【閑話】母上のバラ
「母上、アデル。ここにいたんだね? なんか凄い格好だ」
「ふふふっ。どうですか? プロっぽいでしょ?」
ごきげんよう。
アデル争奪戦で母上にまだ勝ったことがないルイスです。
部屋付きの女官達から「園芸服を着てソフィア様と出て行った」と聞いて、ブルーになった。
母上は宮殿中を自分の庭にしていろんなものを植えまくっているから、園芸=どこにいるか分からない、なのだ。
探すのに時間がかかった……
「ルーイも見て。ようやく紫のバラが毎年ちゃんと花をつけるようになったのよ」
「ああ、これが例の水やりの水に蒸留水を混ぜて硬度を変えている面倒なバラですか?」
「繊細と言って頂戴」
このバラ用の蒸留水を作る装置が壊れた時に、水魔法で蒸留水を作って専用プールに満たしてあげたことがある。
そこまでして育てなくとも……
個人的には理解できないけれど、趣味とはそういうものなんだろう。
「そんなことより、お昼を過ぎていますよ。ランチにしましょう」
「まぁ、もう、そんな時間なのね? わかったわ。それじゃぁ、寝室用の黄色のバラを切ってから行くわ。またあとでね」
週末に学園の寮から宮殿に帰るようになった最初の頃は、私に遠慮してアデルをどこかに連れて行ったりしなかったのに、最近、ちょいちょい週末にも母上にアデルを奪われるようになって、少々不満だ。
でも、まぁ、紫のバラは何年もかけてすごく苦労して育てたみたいだから、花が咲いたのを見せたかったんだろう。
仕方ない、かな?
「アデルは、部屋用のバラは要らないの? 黄色は咲く期間が短いんじゃなかったっけ? 貰ってくれば?」
「わたくしは、赤いのを貰うので大丈夫です」
「あの外で育つ逞しいやつ? あれ、冬はトゲトゲの棒切れでみすぼらしいのに、季節が来るとちゃんと花をつけるから不思議だよね?」
私達の居住棟の近くに植えられているのは強い品種らしく、外の風に晒されて冬越しする。
「ソフィアが越冬のためのケアを丹念に行ってくれているから、きれいに咲くのですよ? 昨冬はわたくしもお手伝いしました」
「ふぅん。じゃぁ、君が着替えている間に私が切って持って行くよ。赤と白とピンクが混ぜ混ぜに植えられている場所だよね?」
「ルーイ。赤だけ切って下さいね? 白とピンクはダメですよ?」
「ん? 赤だけ欲しいの? 子供の頃から変わってないね? 鼻を埋めてすんすんしてたよね?」
え?
何?
どうして含みのある表情で笑ってるの?
なんで楽しそうな表情になったのか、後で教えてね?
そんな風に思いながら、バラを切りに行ったところ、シオン公子とミレイユ姫に出くわした。
**
「ルイス殿下も花の世話をなさるのですか?」
「やあ、シオン。それにミレイユ姫。ごきげんよう。これはアデルの為に切っているだけだよ。育てているのは母上ね」
不便だなと思う。
シオン公子とライラック姫が高等部に入学したことで、アデルは就学時間帯に母上と庭園に出やすくなった。
一方で、シオン公子と偽者のミレイユ姫が皇族のプライベートエリアを散歩するようになったので、就学時間以外には外に出られなくなった。
だから、園芸服を着て出て行ったと聞いたとき、心配になって探しに行ったのだ。
テーラ家を嫌っていたシオン公子が皇族のプライベートエリアに入ってくるようになったということは、少しずつだけどテーラ家への好感度が上がっている証拠だから、いいことだ。
母上の庭をとても気に入ってくれているようで、嬉しくもある。
それに、彼らの散歩は、シオン公子と偽者ミレイユ姫の関係構築に大いに貢献しただろう。
それでも、アデルが居住棟に籠らなければならないのは、モヤっとする。
「アデル様はバラがお好きなのですか?」
こんなことを聞いてくるなんて、偽者ミレイユ姫はどう見てもシオン公子に鞍替えしている。
しかし、シオン公子がそれに気づいた様子がないのが不思議だ。
シオン公子が入学した後、偽者のミレイユ姫は、僅かに残る自分の派閥と行動を共にするようになった。
昼食も私達と食べるのを止め、シオン公子と共に食べている。
このことは学園で大きな話題になった。
幼稚舎から南領紛争まで帝立学園に通っていた「初代シオン公子」とも、高等部の入学式に現れた「二代目シオン公子」とも全く親し気にしていなかった偽者ミレイユ姫が、学年主席の「三代目シオン公子」には張り付いて女払いをするようになった。
みんな、普通に驚いた。
しかも、私の後ろをついて回っていた時にはただそこに佇んで存在感だけアピールしていただけだったのが、シオン公子に近づく女性とは積極的に舌戦を繰り広げるのだ。
このお陰で「三代目が本物」とすんなり受け入れられたとも言う。
「うん。バラが好きな割に、赤しかいらないとわがまま言うんだよね。この色が一番トゲトゲがきつくて、棘を摘むのが面倒なのに……」
「ルイス様。恐れながら、赤がルイス殿下で、白がトーマス殿下で、ピンクがマイクロフト殿下なのです。他の色はいらないというのは、そういう意味かと……」
以前の偽者ミレイユ姫なら、絶対にこういうことは教えてくれない。
って、ん?
「ええっ!? そうなの?? えええぇ~。そういうこと? ミレイユ姫、よく知っているね?」
私しかいらないって、言ってくれてたの?
子供の頃から?
あの頃から、赤にだけ、鼻を埋めてすんすん嗅いでたよね?
マチルダ姫と一緒に作ったブーケも、赤を一本だけ引き抜いて残りは受け取らなかったよね?
どうしよう。
嬉しくて、涙出そう。
真っ赤になったのは、止められそうにない。
「はい。宮殿でお世話になって長くなりますが、ソフィア様のお庭の話題は平和的で無難ですから皆さんよくお話になるのです」
「なるほど。母上は、バラには特に力を入れていたけど、そういうことだったんだね」
バラだけでも何十種類も育てているから、全てのバラが誰かに呼応しているとは思わないけれど、一か所に混ぜ混ぜに植えられているのはこの三種類だけだと思う。
私達三兄弟が仲良く出来るように、一緒に植えてくれたのかな?
「郊外にそれぞれのバラ農園があって、それぞれの皇子ごとに精油やローズウォーターを作って、香水から洗剤まで専用の香りに整えられているとのことです」
「ひやぁ~。そうなの? じゃぁ、きっと、あれだ。君のバラは温室の紫色のバラじゃないかな?」
「えっ? 私のもあるのですか?」
「温室の紫色は育てるのが難しくて、土の酸性度とか、水の硬度とか、凄く工夫しているみたいだったよ」
紫は「繊細」だから、温室育ちで一緒には植えられていないが、多分、あれがシオン公子のバラなんだと思って、教えてあげた。
寝室に飾ると言っていた「黄色」が父上だよね?
結婚して20年ほど経っているはずなのに、母上は父上と打ち解けて見えない。
前年、母上が家出した後、父上が毎日ブリタニー老邸に通って、ドア越しに母上に愛の言葉をかけ続けたことでようやく甘さを漂わせるようになったと理解していたけど……
バラはそれよりずっと前から育てている。
実は母上は父上のことをちゃんと好きなのかな?
父上はそのことを知っているのかな?
教えてあげた方がいいかな?
そんなことを考えながら居室に戻ったんだけど、アデルの顔を見たら全部どっかに霧散した。
「アデルぅ~。しゅき~~」
「ルーイ。わたくし、お腹がペコペコです。イチャイチャするのは食事の後でもいいですか?」




