シオン11
「シオン、ごめんなさい。シオンのテーラ宮殿入りは少し先になりそうです」
「アレクシアが謝る必要なんてないさ。猶予が出来て少しほっとしている。私が原因かな?」
安堵、それが正直な感想だった。
元々はノーザスに戻るアレクシアを迎えに来たのに、自分がテーラ皇子になってしまい、帝都、それもテーラ宮殿に迎えられることになったことに戸惑いを覚えていた。
それに、私のテーラ家入りが、アルバート陛下の家庭を壊すかもしれないという不安も感じていた。
「いえ。違うのです。陛下がライラック姫を皇太子妃の居室に入れようとして、ソフィアが家出したのです。ルイス殿下も家出して、寮に入るそうです」
「は? 急性すぎるだろう? わざとかな?」
ルイス殿下はまたもやアルバート陛下の計略に掛って踊らされていた。
情けない男だ。
アルバート陛下はライラック姫がルイス殿下を狙っていることを知っている。
妨害する目的でルイス殿下にムリヤリ押し付けて、敢えて反発させた可能性が頭を過った。
あの日、午後茶を飲みながらアルバート陛下とフレデリック様の話を聞いていた感じだと、アルバート陛下は身を切ってでも目的を果たすタイプだ。
「ノーザスに戻ってくれているミッキーを帝都に呼び戻すためにわたくしは速やかに帰還します。フレデリック様とレイチェル様がシオンと一緒にいてくれます。シオンが宮殿で嫌な思いをしそうなら、ノーザンブリア家に戻れるように手配してくれますから、安心していてくださいね」
「アレクシア、ムリをしないでね。ノーザスに着いたら体をしっかり休めて、健やかに過ごすんだよ」
自分が原因じゃなくてホッとしたと共に、ここ数日、ずっと忙しく立ち回っていたアレクシアにノーザスまでの長旅が加わったことが心配だった。
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帝都に戻ったマイクロフト殿下は、数日宮殿に滞在した後、アレクシアが準備したシャムジー邸で暮らすようになった。
フレデリック様の話では、マイクロフト殿下はライラック姫に「子分」扱いされて、この姫を助ける気持ちが消えうせたそうだ。
シャムジー子爵として、カール様と街歩きをしたりしながらのんびり暮らすと言っていたらしい。
そして、季節が変わるころ、テーラ宮殿に唯一残ったトーマス殿下が、私がテーラ宮殿に入る話を聞いて、家出した。
見事なまでの一家離散だ。
宮殿に残っているのは、陛下と偽者のミレイユ姫とライラック姫だ。
ライラック姫にはウェストリア家が付けた「良識のある侍女たち」しかいないが、偽者のミレイユ姫には東領派閥がついている。
隙を突かれてテーラ宮殿が乗っ取られては良くないからと、牽制の為にフレデリック様とレイチェル様がテーラ宮殿の迎賓館に住むことになった。
私は、少し悩んで、でも、意を決して、フレデリック様について行って迎賓館で暮すことにした。
偽物のミレイユ姫と対峙するためだ。
子供の頃から偽者のミレイユ姫と戦う気があった私には、ちょうど良い機会のように思えたからだ。
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「本物のミレイユ姫である姉上は、どういったわけか君に同情的でね。君が偽者のシオン公子を退かせることがが出来れば、ミレイユ姫として活動し続けることを許してやらなくもない」
「それは、わたくしがミレイユ姫として『皇太子妃の座』争奪戦を戦い続けることを黙認いただけるということでしょうか?」
この女の頭の中にはルイス殿下のことしかないことは隠密からの報告で知っていたが、目の当たりにすると狂気を感じた。
「私はルイス殿下の妃が誰になろうと興味はない。しかし、君についている派閥は質が悪い。テーラ家から排除されるだろう。勝ち目があると思っているのか?」
素朴な疑問だった。
「ルイス様は民の安寧を第一に行動なさいます。わたくしが長期にわたって市井で皇太子妃として最もふさわしいと評価されているのです。民の為にわたくしを選ぶでしょう」
確かにルイス殿下は、民の健やかな生活を第一に取捨選択を行う。
それはマイクロフト殿下とアレクシアの文通から疑う余地がない。
彼には「自分の欲」がないように見えるほど、その時々で最適だと思われる選択肢を選んでいる。
フレデリック様の読解訓練で、最も悲観的な読み方、最も楽観的な読み方、最も悪意のある読み方、最も好意的な読み方、それぞれの検証を重ねた結果、そのように感じるようになった。
「彼がプロに徹しているからこそ、せめて伴侶だけは彼の望み通りにしてあげたいとは思わないのか?」
それがマイクロフト殿下の望みであり、陛下の、そしてソフィア妃の望みであるように思えた。
相手がアレクシアであれば、個人的には抵抗するが、周囲が彼の幸せを望むこと自体はよく理解できたのだ。
「わたくしは、最も長い間、最も近くにおいていただいているのです。それが殿下の望みではないでしょうか?」
私は愕然とした。
恐らく周りの人間からそのように言われ続けてきたのだろう。
疑う余地もなく、自分が妃にもっともふさわしいと信じ込んでいた。
わたしにはルイス殿下の内心はわからない。
ただ、彼女は初等科の頃からずっと「皇太子妃の座」争奪戦で首位だし、南領紛争以降、ルイス殿下の最も近くに侍り続けているのは事実だった。
であれば、静観するしかないと思った。
私の目的は、偽者のシオン公子を穏便に退かせることであり、私の成人に合わせてイースティア家を、ひいては東領の主権を返してもらうことだったから、他人の妃選びに首を突っ込むのは控えた。
姉上が表に出たがらない以上、偽者を成敗することで世に醜聞をまき散らすよりは、この偽者を使い続けた方がマシだと考えていた。
「ところで、お前、名は何という?」
「えっ……」
「お前は断じて『ミレイユ』ではない。しかし、『偽者』と呼び続けるわけにはいかないだろう? 名は何というのだ」
偽物は名前から家名を調べられるのが怖かったのか、涙目だった。
「…… …… メラニーと申します」
「そうか、メラニーか。イニシャルだけはミレイユと同じなのだな。他人の前では『姉上』と呼んでやる。だが、癪だから普段はメラニーでいいな?」
「はい。シオン様」
「はぁ~。お前に呼び捨てされるのは非常に癪だが、私が弟だ。人前では『シオン』と呼び捨てにしてくれ」
気付けば、カール様がたまにやっている、こめかみをグリグリする仕草をしてしまっていた。
姉上が偽者に同情的だからといって、処罰しないのは甘かっただろうか……
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「お初にお目にかかります。サウザンドス家のライラックと申します。ご一緒させていただいてもよろしいかしら?」
「初めましてライラック姫。イースティア家のシオンです。残念ですが、雨が降って来そうです。私はこれにて失礼いたします」
サウザンドス家のライラック姫は、フレデリック様とレイチェル様がアレクシアの執政支援の為にノーザスに戻った後、私が一人になってから接触してきた。
アレクシアが過労気味であると聞き、私の方からお二人にお願いしてノーザスに戻ってもらった直ぐ後だった。
私単独であれば、付け入る隙があると侮られた。
不快だ。
レイチェル様の説得で、ソフィア妃が私の為に宮殿に戻ってきたが、ソフィア妃はレイチェル様ほどの統制力を持たず、庭園で読書している私のプライバシーは破られた。
簡単に言えば、ソフィア妃もライラック姫から侮られているのだ。
まぁ、「頭の中がお花畑」のソフィアだから仕方がない。
しかし、ソフィア妃が私に親切にしてくれたことは認めざるを得ない。
週に何回も迎賓館を訪ねてきて、不便がないかと手厚く世話を焼いてくれた。
不倫相手の息子であろうと、分け隔てなく大事にしてくれたことには、感謝せねばならないだろう。
「宮殿を締めていたのはルーイだったのです。わたくしは甘えてしまっていて、上手く行かないことが多いのですが、貴方が快く過ごせるように全力を尽くしますから、遠慮なさらないでね?」
お花畑はいい人だった。
一生嫌いのままでいられたら、気持ち的には遥かに楽だったと思う。
「ライラック姫は水魔法で雨を降らせて追い払いましたから、ご心配いただかなくても大丈夫です。その後、東領勢は大人しくしていますか?」
「ありがとう。大丈夫です。近衛達も貴方の手腕に感服していました」
最初はソフィア妃に借りを作るのが嫌だという気持ちから、ソフィア妃の代わりに、偽ミレイユ姫についている派閥を締めるようになった。
私もいい人になってしまったものだ。
頭を抱えたくなったが、これはアレクシアの影響だと思えば、全否定も出来なかった。




