シオン12
「シオンが元気そうで何よりです」
「アレクシアは過労気味だと聞いて心配していたけど、元気そうで、安心したよ」
季節が変わる頃、アレクシアがテーラ宮殿の迎賓館に訪ねてきた。
カール様の婚約の吉報を伝えるためだ。
相手は西領ウェストリア家のマチルダ姫だそうだ。
経緯も教えてもらったが、収まるところに収まるべき人が収まったという印象を受けた。
「ヴァイオレットからこれを預かりました」
「ああ、迷惑をかけたみたいで申し訳ない」
アレクシアは、姉上の個人印章を持ってきた。
偽物のミレイユ姫が自身の派閥に踊らされて、学園でひと騒ぎしてしまった。
「シオン、他人行儀は寂しいです」
「ふふ。ごめん。そんなつもりはなかった。偽者のミレイユ姫は、自分がルイス殿下に選ばれると信じ込んでいるんだ。それをノーザンブリア家とウェストリア家の関係が強まると不都合な者どもに利用されたようだ」
「ヴァイオレットは偽者のミレイユ姫を本物に変えてあげたらいいのにと考えているようでしたが、そんな軽率な方なら心配になってしまいます」
軽率。
最大限にマイルドな言葉を選べば「軽率」と言えるかもしれない。
「本人にね、警告しておいたよ。『君は頭が悪いことを利用されて捨て駒として扱われているぞ』とね」
「そうですね。あの方は、今後、ノーザンブリア家とウェストリア家からお付き合いを断られるでしょう。先のことを考えずに利用されたのですから『捨て駒』という言葉は的を得ています」
「残念ながら、彼女に最も響いた言葉は『カール様とクリス様から嫌われた女は、ルイス殿下は娶りたくても娶れない』だったよ」
ノーザンブリア家から強引な縁談が来たと誤解していたとしても、カール様の名誉を損なうような行動はぐっとこらえるべきだったんだ。
それが分からないなんて、頭が悪すぎる。
「学業の成績は優秀なのに、不思議です」
「意図的にそう言うことが理解できないように育てられたのかもしれない」
「そんな酷い環境で、お育ちだったとすれば、同情的になってしまいますね」
アレクシアが青ざめていたので、気分転換に庭園に連れ出した。
アレクシアにとって、捨て駒として育てられることは、東の森で野営させられたことより酷いことなのかもしれないと思った。
「ソフィア妃が手掛けている庭はどれも美しいね?」
アレクシアは、ぱあっと破顔した。
予想通りだ。
私がソフィア妃への態度を軟化させたことを知れば、喜ぶと思った。
「そうでしょう? わたくしはソフィアの庭の大ファンなのです」
それは「頭の中がお花畑」なソフィアは、庭だけは自由にさせてもらえるという宮殿の女官達からの痛烈な皮肉だった。
政務にも、公務にも、公式行事にも、子育てにも、あまり参画させてもらえていない。
庭だけは、お花畑だけは、ソフィア妃の采配が全面的に通った結果、テーラ宮殿の庭園は神の園と呼んで差し支えないような素晴らしい出来栄えだった。
「それに、ソフィア妃はアレクシアが好みそうな心の優しい方だった」
「わたくしにとってはそれだけではないのです。ソフィアは特別な同志なのです」
「同士?」
「ソフィアは魔力無能者で、魔力がないことで嫌な思いを沢山しました。そして魔力障害で大変な苦労を強いられていた親友がいて、その方は成人を待たずに亡くなってしまいました。わたくしも重い魔力障害を患って、日常生活に苦労している人を知っています。だからソフィアに強く共感してしまうのです」
フレデリック様にも重篤な魔力障害の娘がいると言っていたことが頭に浮かんだ。
9才の時、アレクシアがフレデリック様とレイチェル様を紹介してくれた時にアレクシアがレイチェル様に親し気に抱き着いていたことを思い出した。
きっとフレデリック様の娘とアレクシアは友達なんだろう。
「しかし、ソフィア妃が魅了薬を始めとする精神薬の蔓延する社会を作ったんだ。共感してはダメなところな気がするよ? カール様もソフィア妃を嫌っているだろう?」
アレクシアは少し驚いた表情を浮かべて立ち止まった。
この話はちょっと長くなるかもしれないと思って、近くのベンチに腰を下ろして話を続けることにした。
「兄様がソフィアを嫌っているのは、芸術に関する意見の対立からです。兄様はアルバート陛下の治世は精神薬の蔓延する社会も含めた上で、史上最高だと評価していると思います」
芸術?
それに……
「史上最高? ありえないでしょ?」
「いいえ。確かです。わたくしは心得違いをしていると兄様に叱られたのです。それまではわたくしもシオンのように精神薬を蔓延させた治世は悲惨だと考えていたのです」
「他にどう思えと?」
「混乱薬の値段は金貨300枚もするそうです。もっとも安いのが不眠治療薬として世界的に認可されている睡眠薬で、金貨1枚程度から購入できます。金貨1枚は、北領の士官の最初の月給と同じレベルだそうです。つまり、お金持ちしか買えないし、重要人物しか狙われないのです」
「その結果、領主階級や上位貴族が滅亡しそうだ」
「でも、世界人口は史上最多で、未成年の死亡率が格段に下がり、飢餓は起きたことがなく、子供の数が増え、就学率は上がり、民は史上最高に健やかなのです。兄様は自分の周りの状況ではなく、民の暮らしで治世を評価するべきだとおっしゃいました」
「……」
「近年問題になっている魅了薬は金貨10枚。ノーザンブリア家にとってははした金だけれど、決して普及はできない値段だ、と。貴族が互いに魅了薬を盛り合っているに過ぎない、と」
「確かに、それに比べれば古来の『毒薬』は遥かに安い。しかし、平民同士が食い扶持を減らすために毒で殺し合うような治世ではないね」
アレクシアも、私もしょぼんとなって、再び庭園を歩き始めた。
「ソフィアの庭は、本当に美しいですね」
「そうだね。姉上がアルキオネ宮殿を花だらけにしようとした気持ちがちょっとわかったよ」
アレクシアと意見がぶつかって、そして仲直りする。
このやり取りも久しぶりで、安らいだ。
**
散歩を終えて、茶室に入るとライラック姫が訪ねてきた。
その時のアレクシアが今まで見たこともない冷たい視線をライラック姫に向けたことに驚いた。
挨拶だけ受けて、体よく追い払ったアレクシアは、ちょっと照れながら教えてくれた。
「あの方は『シオンはキープね』と発言したのを帝室の近衛に聞かれたのです。兄様とわたくしから敵認定されました」
「よくありそうな考え方ではあるけれど、家族がそう言う扱いされると嫌なのは、わかる」
私のことを大切に思ってくれているのが嬉しくて、私自身はライラック姫に対する怒りを感じなかった。
「邪悪なことは考えることを止めることが安全ですね。そもそも『ルカなんて平民は知らない』と自分の兄との面会を拒否した時点でルカを保護しているノーザンブリア家から良く思われていなかったのですが、『シオンはキープ』発言で完全に終わりました」
「そうだね。君たち兄妹は互いが大好きだから、ライラック姫みたいな兄君を切り捨てる人間とは相性が悪そうだ」
私も姉上を見捨てていたから、ライラック姫の気持ちも分からなくはないが、ノーザンブリア家に大事にしてもらったから、彼らに近づけるように努力している。
ライラック姫だって、ウェストリア家で大事にされただろうに、どうして……
それから、アレクシアは陛下に呼ばれて、謁見に行くことになった。
「アレクシア、これは姉上に返してもらえる? 私にとってミレイユ姫は姉上だけだ」
「シオン、これ、トーマス殿下を経由して返してもよいですか?」
「いいけど……」
トーマス殿下は家出するほど私のことを嫌っている。
同じイースティアの名を持つ姉が酷い態度を取られないか心配になった。
私が戸惑っているとアレクシアは自信ありげにほほ笑んだ。
「陛下の『テーラ家仲良し大作戦』の一環です。トミーは反抗期で家出しちゃっていますが、わたくしはそれほど親しくありません。ヴァイオレットに懐柔してもらっているところなのです」
「姉上にそんなことできるの?」
言い方のきつい姉上は、逆にもっと怒らせてしまいそうだと不安になった。
「大丈夫です。ふふふ」
アレクシアが根拠のない自信に満ちていて、もっと心配になったけれど、止める間もなく去ってしまった。
不安だ。




