シオン7
「アレクシア、ああ、アレクシア。どうか戻って来て、私の『愛しいの塊』、どうか、どうか、私を置いて行かないで」
ダニエル様とカレン様の一周忌が終わってしばらくした頃、アレクシアが入水して死にかけた。
私はあの時ほど必死に何かを祈ったことはない。
迎賓館で暮らすアレクシアは、以前と違い居場所が明確になり、暗殺の標的となった。
毒を盛られるようになって、水魔法使いのフレデリック様が、迎賓館に留まって何度も胃洗浄した。
フレデリック様からアルバート陛下へアレクシアを城の裏に隠せるように帝室の近衛を退いて欲しいと何度も手紙で頼んだが、陛下は近衛を引いてくれることはなかった。
それでフレデリック様がアルバート陛下と直接話をするために、帝都へ赴いた時、アレクシアは死にかけた。
正確には、死んだ。
フレデリック様なしでは、アレクシアを守れなかった。
簡単に言えばそういうことだ。
その時、私は水の継承者に与えられた「1度だけ死者を呼び戻す権利」を行使したそうだ。
私はそもそも継承者について何も知らなかったから、実感はなかったが、これで少しはダニエル様の恩に報いることが出来たようでうれしかった。
「シオン。手の紋章が、光っています。ごめんなさい。本当にごめんなさい。わたくしの為に『救済』を使ってしまったのですね?」
「手の紋章?」
「シオンは『水の継承者』です。イースティア家で何も聞いていなかったのですか?」
「マール皇家からテーラ帝室への易姓革命の時代のおとぎ話なら知っているよ。風雷火水の4人の継承者が魔王を弱らせて、テーラ家の継承者が封印した。以降、魔族も魔物も減っていき、知性を持った高等魔族は絶滅したという話だよね?」
でも、あれは、おとぎ話だ。
マール皇家の時代までは、神話時代とか戦国時代とか言われて、人間は魔族と戦うのに精いっぱいで、安定した政権もなければ、統合された歴史もなかった。
テーラ帝室になってから、魔族は滅びの時代に入り、今となっては野獣と同程度の低級魔獣しかいない。
長きに渡った魔族との戦いがみるみる終結したのが奇跡のようで、最後の神話などと呼ばれているテーラ家の始まりの話だ。
「はい。魔王討伐と封印の話は作り話です。事実ではありません。ですが、継承者は本物です。魔眼持ちなら今でもシオンの手の甲の水の継承紋を見ることができるのですよ?」
「……」
なんと言葉をかけてよいかわからなかった。
アレクシアは死にかけておかしくなったのではないかと思った。
神話時代の話には、死に面して生還した者が「前世を思い出した」などと言うストーリーがチラホラある。
お話相手のマーガレット・サマーが、アレクシアは壊れていると吹聴しているようだが、もしかすると本当に少しずつおかしくなっていたのかもしれない。
アレクシアは城の表側、私は城の裏側に離れて暮らし、様子が分かりにくいことがもどかしかった。傍にいてあげたくて仕方がなかった。
アレクシアを守らなければ!
そう思って、カール様にアレクシアとの会話をつぶさに報告した。
カール様は私の報告を聞く間、ずっと無言で考え込んでいた。
**
「君はフレデリックの養子にはならないそうだね? では、私の子として帝室に入る気はあるだろうか?」
生物学的な父親であるアルバート陛下が、入水したアレクシアの様子を見に来たソフィア妃の近衛に扮してノーザス城にやってきた。
カール様のご命令で、私はアルバート陛下と対面した。
「ありません。フレデリック殿下に申し上げた通り、私はノーザンブリア家の隠密として生きていきたいと願っています」
カール様は、ダニエル様の遺志を継いで、私の保護に繋がればと考えて、陛下と私を会わせたのだと思う。
「しかし、それではイースティア家は断絶してしまう」
「現在、姉のミレイユがシオン公子として帝立学園の初等科に通っています。傍系ではありますが、イースティアの血を引いていることは確かです。姉が婿を取ればよいでしょう」
イースティアの血を存続させたいのならば、男装していたことを明かしてミレイユ姫として東領の惣領になればよい。
「君はいつまで、その…… 女装を続けるつもりなのか?」
「姉が女装を解く日まで。その時が来なければ『シオン』という名も、このシオン公子の個人印章も姉に渡すつもりです。その場合、私の敵は、偽者のミレイユ姫です」
「そう、か。私に出来ることが何かあるか?」
「それでは、アレクシアとルイス殿下の婚約解消に関するカール様の提案を飲んでください」
私はアレクシアについた「婚約」と言う名の鎖から解放することを望んだ。
私個人に対するテーラ家の支援なんて望んでいない。
「私とソフィアの婚姻は、契約婚だ。北領の姫と帝室の皇子の婚約解消はソフィアとの契約条項に違反するから少し時間が必要だ」
何を言っているのか?
ソフィア妃を溺愛するがあまり、腐敗貴族を粛清し、東領をゴミ溜めにしたのに契約婚だと?
しかも、子供が3人もいて、契約婚なんて、信じると思うか?
「保護しているように見せかけてアレクシアを死なせることがソフィア妃との契約に含まれているということですか?」
私の痛烈なイヤミに対し、陛下は苦痛を耐えるようにゆっくりと目をつぶって、静かな口調で言葉を返した。
「それが違うということは、君にもわかるだろう? ソフィアは姫を守りたいからこそ、自分の庇護下に置いておきたいんだ」
「帝室とのつながりを切ることがアレクシアの安全につながることは明白なのに?」
「帝室の近衛が邪魔で適切に匿えないということは聞いて知っている。近衛は退く。だが婚約の解消は少し裏技が必要になるからすぐには出来ない」
「すぐには出来ないというのは、解消には同意してくれるのですね?」
「ああ。それが彼らの望みなら」
全く持って初めて対面する父子の会話ではない。
しかし、目的が果たせた実りある対面であったと言えよう。
この後、アレクシアとルイス殿下の婚約は解消された。
しかし、ソフィア妃は、ブリタニー老夫妻を北領に送りこんできた。
アレクシアは、ブリタニー老夫妻にアレクサンドリア離宮の西翼を明け渡して、東翼で暮らすようになった。
「アレクシアまで離宮に引っ越す必要はないでしょう?」
「離宮に分散した方が安全なのです。兄様をお守りするためにも、わたくしはわたくし自身で安全を確保できる自立した環境を整えたいのです」
私達はいつものようにゴチゴチ喧嘩して、アレクサンドリア離宮の東翼を隠密本部とし、アレクシアの保護は鉄壁にすることで妥結した。
「フレデリック様がカール様の執政顧問だって? ノーザンブリア家はテーラ家に囲い込まれすぎだよ!」
「フレデリック様は政治の名門テーラ家の皇子です。凄腕の執政指揮官を味方につけていると考えています」
「君とルイス殿下の婚約は解消されたんだ。テーラ家から距離を置くなら今は絶好の機会なんだよ? 君は囲い込んでくるテーラ家に嫌悪感を感じないのか?」
「テーラ家に嫌悪感を感じる? わたくしはテーラ家の皇子と一緒に育ったのです。何故嫌悪感を感じるのですか?」
「!!!」
テーラ家の皇子の一人と一緒に育った……
私のことか?
アレクシアにとっては、私はテーラ家の人間だったことがショックだった。
私は無言で首を振ることしかできなかった。
アレクシアと私は、よく喧嘩をする。
そして、必ず互いの妥協点を見つけて仲直りをする。
そうやって絆を深めてきたという自負もある。
ただ、基本的な物の見方や考え方は、食い違うことが多い。
成長するにつれてそれがますます顕著になって行った。
私は、ソフィア妃と関わりたくないから、ブリタニー老夫妻の前に顔を出すことをしなかった。
私とアルバート陛下は皮肉なくらい顔が似ている。相手方から娘婿の愛人の子供だと思われるのは絶対に嫌だった。
そしてアレクサンドリア離宮への訪問を極力控えた結果、アレクシアとは殆ど会うことができなくなった。




