マーガレット3
アレクシアが最もわたくしをいらだたせたのは、囲碁が少しずつ着実に強くなっていき、わたくしは彼女に勝てなくなった事です。
くやしさと苛立ちで、この姫が本当に大嫌いになった頃、大事件が起きました。
喪が明けてもいつまでも喪服を脱ぎたがらないアレクシアに困り果てた侍女が、無理やり喪服を脱がせてノーザンブリア家の水色のドレスを着せてお庭に出したら入水したのです。
一命はとりとめたが、ぼんやりとしているとのこと。
帝室からソフィア様が駆け付けてくださるので、いつでもお迎えできるように翌日から城に待機しておくよう指示を受けました。
その週の「姫のお話相手」はお休みになり、お茶会で皆様にソフィア様の来北を伝えると、アレクシアが帝室の関心を惹くために何かズルをしたのではないかとの憶測が飛び交いました。
わたくしが初めて小さな違和感を感じたのは、この時です。
アレクシアは、イライラする姫ですが、ズルい姫ではありません。
それは彼女の棋風によく表れています。
アレクシアは大らかでバランスが良い碁を打つのです。
局所に執着することなく、見切るところは見切り、抑えるべきところはふんわりと甘めに抑えたように見えて、最後には強い生き石に変わっている。
負け続けていることが悔しく、大嫌いですが、ズルい姫ではありません。
でも、そのことがわかるのはわたくしだけ。
その小さな違和感は、アレクシアのソフィア様へのご挨拶をみた瞬間、ボッと音を立ててどこぞに蒸発してしまいました。
「はじめまして。わたくしはノーザンブリア家のアレクシアと申します」
「はじめまして。アレクシア様。わたくしはテーラ帝国籍の商人ソフィアと申します。どうかソフィアと呼び捨てでお呼びくださいませ。お嬢様」
アレクシアは、ソフィア様のことをすっかり忘れてしまっておりました。
ソフィア様は驚きの表情を浮かべた後、とっさの機転で、アレクシアの怖がらないような身分で自己紹介をなさいました。
「ソフィア? まぁ! 素敵なお名前ね? わたくしの『想像上のお友達』と同じお名前よ? 良くない言葉ばかり教えてくれる悪魔的な美女なのよ」
アレクシア!
今の発言は、何重もの意味で不敬です!!
わたくしは悲鳴をあげそうになりました。
「ふふふ。それは光栄ですわ。本日はお嬢様のお部屋を明るく彩る品々を揃えるために参上いたしましたの。お部屋を見せていただけますか?」
アレクシアは、カール様の方を見て、同意を確認してから、ソフィア様を自室に案内しました。
ソフィア様はどこからどう見てもお美しく、輝きに満ちた素敵な女性です。一介の商人だと信じ込んだこの間抜けな姫が腹立たしくて仕方がありませんでした。
「まぁ! 大きなクマ! こんなに大きなサイズは帝都でも珍しいのですよ? この子、お名前は?」
ソフィア様は、ご自分がアレクシアにプレゼントしたぬいぐるみに対するアレクシアの反応を確認しました。わたくしは、冷や冷やです。
「すっごくかわいいでしょう? お気に入りなの。城の侍女たちは『ルーイ』と呼んでいるわ。わたくし、この子は違う名前だった気がするのだけど、上手く思い出せなくて……」
アレクシア、逆の意味で期待を裏切らない子です。
大変お世話になったルイス様のことを忘れてしまった上に、クマの名前として呼ぶことすら拒絶しています。
「それではお嬢様が新しいお名前を付けてあげてはいかがですか?」
「新しいお名前? そうね? わたくしこの子と同じ瞳の色と子を知っているの。とっても優しい子。その子のお名前をお借りしようかしら? でも、もしかすると別の想像上のお友達かもしれないわ……」
「想像上のお友達でもよろしいのではありませんか? お嬢様のお気持ちが籠るお名前でお呼びになればこの子もきっと喜びますよ?」
その子は、アルバートジュニアです!
ソフィア様の夫君のアルバート皇帝陛下のお名前をお借りしている高貴なクマです!!
別の子は絶対にやめなさい!!!
テーラ帝室から見限られてしまうかもしれませんよ?
ソフィア様は貴方の唯一の味方なのですよ!
わかっているのですか!?
もし、この姫がもっと気が利いている姫なら、ソフィア様だけではなく、皇太子のルイス様も北領にお運びになったかもしれないのです。
今回、ルイス様がお見えにならなかったことは、アレクシアが数少ない既に支援者を一人失ったように思えてなりませんでした。
あれ?
わたくし、今、アレクシアを心配しているような?
いえ、気のせいですわ。
「お部屋の雰囲気は大体わかりました。お嬢様は何か欲しいものがありますか?」
「わたくし、黒い服がいいの。暖かいのよ?」
アレクシア!
折角ソフィア様が明るい雰囲気に変えてくれようとしているのです!
喪服の話はやめなさい!!
「そうですね。お嬢様。黒は光を吸収する色なので、暖かいのですよ?」
ソフィア様は、喪服を着たソフィア様とルイス様が抱きしめてくれた時の温かさと黒色を切り離そうと工夫してくださいました。
「まぁ! そうなの?」
「白い服は逆に光を反射するので、涼しいのですよ。夏には最適です」
「服の色で暖かさが違うなんて知らなかったわ。面白いわね!」
アレクシアは、科学に出会いました。
わたくしの更なる長い苛立ちの始まりです。
「明日、わたくしと一緒に染物屋さんに行ってみますか? 黒い布や白い布がどのようにして作られるのか分かりますよ? 黒い布は染色といって色を着けるのですが、白い布は漂白といって色を抜くことで出来るのです」
「見たいわ! でも……」
アレクシアは外出をしたことがないのでしょう。
不安げな表情でカール様の表情を探ります。
「行ってきなさい。アレクシア。きっと楽しいよ?」
「はい」
部屋の入口で様子を見ていた兄君のカール様に背中を押されて、不安げに同意したアレクシアに、ソフィア様がゆっくりとにっこり顔を作って「やったね!」と伝えると、アレクシアは首を傾げた後、ソフィア様の真似をして「やったね!」と返したのを見て、めまいがしました。
外出を怖がっていたのに、「やったね!」の顔を向けられると、すぐさま「やったね!」と乗せられてしまったのです。そんな扱いやすく、騙されやすい姫がどこにいますか!
翌日、ソフィア様に連れられて染物屋を訪れたアレクシアは、反物ではなく、染粉を欲しがりました。
アレクシアは、染粉が薄まる時の様子や染料と顔料の染色法の違いなどに興味を示したのです。
姫が興味を持つような事柄ではありません。
ソフィア様は終始にこやかでしたが、変わり者のアレクシアを皇子たちの妃に望まれることは決してないでしょう。
絶望したわたくしは、令嬢達とのお茶会でこの時のことを余さずぶちまけました。
本来は重要機密であるアレクシアの入水のことについてまで吹聴してしまったことは、行き過ぎだったと今でも後悔しています。
その頃のわたくしは、11才のただの子供だったのです。
自分の言葉の影響力を理解していませんでした。
わたくしはアレクシアとカール様の母方の従姉です。
縁戚関係があるわたくしの言葉には信憑性があり、瞬く間に領中に広まりました。
領中どころか帝国中に広がり、アレクシアはどこにもお嫁に出せない姫と言われるようになりました。




