カール29
半年ほど静かな学生生活が過ごした頃、待ち構えていた転機が訪れた。
東領イースティア家当主から伯父宛てに私と偽者のミレイユ姫との縁談が持ち込まれたのだ。
ダイアモンドは北領での大粛清の残党狩り、クリス卿は地下で裏社会の勢力を東に追い立て、トーマス殿下は南領に入り圧力をかけ始めたのに加え、シオンがテーラ宮殿で偽者ミレイユ姫を自分の傘下に引き込み始めたことで、物事がうまく進まなくなり、ようやく追いつめられてくれた。
かなりしぶとい強敵だった。
とりあえず偽者でもよいからミレイユ姫との婚約を発表し、シオンと私の大規模魔法衝突から10年断交が続いていたノーザンブリア家とイースティア家の和解を取り繕って、民を安心させようと考えていた。
テーラ家では、武力制圧の準備も進められていると聞いていたが、挙兵せずに済むのであれば、試すべきだ。
「やっぱり! 偽者との縁談に乗るつもりだったのですね!?」
「君に妨害されて、その線は諦めたけれどね……」
縁談を聞きつけたダイアモンドは、怒りに震えた状態で領地から帝都の私の家に乗り込んできた。
不安な時に抱きかかえている巨大なクマのヌイグルミを小脇に抱えてプリプリしているダイアモンドがコミカルで、思わず笑ってしまったら収拾がつかなくなってほとほと困り果てることになった。
初めての兄妹喧嘩だった。
ダイアモンドが私に反抗したのも、譲らなかったのも初めての事で、動揺してよく眠れなかった。
睡眠不足を抱えたまま学園に行ったら、面倒臭い男に掴まった。
『アリーが帝都に来ているんでしょ? アリーに会わせて』
ルイスだ。
この男の面倒臭さは、いくつかの要素で重ね掛けされている。
『君を投獄してアリーをおびき寄せるような事はしたくないんだ』
第一に、この男自体が面倒臭い。ダイアモンドのことに関してはちょっとおかしくなる厄介さ付きだ。
『クリストファー・ウェストリア。新しい婚約者は、あいつか?』
加えて、この男は陛下の子育て方針で、あまり情報が与えられていない。
彼が知っている情報で導き出される答えが必ず見当違いの方角に向くように仕組まれているのだ。
こちらからはルイスが何を知っていて、何を知らないのかが見えない。いずれにせよ幼馴染をフルネーム呼びするほどキレているのは確かだ。
テーラ家のことはテーラ家に。
ダイアモンドに丸投げするために家に連れ帰った。
『アレクシア様は、昨夜一睡もできなかったそうで、現在仮眠をとられています』
家に到着すると、女帝の情報ネットワークによって私がルイスに生徒会室に呼び出されたことを聞きつけたマギーが心配して、ルカと共にウチで待っていた。
行動が早い。
「けれど、この件については、偽者ミレイユ姫の当て馬騒動について情報を収集するために学園に残ったマティ姉様の方が『女帝』としてのレベルは上ですけれどね?」
「ふっ。ぽやぽやな君が『女帝』のレベル感について語るとは……」
ルイス嫌いのマギーは、怒りのオーラを燃え滾らせながら仁王立ちでルイスを睨みつけていた。
やめてほしい。
婚約者のルカは複雑そうな表情で横に立っているだけで、何も言わない。
助けて欲しい。
ルイスはダイアモンドが起きるまで待つタイプだ。
帰って欲しい。
このピリピリした空気が何時間も続くのかと思えば、気が滅入った。
マギーとルカは、東領の姫が偽物だと知らない。伯父上と私たちの関係もハッキリ伝えていない。
ノーザンブリア家とイースティア家の断交の理由も、本物シオン、本物のミレイユ姫、スミレ女公がノーザンブリア家に保護されていることも秘密だ。
ダイアモンドの事は「アレクシア姫」だと思っている。
縁談なんて込み入った話をするのに、言えないことだらけだ。言葉に気を使いすぎてハゲたら、ダイアモンドにカツラを誂えてもらおうなんて、どうでもよいことが頭に浮かんだことを覚えている。
「カールには、何でも秘密を打ち明けられる伴侶が必要な時期だったのです。英雄マチルダ姫の出番でした」
「そうか? 君の親友ヴァイオレット嬢なら既に知っている情報も多かったし、秘密を守れるし、察する能力もあったから、あの時点での適任者はヴァイオレット嬢だったように思えるが……」
「ふふふ。ヴァイオレットは、トミーのお嫁さんになってもらえるように仕向けました。テーラ家の秘密までおしゃべりできるようになって、最高です。わたくしの縁結びの腕前は、なかなかでしょ?」
「トーマス殿下は素晴らしいよな。ヴァイオレット嬢にテーラ家の秘密を明かせるようにしつつも、妻が陛下にこき使われないように北領平民戸籍で婚姻を結んだ」
「そうですね。トミーは、長らくわたくしのことをルーイの婚約者だと思っていたようです。わたくしの帝位継承順位が自分より高いと知った時、凄く驚いていました」
「ルイスの嫁が陛下からこき使われてるから、自分の嫁をガッチリ守ったけど、実は、兄嫁じゃなくて上官でした、みたいな?」
「そんなような感じです」
マギーは、ルイスが陛下の命で偽者のミレイユ姫を「人質」として預かっている事も知らない。
学園で東領の姫が視界にチラつく状態でダイアモンドにちょっかいを出してくるルイスが大嫌いで、それを態度に出していた。
出会った瞬間からひたすらダイアモンドの事が大好きなルイスが、過去にダイアモンドに散々無礼を働いたマギーにこんな扱いをされるのは少し気の毒でもある。
そんな張り詰めた空気でお茶を飲むこと小一時間、ドアがカチャリと開いて、家着のシンプルな黒のデイドレス姿のダイアモンドが入ってきた。
背面に帝室の家紋が大きく刻印されているメッセージカードを唇にポンポンと当てながら思案顔だ。
ダイアモンドもメンバーの顔ぶれを見て、秘密を隠しながら話を進める方法を考えていたのだろう。
『アレクシア姫、ごきげんよう。チュッ』
そんな中でも、ルイスはルイスである。
ピリついた空気感など意に介さず、ぶっ飛んで行って手の甲にキスを落とし、そのまま背中に手を当ててソファーまでエスコート。自分の隣に腰かけさせ、手をナデナデしている。
スムーズすぎて女性に慣れたハーレム王子にしか見えない。
『殿下、わたくし、殿下にご助力いただきたいことがございます』
『なになに? 何でも言って』
『東領の姫に今すぐ求婚してきてください。その上で、東領と北領の縁談は東領側から持ち掛けられたもので、東領の姫の行いは風説の流布にあたるから速やかに改めるようにご指導願います』
ルイスの顔から笑顔が消えて、涙が一粒、ハラリと零れ落ちた。
ルイス嫌いのマギーが息をのむのが聞こえるのみで、部屋が凍り付いたようだった。
私も流石にこれは酷すぎると言葉が出なかった。
『それはイヤ。ムリ。話をしよう。違う方法があるはずだ』
ルイスが表情を見られないようにとダイアモンドから顔をそむけると、ダイアモンドはルイスの膝に座り、指で涙を拭って、ルイスに帝室の紋章入りのメッセージカードを読ませた。
ダイアモンドが自ら進んでルイスの膝の上に座ったことで、マギーが驚いて、目を見開き口元を両手で覆った状態で固まった。
『これは殿下のやらかしですよ』
ルイスはダイアモンドをギュウギュウとぬいぐるみ抱きしながら、メッセージカードを読んだ後、ダイアモンドの首元に顔を埋めて、ポツリと言った。
『それでも、君以外はヤダ』
鬼畜ダイアモンドは、イヤイヤモードに入っているルイスの顔を両手でガシッと包み込んで、更に言葉を続けた。
『殿下が東領の姫に求婚してくれれば、東領は兄様との縁談をあちらから取り下げます』
『私は君がいい。そこは譲れない』
恥ずかし気もなく子供帰りして、どうやっても折れそうにないルイスに、マギーが応援するような温かい視線を送り始めたのに気づいてギョッとした。
胸の前で祈るように両手を揃え、どう見ても、ルイスを応援しているようにしか見えない。
ルカはそんなマギーをよしよししている。
ちょっとどこへ向かっているのか分からなくなって、混乱していたら、ダイアモンドの最後の一押しに全てが吹っ飛んだ。
『殿下、わたくしは愛人でいいでしょう?』
いいわけがない!
いいわけがない!!
いいわけがない!!!
陛下はルイスにライラック姫を押し付けようとしたときも、「アレクシア姫は愛妾」作戦で一家離散を招いている。
過去に明確に失敗した作戦を重ねてくる理由はなんだ?
間違いなく、私への圧力だ。
私が偽者ミレイユ姫との縁談をサクッと断れば、ダイアモンドがおかしな方向にルイスをけしかけることはない。
このまま私が偽者ミレイユ姫の縁談を進めれば、ダイアモンドはルイスをけしかけ続け、壊れたルイスは、ダイアモンドを攫ってどこぞに雲隠れしてしまうかもしれない。
私は、ノーザンブリア家とイースティア家の婚約締結を契機とした和解を諦めざるを得なかった。




