マグノリア1
その日は、何の変哲もない普通の日だった。
帝都の学園の春休みで上の妹と母上が領地に戻り、家族揃って夕食をとっていたことだって、その頃の私にとっては普通の日の一部だった。
私は気難しい年頃の14才だったから、久しぶりに母上に会えた下の妹が浮かれまくって「聞いて聞いて!」とどうでもよいことを延々と話し続けるのを割と本気で苦痛に感じていたことを覚えている。
突然、ダイニングに迷彩柄の賊が押し寄せてきてて、父上、母上、母上の隣に座っていた下の妹の順で斬りつけた。
何が起こってるのか全くわからず。ただただ混乱するだけだった。
上の妹がどうなったかわからない。
私は後ろからグイッと引っ張られて、椅子から転げ落ちた後、メイド服姿の女性にグイグイ手を引っ張られながらひたすら走って逃げた。
文官服の男が応戦して、時間稼ぎをしてくれている姿を見た。
どこをどう進んだか全くわからない。
私は城下についてはさほど詳しくなかった。
メイド服の女性は私をこじんまりとした家に連れてくると「帝室に助けを求めました。彼らが現れるまでここから出ないでください。南領のテンプル騎士では状況を打開できませんから、連絡は控えて」と言って、どこかへ消えた。
そのメイド服の女性が私の前に現れることは二度となかった。
その女性が言った通り南領の近衛やテンプル騎士はほとんど抵抗力を持たないまま瓦解した。
教会に連絡を取っていたら、私は捕らえられて、今頃命はなかっただろう。
3日後、私を救いに来たのはテーラ皇太子ルイスだった。
上の妹リリィがこの絵にかいたような麗しい皇子にお熱で、絵姿を見たことがある。
リリィは皇太子妃の座を狙っていて、ダダをこねて初等部から帝立学園に入学した。
逆に帝都なんぞに行きたくなかった私は翌年の高等部への入学について考えると気鬱だったが「学園なんてこの状況に比べると屁でもないな」なんて、どうでもいいことが頭に浮かんだ。
妹の憧れの君ルイスはとても柔らかで優しい口調で厳しいことを次々に告げた。
私以外の家族の消息は不明であること。
サウザーン城をはすでに敵の手に落ちたこと。
南都サウザーン以外にも2都市が同時に攻撃され、全て敵の手に落ちたこと。
各地の主要行政機関だけではなく、教会も制圧されていること。
「私たちはまだ落ちていないナンチャンを取りに行くが、君も来るかい?」
私は頷いた。
他にどんな選択肢があるのか、分からなかった。
その時の私は上手く考えることができなくて、ただ呆然と柔らかく優しい声の主に従っただけだった。
同時にこの麗しい皇太子が上の妹を救出に来たという美しい恋物語が、かき消えた。
この皇子は生きていることが分かっている私を回収に来ただけだった。
殆ど寄り道をせず、サウザーン城を避けて、注意深く潜伏しながら移動した。
私は恋物語に現を抜かすタイプではないが、帝室が皇太子を出したことに凄まじい特別感を感じたのだ。
到着も早かった。
急襲されてから3日、帝都に連絡が入った後、すぐに出立し、休憩なしで馬を乗り継いできたのではないか?
上の妹が斬られたところは見ていないが、見ていないからこそ生きていたら酷い目にあっている可能性が頭を過り、この皇太子が救ってくれることを期待してしまったのだと思う。
ナンチャンの城は、帝室の小隊を歓迎した。
私はテーラ近衛の白服を着て正体を隠した。
そこで、南都サウザーンで、父、母、2人の妹の亡骸が晒されたことを知らされた。
「ご遺体を取り返しに行こう」
ルイスは、柔らかく優しく、でも決意の籠った声色でそう言った。
正直に言う。
私は、そんなこと思いつかなかった。
2日かけてやっとナンチャンについたばかりなのに、翌朝、サウザーンに引き返すことを即決するなんて、意味がわからなかった。
薄情だろうか?
心身喪失中で、あまり考えることができなかったんだと思う。
考えることができていれば、家族の亡骸は諦めていた。
それよりも他の拠点を、南領の民を守ることの方が重要な場面だった。
明け方、城が騒がしくなったかと思ったら、家族の亡骸があちらの方からやってきた。
頭がおかしくなっていたのかもしれない。
本当にそんな感覚だった。
「すまない。サウザーンで妹がキレた。単騎で突入して、ナンチャン入りが遅くなった」
「お前はバカか? なんで連れてきた」
ルイスが怒鳴ったことに驚いた。
「連れてきたんじゃない。勝手にきた」
「アレクシアは今どこに?」
アレクシアという名前の妹がいてルイスと対等に話せる相手なんて一人しか思い当たらない。
次期北領当主カールだ。
「軍紀違反で捕縛して連れてきた。大人しくしている」
「檻に入れて北領に送り返せ。北領から出ようとしたら、牢にでも入れとけ」
「あの子は、磔になったご遺体を見てしまった。牢に入れれば北領から抜け、野に降りるだろう。アレクシアは手元に置く」
ルイスは苛烈で、カールは温厚。
これが彼らの本来の姿なんだろうと思う。
しかし、この時以降、苛烈なルイスは見たことがない。
一方、カールは親しくなるにつれて、温厚な正体を見せてくれるようになった。
双方、上手く隠していることを尊敬する。
カールは、温厚のままでは北領を守れない立場にある。
両親を失ったあと、他国に侮られない強い総領であることを示すために。
そして、壊れてしまった妹を隠すため。
磔になった遺体を回収するために、単騎で突入するなんて、狂人としか思えない。
そもそも軍馬を走らせられる姫なんて想像がつかない。
ここ数年で「北領の脅威」という言葉が生まれた。
北領のカールは、仇敵への恨みを晴らすまでは喪服を脱がない。
北領のカールは、北領の敵に容赦しない。
でも、ちゃんと情報収集をすれば、本当に怖がられている「北領の脅威」は、妹のアレクシアの方だということがわかる。
残虐なことはしない。
ただ、富国のスピードが尋常じゃない鬼才で、暴利を貪る金の亡者で、不穏なものたちを引き寄せる悪のカリスマ。
南領貴族の間での呼び名は悪姫アレクシアだった。




