごっこ」と呼んで一緒に遊んでくれるようになった。
まさか、ここまで本格的になるとは想像できなかったけど、父上の言う通り、サウザーン城の構造や隠し通路のつくりはテーラ宮殿によく似ていた。
姉様もノーザス城を知り尽くしているから、戸惑うことなく南領印を回収できたんだと思う。
しかも今回は急襲だったので、南領領主は公印を隠し部屋ではなく、普段の保管場所に置いていただろう。ご両親が亡くなって普段から重要書類に触れる機会の多い姉様にとっては簡単に探せたことだろう。
「陛下、来るべき大粛清に備え、わたくしはしばらく北領には戻りません。落ち着いたら分散しますが、しばらくは兄と共に行動するつもりです。ロイとユリアナは……」
大粛清!?
姉様、危険なことはダメですよ!
言いたかった言葉は、音にならなかった。
「老い先短いんだ。好きに生きさせてやってくれないか?」
「はい」
森の入口に馬を引いた黒ローブが見えた時、父上が姉様が回収した南領印が入ったバッグを姉様に渡した。
「荷物になってしまうが、これを南領公子に届けてくれないか」
「はい。陛下、殿下、お気をつけて」
姉様が臣下の礼を取った時、僕はその日初めて口を開いた。
「姉様、その髪、とてもよくお似合いです。ローブも」
これだけは、どうしても言っておきたかった。
本当にお美しかったから。
緊張して、繋いでいる父上の手をギュッと握ってしまった。
「ありがとう、ミッキー。嬉しいわ。軽くて気に入っているの。またね?」
姉様があまりにお美しくて、涙が出た。
父上には気付かれたかもしれないけれど、姉様は踵を返した後だった、と思いたい。
姉様は森に向かって歩みを進め、迎えられた黒ローブにぎゅうぎゅうされて、チュッチュされていた。
ユリアナだ。
「正体バレバレじゃないか……」
思わずツッコミがポロリと口から零れ落ち、涙が引っ込んだ。
姉様はこなれた感じでハグを返して、されるがままになっていた。
ベタベタ、チュッチュしないって、約束したのに、コレ?
「大丈夫だよ。私たち以外にはバレないから。『北領の隠密』の仲間がロイとユリアナで安心した?」
「はい」
ロイとユリアナは、従軍経験もなければ、攻撃魔法を使ったこともなさそうなただの大富豪だが、旅慣れている。
めちゃくちゃ旅慣れている。
引っ張りまわされたことがあるから分かる。
あの二人と一緒なら、大丈夫だと思えた。
姉様はその後すぐに帝室の直轄地の東の森に移された。
冒険者も物怖じする危険な森と聞くけど、ロイとユリアナも一緒なら大丈夫だろう。
そんな風に思っていたのに、ロイとユリアナは直ぐに北領に戻ったようだった。
僕は、姉様の安否が心配でならなくなった。
それなのにロイとユリアナはテーラ宮殿に足を運ばなくなった。
北領の研究室と東の森を行ったり来たりしているらしく、こちらまで足が回らないって。
僕は決死の覚悟で「北領に行きたい」と母上に言った。




