マグノリア8
「へぇ~。人が電撃的に恋に落ちることがあるっていうのは、本当だったんだね。いいもの見させてもらったよ」
ルイスの軽い反応からも目の前の人物がアレクシア姫ではないことが確認できた。
私の妻になってくれ。
一生大事にするから。
すぐにでもそう言いそうになった。
その瞬間に言わなかっただけで、割とすぐにその旨を口に出した。
リリィの戦術「押して、押して、押しまくるのみ」だ。
ルイスには効かなかったみたいだから、この人に効くかどうか分からないが、初手でこちらの好意を理解してもらわねば、何も前に進まないと言っていた気がする。
まもなく本物のアレクシア姫が平民の少年姿で現れた。
人影からこちらの様子を伺っていたルイスが、ほわわわ~んとなっていたから、間違いない。
ちゃっかり指輪を交換していて吹き出しそうになった。
アレクシア姫に関してはいつも必死で余裕のない男だ。
でも、姫も自分の指輪を君にくれたんだし、きっと見込みはゼロじゃないさ。
アレクシア姫は、民に聞きかじっていたアリスター・ノーリス子爵令息のイメージにぴったりの「本人は気付いていないが物腰が猛烈に良家のボンボン」な少年だった。
カールから聞く頼れる妹でも、ルイスから聞く守ってあげたいお姫様でもなく、「良家のボンボン」だ。
正直、地味だ。
キラキラ皇太子のルイスの横に立って見栄えのする姫ではないように思う。
でも、カールと同じで、見れば見るほどその美しさを理解するようになるタイプの姫なのかもしれない。
カールは実は美しい。
色素が薄くて、髪の色も白っぽいブロンドだし、瞳の色も水色だから、パッと目を惹く男ではない。
キラキラと輝くオーラが出ているわけではなく、独特の雰囲気があるって感じだ。
だが、見れば見るほど美しく、知れば知るほど味わい深い。
きっと妹の方もそんな感じなのだろう。
私は北領へ亡命し、カールの元で領主修行に励むことにした。
その間、南領は帝室が運営してくれることになった。
「公印が帝国印のままになるってだけさ」
カールのいつぞやの言葉がずっと頭の片隅でくすぶっている。
私はこのまま南領に戻らないで、北領に根をおろしてしまうかもしれない。
南領民が恙なく暮らせるのであれば、サウザンドス家の再興にこだわりはない。
マーガレット・サマー。
それが私の唯一の名前だ。
カールの母方の従姉で、アレクシア姫を毛嫌いしていると聞いていたが、実は熱狂的な崇拝者の一人だった。
マーガレット本人から聞いた話では、最初は本当に大嫌いだったそうだ。
アレクシア姫はその事すらも利用して、大粛清を成し遂げたとうっとりしていた。
アレクシア姫の断行した大粛清は、北領貴族の4分の1を取り潰すに至った。
朝議でアレクシア姫の処刑、幽閉、除籍追放を提案・賛成した貴族たちだ。
ある朝、影武者マーガレットと入れ替わって、一気に潰したらしい。
その朝議は、テーラ皇帝アルバート陛下も隠れて視察し、その日の午後、議事録が上がってきた瞬間に帝室公印にてアレクシア姫の決めた処分が承認されたらしい。
アレクシア姫の背後には必ずテーラ帝室がいる。
婚約締結の事実があっても、なくても、この姫はテーラ家に嫁ぐのだと思う。
そして、この姫がテーラ家に嫁いだ時、ようやく北領の自治が再会することになるんだろう。
北領に戻った英雄アリスター・ノーリス子爵令息は、近衛に復帰し、アレクシア姫の影武者となった。
アリスターの姿が見えないと、移民たちが心配するので、そのように公開するに至った。
マーガレット・サマー侯爵令嬢がアレクシア姫の影武者の任から解かれたことも同時に公開された。
マーガレットは北領の淑女達を牛耳っていた。
他にどういっていいかわからない。
影武者解任祝いのお茶会を開くと通知したら、参加申し込みの手紙が押し寄せた。
会場の定員を超えると参加受付が締め切られたが、参加できなかった令嬢たちのために茶会でどんな情報が交換されたかについての会報が出た。
いつもこんな感じらしく、本人は飄々としていた。
凄まじい人を好きになってしまったかもしれない。
「身分は北領侯爵令嬢だけど南領領主夫人に十分な資質があると思うよ?」
カールは苦笑いしながら、マーガレットのご両親を紹介してくれた。
アレクシア姫は、姫のカツラを被って研究区域に戻った。
「姿を見せてくれるアレクシア姫はアリスターで、姿を見せてくれないアレクシア姫がアレクシア姫だ」
移民たちはそのように理解した。
ワケが分からないようで、上手く収まっている。
アレクシア姫に「アリスター」と呼びかける者もいた。
「研究区域には『気付いても気付かぬフリができるのが粋ってもんだ』という宗旨があるのよ」
マーガレットは、そのように言って、窘めていた。
この場合、目の前にいる人が「アリスター」だと気づいていても、指摘するのは無粋だと窘めているのだ。
その言葉は、その後も、いろいろな人の口からいろいろな場面で伝えられているところを見た。
その研究区域は、他の地域で受け入れられなかった研究者たちの作った、誰もを受け入れることができる地域だったから、各々触れられたくない何かを持っていた。
だから「輝く未来へ!」、「飽くなき挑戦を!」と言うような他の研究区域で掲げられている宗旨ではなく、「気付いても気付かぬフリができるのが粋ってもんだ」なんだろうと思う。
その最たる例が、幽霊と呼ばれる臨時主席研究員だ。
アレクシア姫が研究区域に戻ったことで、幽霊は帝都に帰った。
姿は見せない。
研究所の殆どの人が助手の小僧だけを涙と共に見送った。
幽霊はアレクシア姫の留守中、新規の科学研究費の認可と出納管理を行っていた。
幽霊がすぐにお金に変わりやすい研究から優先的に承認したから、研究者たちも状況を察して結果を出しやすく、早期にお金に変わりやすい研究を優先的に申請した。
幽霊は相当な目利きだ。
この好循環が研究区域での移民たちの受け入れを支えた。
研究開発の回転も速く、予算申請書の数も膨大だったから、研究者たちは申請書の取り次ぎをしていた幽霊の助手に親しんでいた。
助手の方はマスコット的存在だそうだ。
だから、出立の時、幽霊が姿を表さなくても、まったく残念がっていなかった。
この幽霊の帰都は、封地の主であるアレクシア姫だけでなくカールも郊外まで足を運んで見送った。
「それぞれの家族がようやく分散を解除して、再び共に暮らせるようになったのは喜ばしいことだ。君も新しい家族を見つけたようだし」
城に戻る馬車の中、カールは穏やかに微笑みながらそう言った。
それは、カールとアレクシア姫のことを言っているのかと思ったが、おそらく幽霊も自分の家族の元に戻れてよかったという意味も含まれていたのではないだろうか?
だとすれば、帝都に戻った幽霊はテーラ帝室の人間だろう。
帝室は研究区域にも人を出して民を支えていたのだ。
底知れぬ一族だ。
「気付いても気付かぬフリができるのが粋ってもんだ」
私も研究区域の宗旨に従うことにした。




