マチルダ6
「あなた、ミレイユ様の信奉者かしら? ミレイユ様はルイス様の婚約者なんかじゃないわ。賭けてもいいわ」
その男の子は、不思議そうにこちらを見て、嫌なことを言いました。
「もし私が君と同意見なら賭けが成立しないよ? もしかして私を慰めようとしている? いや、自分を慰めようとしている? ううん、違うな、一緒に慰められようとしているのか?」
「な、なんで、私が自分を慰める必要があるのですか?」
「ルイスが好きだから。だから隠れて二人を観察している私が東領の姫を好きだと勘違いしたってとこだろう?」
その男の子は、ルイス様を呼び捨てにしています。
突風に紛れてその男の子からローズマリーとラベンダーの香りがした気がしてハッとしました。
眼鏡で瞳の色は良く見えませんが髪の色は茶色です。カール様ではありえません。
風に舞った香りはわたくし自身のものだったのでしょう。
その男の子は、ちょっと口を窄めて、ゆっくりと顔を傾けて、ふふっといった感じで、ほほえみました。
なんだか気持ちの悪い表情です。
眉をひそめると、物凄く失礼な事を言ってきました。
「君、全然だめだね。見込み薄いよ」
「な、何の見込みか知りませんけれど、失礼な事を言われているのはわかりましたわ」
「なんのって、ルイスだよ。今のはルイスのマネだよ。『出来た!』の時の。ルイスの好きな子は、ワケがわからなくても、反射的に全く同じ表情を返して『どうしたの?』を表現する」
「なんですって?」
ルイス様の好きな子?
アレクシア様ではないのですか?
でも、アレクシア様のお姿を見ることができる人なんて限られています。
まさか、でも、いいえ。
何者か分からない者がそんなことを知っているわけがありません。
「君は眉を顰めたよね? だから全然だめだって言ったんだ。おそらく眉を顰められた瞬間にルイスは仮面を被った皇子様になる。『実は、これはね、』が始まらないんだ」
これには妙に説得力がありました。
でも……
「それがいつの好きな子か知りませんが、ルイス様の今のお好きな方は、あのピアスの色の瞳の方ですわ」
アレクシア様もカール様も、プラチナブロンドの髪色で水色の瞳のハズです。
あのシフォンドレスの水色の。
ルイス様のお付けになっているピアスの水色の。
「へぇ。君、なかなかの名探偵だね。帝都の令嬢たちはそうやって新しい噂話を作っていくのか。興味深い」
「噂を作る? 人聞きが悪い。ほんっとに失礼ね。あなた何者?」
「君が名乗るなら、名乗ってもいいが?」
「わたくしを知らないの? あなた、潜りね。西領ウェストリア家のマチルダよ」
「正解、名探偵。潜りだ。北領ノーザンブリア家のカールだ。では、見つからないうちに帰るよ。お先に失礼、マチルダ姫」
「ノーザンブリア家? カール様? 侵入者?」
「私がいた事は、ルイスには内緒にしてくれるとありがたい。あと、僕個人としてはルイスの『出来た!』については、君の反応の方が自然だと感じる。ルイスの好きな子はちょっと変わっているんだ。ではまた」
内緒も何も、学年が違うわたくしはルイス様を遠巻きに見ることしか出来ません。
「お、お気をつけて」
「ははっ。少し訂正。侵入者を心配するなんて、君も変わっているから、ちょっとは見込みがあるかもね」
彼が立ち去ったあと、わたくしは、猛烈にドキドキしました。
ノーザンブリア家のカール様。
茶色の髪のあの子が?
どうしましょう。
ルイス様のことをお慕いしていると勘違いされてしまいました。
ん?
カール様だけではなく、皆にそのように勘違いされているのに、あの方の時だけ慌ててしまいました。
ダメダメ。
忘れなさい、マチルダ。
あの方とのご縁は木っ端みじんになったのです。
今は、あの方の妹君とわたくしのお兄様のご縁を応援する時ですわ。
それにしても、ルイス様のあのピアス。
今でもアレクシア様のことがお好きなのですね。
庭園でブーケを作った時のルイス様の自然な微笑みや幸せそうにアレクシア様のことを語る姿を思い出すと、お兄様とアレクシア様のご縁を応援することに躊躇いも生まれます。
ルイス様は沿道を歩く間、ミレイユ様のことを一度も省みることがありませんでした。お気持ちがないのは明確です。
でも、政略は、それでも進んでしまうのです。
帝室の皇太子ともなれば、恋愛結婚なんて、夢のまた夢、なのかもしれません。
カール様は「同意見だったら、賭けが成立しないよね?」と仰いました。
ルイス様と共闘して、ルイス様をよく知っているあの方が「ミレイユ姫とは婚約していない」に同意見なのです。「皇太子妃の座」は、学園で思われているほどミレイユ様で決定的ではないのではないでしょうか?
それからまもなく、アレクシア様らしき方が中等部に現れました。
茶色のロングヘアの少女で、わたくしは少し遠いところにいたのでお顔は良く見えませんでした。
ルイス様と並び立ってお話をなさった後、去り際にルイス様が額にキスを落とされたので、間違いないと思います。
それからしばらく学園は「ルイス様の秘密の恋人」探しで大騒動になりました。
お陰で東領派閥は噂の火消しに大忙しで、間接的に西領生徒達へのいびりが大幅に緩和されました。
それから帝都ではノーザンブリア家が帝都に複数の邸宅を買ったことが話題になりました。
ルイス様の高等部入学と時を同じくして、北領の近衛が3人露払いと称して学園に入学しました。そして、その次の年、カール様が高等部に入学されることが公表されました。
わたくしと同じ学年でのご入学です。
北領は惣領が帝立学園に入学できるまでに正常化が進んでいるのですね?
わたくしも嬉しく思います。
お兄様の話では、3人の近衛は家名を隠して平民として入学なさったようですが、その正体は、南領紛争で生き残った南領サウザンドス家のマグノリアお兄様とその婚約者で北領侯爵家の令嬢のマーガレット様、そして南領紛争で帝国領の東の森での難民支援の功績を持って叙爵された英雄アリスター・アルキオネ伯爵だそうです。
マギーという愛称で入学なさったマーガレット様は、アレクシア様の元影武者だそうです。
アルキオネ伯爵は、もともとノーリス子爵家の令息だったそうですが、ご本人が叙爵されたことで子爵家から独立なさったとのことです。
お兄様と親しく、学園のダンスレッスンではお兄様とダンスのペアを組んでいるとのことです。来年はアレクシア姫の影武者として活動することが決まっており、現在女性パートの特訓中だそうです。
中身はハチャメチャだが見た目はちゃんと貴族っぽい典雅な英雄だそうです。
なんとなく、ですが、お兄様はアレクシア様とお知合いなんだと思います。
ぽろっと「アレクシア」とお名前を呼び捨てになさったのを何度か聞いてしまいました。甘い響きはありませんでしたが、呼び捨ては、呼び捨てです。
リリィとライラ亡き今、お兄様が呼び捨てなさる令嬢は、わたくしとアレクシア様だけですから、途轍もなく特別なことです。
これは、もしかすると、もしかして、本当にわたくしのお義姉様になって下さるかもしれないと期待しました。
わたくしはこれまでより一層の事、北領についての知識を収集するようになりました。
ルイス様とミレイユ様なんて、どうでもよくなっていました。




