マーガレット4
ソフィア様は帝都に戻られた後、アレクシアの為にロイとユリアナという初老に差し掛かった家庭教師を派遣してくださいました。
城の中には帝国人の家庭教師をつけることを嫌がる者もいたそうですが、侍女たちが寄ってたかってアレクシアを洗脳し、お二人のことを忘れさせたことがバレてしまった後ですから、辞退するという選択肢はありませんでした。
ロイとユリアナは、相当な変人で、家庭教師として招かれたノーザス城の一角で、アレクシアのために怪しげな化学実験を始めました。
時に騒音騒ぎ、時に異臭騒ぎ、時に小爆発を起こし、苦情が多発しました。
これは怒りに震えるソフィア様の嫌がらせかもしれないと、城の者たちは恐怖に震えました。
カール様はノーザス郊外の寂れた土地をアレクシアの封地として与え、ロイとユリアナをそちらに移しました。
アレクシアはロイとユリアナが大好きになり、専らそちらで生活するようになりました。
わたくしは「姫のお話相手」から解任されませんでしたから、週に一度、馬車に揺られ郊外まで通うという苦役を強いられることになりました。
アレクシアは「お話相手」はもういらないと言ったそうです。
けれども、領主代行のノルディック様に「君の役目は姫のお相手をすることではない。姫が帝室に逃げていないか確認するお目付け役だ」と言われてしまえば、従うしかありませんでした。
認めましょう。
わたくしのアレクシアへの態度は決して友好的ではありませんでした。
それでも1年間、毎週、会っていたのです。
それなのにお話相手はもういらないと簡単に切って捨てられたことが悲しくて、アレクシアに会いたくなくなっていたのです。
アレクシアの新居は、広大な庭がある大きめの邸宅で、そこにロイとユリアナ、アレクシアの他に、ゴードンやカーナなどの幼少のころからアレクシアをお世話しているものが一緒に暮らしているようでした。
きっと、アレクシアにとってはとても居心地が良いことでしょう。
わたくしはロイとユリアナが、普通の家庭教師が教えるマナーや教養を教えているところを見たことがありません。
ユリアナは、難しい言葉が分からないアレクシアに説明を加えながらアレクシアが興味を示した染料や顔料に関する最新の研究論文を読み聞かせたり、雑草を大量に摘んでそれをゴリゴリバリバリ粉砕したあと水につけたり、金属を炉で溶かしてプレートや指輪を作ったりしていました。ロイは広大な庭でヒドイ悪臭のする真っ黒な何かを煮炊きしていたり、実験室でガラス容器の中でポコポコと何かを煮炊きしたり、金属の機会をカチャカチャ組み立てたり、ジージーギーギーと爆音を立てながら切断したりしていました。
人がほとんど住んでいない寂れた土地です。
苦情を言う人が存在しません。
アレクシアの標準装備は、不格好な眼鏡と大判のマスクと大きな耳当てと分厚い手袋と染みだらけのスモッグです。
これは、ソフィア様からの罰でしょうか?
到底「姫」だとは思えません。
アレクシアはマッドサイエンティストが育てたプチマッドサイエンティストに育っていきました。
お茶会のネタには困りません。
わたくしのお茶会はますます盛況で、会報が出るようになってしまいました。
一方で、わたくしはアレクシアを窘めるのはやめてしまいました。
楽しそうにのびのびとしている姿がとても可愛らしかったのです。
アレクシアはいつのまにか研究を製品化し、流通販売に繋げる仕組みを理解するようになり、お金を手にする術を得ました。
アレクシアのようなぼんやりした子が、お金を稼いでいるなんて信じ難いことですが、わたくしはその過程を一歩一歩見てきたのです。間違いありません。
ロイとユリアナは、マナーは教えませんが、論文の取り寄せ方を教えました。
ロイとユリアナは、教養は教えませんが、特許の取り方を教えました。
ロイとユリアナは、詩作は教えませんが、商談の進め方を教えました。
全てはあの日ソフィア様と一緒に購入した黒の染粉から始まり、今ではそこから派生した化学産業が莫大な利益を上げています。
特に植物由来の黒色染料の分離技術を磨き、再結晶、分留、昇華、クロマトグラフィーなど様々な手法で、希少な薬理中間体を抽出し、暴利としか言いようのない利益を貪っています。
得た利益は湯水のように次の研究開発に注ぎこみますから、世界中から不遇なマッドサイエンティストたちがわらわらと亡命してきて、アレクシアにたかるようになりました。
北都ノーザスのさびれた郊外は、研究区域と呼ばれるようになって行きました。
ソフィア様は、アレクシアを皇子たちの妃として迎えるのではなく、自分の娘として育てることにしたのでしょう。
アレクシアに拾われた研究者たちは、太っ腹なアレクシアを崇拝し、自身も黒衣に身を包みました。
研究区域は、神経質な黒ローブたちの巣窟と化しました。
治安はいいのですよ?
皆、学のある者たちなので、行儀もよいです。
ただ、住民がみんな黒服を着ているので不気味です。
兄君のカール様も、成人して領主を継ぐまでは妹の喪服に付き合うことにしたため、北領では黒服を着る者が増え、他国に畏怖されはじめました。
北領ノーザンブリアの色は爽やかな水色です。
それなのに、アレクシアのせいで徐々に黒のイメージが強くなっていくことを忌々しく思っていました。