シオン10
南領紛争が終結した後、アレクシアが学園に入学する事になって、しかも男装で通うというので、私は大反対した。
「アレクシア、2年も早く学園に入学するなんて、何を考えているんだ」
「兄様がルカとマーガレット姉様を学園に通わせたいとお考えなのです。わたくしが行けばついてくるでしょう?」
これが最後の大喧嘩だ。
それ以外にも英雄アリスターの昇爵後の家名とか、小さいことでゴネた後で、二人とも疲れており、上手く仲直り出来た気がしていない。
「アリスティア・ポラリスの時のようにせめて令嬢姿で行けないの?」
「男装姿が安全なのです。いざという時にはアリスター・アルキオネ伯爵になって、任務を理由に即座撤退ができます」
確かにそうなんだが……
「それでは、私もミレイユ姫として、一緒に行く」
「シオン。最近、背が伸びて、令嬢姿は限界ではないですか? シオン公子として飛び級したほうがよくありませんか?」
アレクシア自体は、私の案に絶対反対というわけではなかった。
でも、その他の全員に徹底的に反対された。
「シオン、私は君がイースティア・シオンとして表に出たくないなら、新しい北領戸籍を発行すればいいと思っているんだ。でも、女装は......」
「カール様。確かに女装は姉のためでした。姉を取り返した今、私が女装を続ける理由がないのは確かです。しかし、それが最も合理的に思えます」
私は自分が非合理的なことを言っているのに気付けなかった。
その結果、カール様より休養命令が下ってしまった。
「シオン。来年は私と共に北領で骨休めをしよう。アルキオネ離宮で母君と姉君とゆっくり過ごしなさい」
命令として言い渡されてしまえば仕方がない。
カール様が主なのだから。
アレクシアが帝都に準備してくれた私用の住居に滞在して、帝都で隠密姉妹たちが開発した美容商品を売ったりするのは趣味・娯楽の一環として許されたので、半分は帝都で暮らして、時折、フレデリック様の離宮に住んでいたアレクシアに会いに行った。
脱線になってしまうが、アレクシアは最初、自分用の家も準備した。
学園に現住所として登録した邸宅だ。
入学式の翌日、帝室の隠密が玄関から挨拶に来た。
「ルイス殿下からのご指令で、少々お伺いしたいことが在るのですが……」
恐らく、ルイス殿下はアルバート皇帝と上手く行っていない。
帝室の隠密が玄関先で皇太子からの隠密指令について説明して、面と向かって答え方を確認してくるのは、それよりも強い権限の皇帝がそのような指令に上書きしたからだった。
これではルイス殿下が道化のようだ。
「フレデリック皇弟殿下の都内離宮の準備が出来ましたので、そちらにお入りください」
後日、長らく使われていなかったフレデリック様の離宮に使用人を入れてアレクシアの為に準備したので、そちらに入るように促されて、そこに住むようになった。
ルイス殿下の指示でも手を出せない場所なんだろう。アレクシアが学園に通っている間、ルイス殿下がアレクシアの住居を探し当てた形跡はなかった。
ルイス殿下は、南領紛争中も2度もカール様の陽動に引っ掛かってアレクシアを捕まえそこなっている。
アレクシアとルイス殿下の間には妨害が入りやすく、そしてルイス殿下はそれにまんまと引っ掛かる間抜けだという印象だった。
侮ってしまった。
**
「ヴァイオレットは、偽物のミレイユ姫は立派だと言っていましたが、わたくしも徐々にそのように考えられるようになってきました。ヴァイオレットのおかげです」
アレクシアは、ヴァイオレットからミレイユ姫の身分を奪った偽物をよく思っていなかったが、ヴァイオレット本人が態度を軟化させてしまい、学園での様子を見た後は、バイオレットの影響を受けつつあった。
「身分詐称の犯罪者だよ、犯罪者。情は無用だよ! しかも、ルイス殿下に付き纏うことを許されてるのに、視界に入れていないんでしょう? 何がしたいんだろうな」
「ヴァイオレットは、偽物のシオン公子として身分詐称していたことについて、『東領の隠密司令に従っていただけだと』と陛下に許されました。偽物のミレイユ姫も同じでしょう」
私が苛立っているのはまさにそこだ。
「イースティア家の姫がルイス殿下の女避け係として都合よく利用されているだけじゃないか!」
東領公邸に潜入した隠密によれば、あの女はルイス殿下のことしか頭にない。
お付の女官たちとの話題も、いかにルイス殿下に他の女性を近づけないかの相談しかない。
自分がいかにして彼に好まれるか、近づくか、そんな話ばっかりだった。
その割に全く相手にされていない。
姉がミレイユ姫として活動していたら、こんな情けない状況は回避できていたのではないだろうか?
「シオンは、ちゃんとイースティア家に誇りを持っているのですね。安心しました」
イースティア家に誇り?
「そうだね。そうなんだろうね」
否定したい気持ちが湧いたが、何故か嬉しそうなアレクシアの顔を見たら、すんなりと認めてしまった。
ああ、アレクシア。
私は君とこうやって、対話を通して気持ちの整理をしながら前に進む人生を歩みたいよ。
私の妻になってくれないかな?
言葉に出すべきだっただろうか?
声に出していたとしても結果は変わらなかっただろうか?
**
「シオン。サウザンドス家のライラック姫は生きていらっしゃるそうです。次の良き日にテーラ宮殿にお入りになります」
「テーラ家に嫁ぐのかな?」
アレクシアの学園生活が終わり、帝都に迎えに行った時に、そのように聞いた。
アレクシアはどうしてもカール様の入学式が見たいとワガママを言って、滞在を伸ばし、マイクロフト殿下にとっておきの場所に連れて行ってもらったついでにその話を聞いて帰ってきた。
「ご本人は姉姫リリィ様のご意思を継いで、『皇太子妃の座』争奪戦に参加なさりたいそうです」
「ルイス殿下も大変だね」
他人事だった。
ウェストリア家のカメリア夫人からの要請で、ライラック姫のデビューを飾る行事として、ノーザンブリア家とウェストリア家の食事会が催されることになった。
「この中立立会人としてシオンもデビューしませんか?」
「表に出るのはいいけれど、ライラック姫のエスコートはイヤだ。そういう道筋が出来てしまいそうだから」
アレクシアは「表に出るのはいいけれど」の部分をとても喜んでくれた。
それからは、男装の準備に毎日のように振り回された。
姉も母を連れて帝都に来て、ああでもないこうでもないと、細々と私の世話を焼いた。
面倒くさいことも多かったが、穏やかで幸せな日々だった。
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「シオン、長髪の男性も素敵だと思いますよ?」
「いいんだ。後戻りできない方が気が楽だよ」
「カツラを作って差し上げますから、令嬢に戻りたくなったら無理はしないでくださいね」
私の長い髪を切ってしまうのが勿体ないと、アレクシアは遠回しに止めたが心機一転、さっぱりしたかったので切った。
断髪には、アレクシア、姉上、カール様、ジョセフ、ミミが立ち会い、女性陣がが号泣していた上に、ジョセフが男泣きしていたので、何やら厳かな断髪式みたいになってしまった。
私は温かい人々に囲まれて幸せな人生を歩めているなと思うと、涙が出そうになった。
アレクシアはそんな私をひどく心配していたけれど、髪を惜しんだわけじゃないんだ。
いい涙なんだ。
そしてライラック姫のデビューの日、私は密かにテーラ宮殿を訪問し、アルバート陛下とソフィア妃と謁見した。
驚いたのは、アレクシアがテーラ家の姫の正装で控室で待っていたことだ。
ダイアモンドがふんだんに散りばめられたティアラとピアス、それにシャンパンゴールドのドレスと白のサッシュで、どこからどう見ても美しいテーラ家の姫だ。
「良かったね。サプライズは成功のようだよ」
「内緒にしていて、ごめんなさいね。シオン。この子ったら、どうしてもシオンの晴れ姿を見たいってダダをこねるから、今日はわたくしたちの娘よ」
私に詫びながらも、フレデリック様とレイチェル様は、姫姿のアレクシアを見て、どこか嬉しそうだった。
「作戦名『お姫様ごっこ』です。テーラ宮殿への潜入に成功しました。ふふふ」
カール様の提案で、隠して育てられていた期間の私の後見人はフレデリック様とレイチェル様だったことになった。
北領が東領からシオン公子の拉致の疑いを向けられないような工夫だ。
ノーザンブリア家は表向きには、シオン公子とは無関係だから、こうでもしないと参加できなかったのはわかる。
しかし……
「アレクシア! おふざけが過ぎる!! とても綺麗だ。とても綺麗だけれど、いったい何を考えてるの!!」
「シオンの晴れ姿です! 目に焼き付けなければ、生きている意味がありません!!」
「ぷっ」
「ふふふ」
いつもの喧嘩と仲直りだ。
ハグした後は、フレデリック一家のごとく、アレクシアをエスコートして、陛下に謁見した。
初対面の時、険悪な雰囲気で面会を終えた陛下との再会で、気まずかったので、アレクシアがいてくれてよかった。
シオン・イースティア・テーラ。
私はアルバート陛下に認知され、テーラ家の第4皇子の身分を得た。
この時、私の公式デビューは、帝立学園の入学式と決まった。
偽者の処置については、まず、穏便にことを進められるように、敵方に逃げる機会を与えることにした。
私がテーラ宮殿に入るだけで、偽者ミレイユ姫は、逃げ出してくれると考えていた。
もし、私の入学式まで偽者のミレイユ姫が居座り続け、南領紛争の末期に現れた新しい偽者シオン公子まで入学させるようであれば、速やかに捕縛することが決まった。
最悪、東領が挙兵すれば、ルイス皇太子、トーマス第2皇子、そしてフレデリック皇弟の3人で東領の領境を封じ、場合によってはイーストール城を占拠し、帝室の管理下に置くことまで決まっていた。
南領の時のように後手に回らないように準備を進めているようだった。
北領にいる時のフレデリック様は飄々としていて、「皇族」だと感じたことがなかったが、陛下と午後茶を飲みながら、ゆったりと優雅に戦争の話をする姿は、異様でありながらもしっくりしていた。
なるほど、この方もちゃんと皇族だったのだなと失礼なことを考えていた。
男性陣の話し合いが終わると、夜の食事会に備えてソフィア妃とレイチェル様にお召替えに連れていかれたアレクシアは、ノーザンブリア家の正装に着替えて待っていてくれた。
アクアマリンだろうか、瞳の色と同じ水色の宝石がふんだんに散りばめられたティアラとピアス、それにノーザンブリア家のサッシュ。ドレスは相変わらず喪服と同じ黒だったが、それはそれでプラチナブロンドの髪を引き立たせていた。
美しかった。
どうやら帝室の威信をかけた「お姫様ごっこ」らしく、相当気合が入っていたらしい。
アレクシアをカール様の元に送り届けた際に、私の正装姿も見て頂いた。
「シオン、とってもよく似合っているよ。立派だ」
カール様は着飾った妹はそっちのけで私だけを褒めてくれた。
ツッコミを入れたくなるのをぐっとこらえてお礼を述べて、食事会に出る二人を見送った。
カール様にエスコートされながら馬車に乗り込んだアレクシアは、俯いて肩を震わせていたから、馬車の中でこらえきれずに爆笑しているんじゃないかと思った。
ようやく、そう、ようやく、子供の頃のような明るいアレクシアに戻る兆しを見たような気がした。




