シオン8
南領紛争の1年ほど前から、東領側から謎の雑兵が攻めてくることが増えた。
どう謎だったかと言うと、敵が弱すぎたのだ。
何が目的で武器を持って領境を渡ってくるのか、不思議でならなかった。
私はジョセフとミミと共に領境まで出撃することも多く、拠点をガーネット離宮に移した。
ノーザスへ足を運びにくくなってくると、フレデリック殿下がアレクシアをガーネット離宮に連れてくるようになった。
マイクロフト殿下への手紙の返信を書くためだ。
アレクシアはただひたすらに、私が好感を持ってテーラ家に親しめるように工夫し続けていた。
アレクシアに会えてとても嬉しくはあったが、困ったことも起きた。
アレクシアが戦地についてきたがったのだ。
アレクシアは、一言で表すと、ノーコンだった。
追い払えば消えていなくなるのに、敵に怪我をさせてしまって、北領側で治療しなければならなくなった。
ついて来ようとしてくれるのは、懐かれているみたいで、凄く嬉しい。
でも、残念ながら迷惑だった。
懐かれるといえば、敵の雑兵からも懐かれてしまった。
最終的にはジョセフに丸投げした。
北領に攻め入ってきたのは、東領の貧困層だった。
東領を捨てたと割り切っている私でも、哀れすぎて無慈悲になれなかった。
私はできるだけ彼らを傷つけないように追い払った。
きっとそういう気持ちが敵に伝わったのだろう。
敵の雑兵達から「お嬢」と呼ばれ始め、ガーネット離宮が投降者で溢れた時には頭を抱えた。
そんな生活がしばらく続いた頃、南領が陥落した。
北領もしばしば襲撃を受けているから、南領が襲撃されたことは驚かなかったが、陥落し、帝室が皇太子が挙兵したことには驚いた。
テーラの白は、不戦の白だ。
それなのに出兵判断が迅速だった。
「まるで待ち構えていたかの様に迅速な出兵ですね?」
急いでガーネット離宮からノーザス城に駆けつけた私がそのように驚いていると、フレデリック様は静かに首を振った。
「逆だよ。全く予想できていなかったから、急いで兵を出したんだろう。陛下にも状況は掴めていないと思うよ」
私がノーザス城についた時には、カール様もアレクシアも戦地へ出発した後だった。
ノーザンブリア家の出兵判断も早い。
「マイクロフトをアレクサンドリア離宮で預かるから、アレクシア姫の荷物を迎賓館に移すことになった。私達の荷物も少しあるから、取りに行こう」
帝室は分散することにしたらしい。
その判断も迅速だ。
マイクロフト殿下の仮の身分は伯父のフレデリック様の戸籍ではなく、アレクシアの特許取得用の平民戸籍に弟として紐づけられた。
小さな不安が胸をよぎった。
「西領も襲撃を受けたようだが、ウェストリア家は皆、無事だそうだよ」
ウェストリア家の当主エドワード公とフレデリック様は従兄弟同士だから情報が早いのかと思ったら、アレクシアとクリストファー公子の緊急通信らしい。
私はハッとした。
ノーザンブリア家も、テーラ家も、ウェストリア家も、緊急事態には連絡を取り合って連携するのだ。
仮にイースティア家が正常に稼働していたとして、母は誰かと連絡を取っただろうか?
執政不能の烙印を押されて追い出される前だって、断絶してしまった北領との領交を回復するための働きかけをしなかった人だ。
こういうところがダメだったんだ。
何の英才教育も受けていない無能だとバカにしていた東公ですら、偽者のミレイユ姫をテーラ宮殿にねじ込む折衝能力があることを知って更に愕然とした。
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カール様が出兵した後の北領決裁の帝室承認は、フレデリック様が政務に復帰して担当することになった。
フレデリック様の帝室個人印章があるから帝都まで送付せずとも北領内で即時決済を得られるようになって便利になったともいう。皮肉だ。
フレデリック殿下が始めから「執政顧問」ではなく、帝室承認をしていれば、カール様は北領朝議の議事要旨を帝室へ送付するなんてまどろっこしい政務などしなくて済んだだろうに……
そこまで考えた後、それがカール様の執政訓練だった可能性が頭を過った。
そして、真の執政能力は緊急時に顕現されるのだと知った。
私がガーネット離宮からノーザス城に駆け付けている間に、ルイス殿下はサウザンドス家の生存者を保護し、カール様は亡骸を回収し、アレクシアは南領公印を回収した。
物陰に隠れて兄君を観察しているだけだと思っていたマイクロフト殿下ですら、しっかり分散指令に従った行動を取っていた。
皆、一様に行動が早かった。
【ミレイユ姫を助けに行きます。次の新月の夜、イーストール城下のセーフハウスで待っていて下さい】
アレクシア付きの隠密から連絡を受けて、頭を抱えた。
男装でシオン公子として東領公邸で暮らしていた姉はイーストール城に戻されたらしい。
「アレクシア、なんて危ないことを!」
「イーストール城まではフレデリック様が送ってくれました。安全で素敵な空の旅でしたよ?」
アレクシアは、軍規違反で布を掛けられて檻に入れられたフリして、過保護なルイス殿下を攪乱している間に実にいろいろなことを成し遂げていた。
サウザーン城での南領公印の奪還に、イーストール城での東領公女ミレイユ姫の救出だ。
そしてこの異次元の都市移動を可能たらしめたのは、フレデリック様の風魔法による「空の旅」だった。
「フレデリック様もフレデリック様だ。アレクシアを1人でイーストール城に置き去りにするなんて」
「レディーの寝所に入るのはよろしくありません。それに置き去りにしたわけではなく、風魔法で滞空して空から監視してくれていました」
イーストール城下のセーフハウスで待ち合わせをして、一緒にイーストール城に潜入するのかと思っていたら、一人で入って姉を連れてきたので、頭を抱えた。
気付かれないうちに野営地に戻ると言って、すぐにフレデリック様に帝室の東の森の入り口まで「空の旅」で送ってもらっていた。
私は姉を連れて南領の避難民に扮して帝国領の森に駆け付け、その住環境のひどさに愕然とした。
「アレクシア、切ってしまった髪はもうどうしようもないけれど、こんなところでキャンプ生活なんて、絶対にダメだ。君も帰るんだ」
「シオン。兄様がお許しになったことにダメなことはありません」
カール様もカール様だ。
いくら妹に甘いとは言っても、こんな原人のような生活をお許しになるとは。
それにアレクシアには妙な者どもがつけられていた。
「あれらはマイクロフト殿下の近衛だ」
姉はテーラ宮殿でマイクロフト殿下と接触する機会が多かったらしく、彼の近衛の顔を覚えていた。
それでアレクシアにマイクロフト殿下の近衛が護衛についたことが分かった。
表向きは「南領からの難民の避難支援」となっているが、位置的に帝国領の東の領境の守護に当たっているのと同義だ。
マイクロフト殿下を北領で預かっている代わりに、彼の近衛がアレクシアに再配置されたのだろう。
これじゃぁ、まるで、アレクシアが帝室の皇子みたいじゃないか!?
何故こんなに囲い込まれているんだ?
それに何故、大人しく従うんだ?
もしかして、私の身代わりになったのか?
私がイーストール家の血を引くアルバート陛下の子供として表に出ていれば、ここにいるのは私だったのではないかと思えてならなかった。
それなのに、私は隠れていていいのか?
シオン公子として活動していた姉は救出してきた。
入れ替わるには絶好の機会のように思えた。




