クリストファー6
「北領も少し観光産業に力を入れてもいいかもしれないわ」
西領の美しい紅葉を眺めながらアレクシアがポツリとこぼした。
「労働力、余っとるんじゃろ?」
今回の南領紛争で北領は大勢の移民を受け入れて、人口が爆発している。
最初は農耕、次に医療都市建設と、アレクシアが賜った小さな領地の周辺の土地をガンガン買収して建設業に人を差し向けているときいているが、限界がきているのだろう。
実は北領が受け入れた移民は、南領の避難民だけじゃない。
他の地域の貧しい人々もかなりの数が北領に流れた。
西領がそのように仕向けた。
兵を出した帝室や北領とは違い、西領は地下で無国籍軍事組織の新兵採用を徹底的に潰した。
非常に地味だが、増兵されると紛争が永遠に終わらないから、重要な貢献だと思っている。
西領が地下活動に入ったきっかけは北領の筆頭隠密ジョセフから西領内での無国籍軍事組織の新兵採用を潰したいとの旨、打診を受けたことだった。
北領は南領紛争以前に東から入ってきた雑兵のあつまりに襲撃されたことがあることが分かった。
今より酷い雑兵の集まりで、姫とお嬢の二人でも追い払えるレベルだった。
お嬢は雑兵を追い払った時に、アレクシアの電撃に被弾して逃げ遅れた者たちの中でリハビリが必要になった者たちの面倒を見た。
お嬢も電撃の被弾で2年間ほど右肩から下が麻痺していたことがあるそうだ。
そしてその者たちからどのような経緯で北領を襲うことになったのか聞き出した。
お嬢に面倒を見てもらった雑兵たちは、お嬢に忠誠を誓って北領に残りたがった。
「迷惑です」
お嬢がキッパリと断ると、雑兵たちは勝手に北領内で新兵採用を潰し始めた。
せっかく助けたのに自ら死地に向かう雑兵たちにお嬢は頭を抱えた。
北領の隠密に入れるわけにもいかないから、地下組織を作ってちゃんと面倒を見るようになった。
雑兵たちは貧しい庶民が多く、魔法が使える者が少なかった。
しかし、市井に溶け込むことにかけては育ちの良い者が多い北領隠密たちよりもはるかに得意だった。
特に仕事のない貧乏な外国人のフリがとても得意だった。
得意というか、そのまんまだ。
新兵採用を探し出しては、お嬢に報告するようになった。
ジョセフは、本職の筆頭隠密だから西領で活動するのは気がひけるし、お嬢は別の任務があるから、出来ればこの地下組織を丸ごと貰って欲しいと申し出てきた。
北領は、東領に取り込まれているアレクシアの伯父君を朝議でのさばらせることで、軍事攻撃を回避するようになった。
北領の敵は、自分のものになったと思っているものを無為に傷つけるほど馬鹿ではないようだ。
アレクシアにブリタニー老夫妻がつけられ帝室の監視下ある上、伯父君のスパイも週に1度顔を見に来るようになって研究地区から離れにくいし、カールは帝室宛ての北領の決裁目録を作るのに追われ、いろんな意味で人数不利だから民の命が奪われない方向に妥協したらしい。
兄妹がそんな苦境にある話を聞いて断るわけにもいかず、父はこの地下組織を丸ごと引き取って、私につけた。
迷惑だ。
でもまあ、元雑兵たちは南領紛争が終われば北領に戻るつもりでいるので、なるようになるだろう。
元雑兵たちはお嬢を慕っていろいろなエピソードを語ってくれたが、決して名前や身元が分かる情報は漏らさなかった。
お嬢は「お嬢」で、ジョセフは「お頭」で、アレクシアは「姫」だ。
私は「若」と呼ばれるようになった。
お嬢の情報は手に入らないが、私の情報が漏れることもないだろう。
そのほかに分かったお嬢の情報は、べっぴんさんで辛辣で、ちょっとだけ私と似ているということだ。
おかげでお嬢の親戚だと思われて親切にしてもらえた。
それから「迷惑です」は、口癖のようなもので、元雑兵たちはまったくへこたれていなかった。
一番この言葉を浴びせられているのは「姫」らしい。
「迷惑です。姫がノーコンだから、こんなことになっているんでしょう? さっさと帰って下さい」
姫は戦闘中、お嬢に雷が落ちないようにお嬢にしがみついているとのことだ。
超絶ノーコンな術師でも自分に雷を落とすことはないかららしい。
7才の時カーナにしがみついていたアレクシアを思い出した。
あの時アレクシアは密かに臨戦態勢だったのかもしれない。
アレクシアは、世話係も本物の隠密で、友達も本物の隠密のようだ。
凝りすぎだろう?
でも、アレクシアに友達がいると分かってよかった。
南都と西都を急襲した無国籍軍事組織の兵士も、食うに困っている貧しい人が格安で雇われている場合が多かった。
無国籍軍事集団の雑兵になって帝室と4領の敵になるよりは北領に逃げて文化的な生活を手に入れたほうがマシだと西領、南領、帝国領の各地で喧伝した。
貧乏人を全部北領に厄介払いをしたようで心苦しい。
「あと数年は冬季に建設系の事業がいるかしら。北領ってこれまで人口が少な目だったから、未開拓地は多いのだけど、避難民たちが南領に戻ったら廃墟になってしまうような施設は良くないわ」
思案顔のアレクシアに、ブリタニー夫人がぱあっと顔を輝かせて提案した。
「それならウォーキングパスにしましょう! 健康にもいいし。北領の主要地と景観の良い場所まで歩ける歩道網、いいじゃない?」
「ううっ。わたくし、歩くのは、ちょっと…… でも、事業としてはいいかもしれません。それぞれの土地に数件ぐらいは宿泊施設を作ったりして」
「ホテルだと後で廃墟になっちゃった時に更地にするのに無駄なお金がかかるから、まずはキャンプ施設がいいわ!」
「ううっ。わたくし、キャンプも、ちょっと、しばらくは……」
ブリタニー夫人は見かけによらずアウトドア派なようだ。
大富豪がキャンプ。
違和感があるが、夫人の声色は弾んでいる。
「大丈夫よ! アリーはやればできる子だから!」
「そういうのが得意になると、姫として減点されないかしら?」
「ふはっ。いまさら?」
随分久しぶりに緊急性のないのんびりとした雑談をした気がした。
紅葉の美しさも相まって、とても安らぐ旅になった。
私はアレクシアをかわいいと思ってはいないが、この妹を実の妹と同じように愛している。
北領側の国境にはゴードンとカーナ、それに臨時筆頭研究員の幽霊がいた。
幽霊は風魔法の使い手らしく、器用に匂いを風で飛ばしながら悪臭する氷塊と脱ぎ捨てた手袋を細長い箱に詰めた後、側面のコルクを抜いて、再び風魔法で中の空気を吸い出し、再びコルクを締めると匂いが収まった。
手慣れている。
臨時とはいえ筆頭研究員にもなるとこのくらいの悪臭には動じなくなるのだろうか?
別世界を覗き見た気がした。
幽霊は、自己紹介しても結局は幽霊としか呼ばれないから、幽霊と自己紹介するようになったらしい。
私も名前を聞いたが、忘れてしまった。
正確に言うと、悪臭の塊を涼し気に扱う姿が衝撃的で色々と吹っ飛んでしまった。
臭いのをもろともせずムダに大人数で警護していた近衛たちですら、彼の作業風景を見て固まっていたので、皆概ね同じ感想を抱いたのだと思う。
彼はもう鼻が効かなくなっているのではなかろうか?
いや「臭い」と言ってブリタニー老夫妻にハグされるのを嫌がっていたから、多分、鼻はまだ生きてる。
多分。
北領の研究者は変わり者が多くて、インパクトのあるあだ名で呼び合っているうちにお互いに本当の名前を忘れてしまっていることも多いらしい。
幽霊は見た目は子供だった。
いわゆる神童ってやつだろうか?
他にも、ガム、おねえ、巨人、シマウマ、もじゃ、伊達メガネ、マシュマロなどなど、おもしろい人がいっぱいいるから遊びおいでと言われた。
私は「シマウマ」がとても気になる。
ちなみにアレクシアは「姫」らしい。
まんまじゃないか。
つまらない。
アレクシアの周りで起こる変わったことにはもう驚かなくなっている。
この悪臭と同じで、鼻がバカになって細かいことはわからなくなる感覚だ。
幽霊は作業が終えると大変丁寧なお礼の言葉をくれた。
研究区域には変わった人が多いけど、教育水準が高い人が多いから、治安はとてもいいのよとアレクシアが言っていたことを思い出した。
アレクシアがこちらに手を振りながら馬車に乗り込む姿を見て、面白い方の妹は変人の集まりに溶け込んでるぐらいが居心地が良いのだろうと思った。
春になれば、北領から南領へ民たちが戻り始めるだろう。
彼らが西領観光を楽しみながら帰郷できるように、この冬は北領のあぶれた労働力を少し西領で引き受けることを父上に相談しよう。




