シオン5
そして私はようやくノーザス城に入った。
1年半のお試し期間を終えて、ようやくノーザス城に入れてもらえたと言った方がいいかもしれない。
カール様にご挨拶する前に、私達は衝撃の事実を聞かされた。
カール様は凶化薬の精神的なトラウマで、人に触れられるのも、人に触れるのも、物凄く嫌がるようになっていた。
アレクシアは甘えん坊なので、いつもの調子で飛びついては行けませんよと言い聞かせられていた。
アレクシアは先に戻ったハズなのにカール様に会わせてもらえていないようだった。
振り返れば、これ以外にも不思議なことはいくつかあるが、その時には気付かなかかった。
アレクシアも姫姿の私も慎重に恭しく淑女の礼でご挨拶し、淑女のマナーで応対した。
カール様は上品な微笑みで私達を迎えてくれた。
アレクシアは、標準エスコートで一緒にお散歩してもらえて、ポーッとなっていた。
よっぽどカール様が好きらしい。
お散歩から帰ってきたアレクシアの頬をツンツンして冷やかしたら、フフーンっと、うっとりしていたので、爆笑した。
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晩餐の時間になって、私は非常に困った。
私の右腕は正式な夕餐に適応できるほど回復していなかった。
ぎこちないだけならいいのだが、作業が覚束ない部分は、ミミに肉を切ってもらったり、魚の身と骨を分けてもらったり、アーンしてもらうこともあったから、その姿を見られるのは気まずかった。
帝都にいた頃は、自分も練習中なのにアレクシアが必ず私の隣に座って世話を焼いてくれていた。
ジョセフに相談したら、最初の晩餐は、左手だけでも食べられるようにシェフが細かく切った状態で出してくれることになった。
それ以降は、週に一回、みんなが集まる日だけ、みんなで食べる。
週の残りの日は、普通のメニューの訓練として、別室でジョセフとミミと食べることになった。
「恥ずかしいと思うなら、頑張って練習するしか方法はないのです。はい、あーん」
家族で食べる日は、ミミがいないから、食べにくいものはアレクシアが食べさせてくれた。
私は何よりもまず食事を優先してリハビリし、まもなく多少無様さは残っても、自分で食べられるようになった。
「あの子の作戦勝ちね?」
カレン様が嬉しそうだったから、これで良かったんだろうと思う。
子供の頃の私達は、ゴチゴチ喧嘩しながらも、なんだかだで兄妹のように仲良く過ごしていた。
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7才になって、私の花嫁探しが始まった。
私の花嫁候補の絶対条件は秘密が守れる人だ。
私の存在自体が秘密だから、婚約者がいることを秘密にできる人でなければならない。
でも、7才というのは、秘密を守ることを期待する方が無理な年齢だ。
ダニエル様にもうちょっと大きくなってからがいいと伝えたら、令嬢姿のままで、「アレクシア姫のお話相手」という名目で秘密の守れる子を探すところから始めることになった。
この時、最初のお話相手としての令嬢名が必要になった。
「アレクシアに属する家名がいい」
私が拘ったのはここだけだ。
「プレアデス星団で最も輝いているアルキオネはどうですか?」
プレアデス星団は、ノーザンブリア家の紋章に加えられるアレクシアの個人意匠だ。
星の名前を家名にするのは東領人っぽいし、とても気に入った。
名前の方は、そのへんに咲いていた紫の花の名前をとって、オードリーとした。
「イースティア家は、南領のように花の名前をとるのですね?」
「アレクシアは? 離宮はアレクサンドリア宮殿だったよね? アレキサンドライトが由来?」
「はい。光源によって、輝く色が変わる素敵な宝石です」
その頃には私はアレクシア以外の人と結婚する自分が想像できなかったから、婚約者を探すと言いながらも身が入っていなかった。
好きとか、愛してるとか、そういうレベルじゃない。
この姫以外、誰がいるんだ? といった感じだ。
自分はアレクシアに属しているという気持ちが強かった。
一生アレクシアの傍で暮らしたいと思うようになっていた。
週に一度じゃなくて、毎日一緒に食事ができるような平和な日々を迎えるためには何をすべきなのか、よく考えていた。
アレクシアとテーラ皇子の婚約のことを忘れた訳じゃなかったが、そういうことをどうこうする前に、アレクシアが安寧に暮らせる環境を作ることを考えていた。
そんな時、私の離宮の着工式があった。
「アルキオネ離宮だよ。流石にシオン離宮とは呼べないが、碑文は君の名前だ」
私の離宮は北領、東領、帝国領の領境の交わる要地だった。
「ダニエル様。ここは要地過ぎます。私がここで北領に反旗を翻したら、どうするんですか? 北領は苦戦を強いられます」
そんなつもりは毛頭ないが、身に余る待遇に必死で辞退した。
「今の東領は不穏すぎる。将来的に東領と戦争になったら、君が守ってくれると信じているよ」
「もちろんです! でも、離宮は本当に過分です」
「離宮があるからと言って、北領に縛られる必要はないんだよ。君がイースティア家に戻ると決めたら、全力で支援するからね」
イースティア家を取り戻すために軍事行動が必要になった場合、この地は拠点として最高の立地だった。
ノーザンブリア家がこの地に離宮を作ること自体が、東領に対して圧力になる。
ノーザンブリア家の離宮はどこも豪華で雅やかだが、攻め込みにくい様な堀や生け垣が美しく配され、領内に攻め込まれても姫たちが長く籠城出来るような作りになっている。
私は辞退を諦めた代わりに、軍事行動について教育を施してもらうことにした。
その頃には、私の右腕も概ね普通に動くようになっていたので、魔術の訓練も再開した。
このタイミングで、ジョセフとミミが正式に私付きの隠密兼世話係に任命された。
アレクシアにはゴードンとカーナが付いた。
ジョセフとミミの方が実家の家格も魔力も上で、かなり申し訳なかった。
教育もカール様と同等の英才教育だった。
私は女装もしているから、姫教育も加わり、非常に忙しかったが、やりがいがあった。
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「魔力検査、受け直してみる?」
私は水の単属性使いだと信じ込んで、水魔法の訓練しかしてこなかった。
母も父も水魔法の家系で、単属性なので、他に生まれようがない。
厳しい訓練を重ねれば他の属性も使えるようになるらしいが、相当出しにくいとのことで、他の属性を練習する者はいない。
「私は東公の子供ではない可能性があるということですか?」
父はほとんど魔力がない。
私の魔力量からして私は母の子ではあるだろう。
ダニエル様は私の本当の父親を知っていたことが後でわかったが、その時点で私に教えてくれることはなかった。
ただ、魔力検査を受け直すことだけ提案された。
結果、私は、水と火の2属性使いだった。
父親から火属性を受け継いでいるということだ。
でも、どうしてだか、自分の父親が誰なのか全く気にならなかった。
そうして火属性の魔術訓練が始まり、ますます忙しくなった。
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9才になって、カール様のお見合いとアレクシアのテーラ皇子たちとの顔合わせのためにノーザンブリア一家は帝都に行くことになった。
「シオンは、フレッド爺さん達とガーネット離宮でお留守番です」
アレクシアはいたずらっぽく笑って、フレデリックとレイチェルを紹介してくれた。
「?」
フレデリックは、全然「爺さん」じゃなかった。
「覚えていませんか? 初めて会った時、セーフハウスを紹介したでしょう?」
そう言えば、そうだったかも?
アレクシアは、レイチェルの方に抱きついて甘えていた。
9才になって、流石に抱っこはやめたみたいだが、まだまだ十分に甘えん坊だ。
私がもっと大きくなったら、私にも甘えてくれるだろうか?
そんなことが頭を過った。
その後、ダニエル様とカレン様は帝都で命を落とし、アレクシアが一切甘えることがなくなるなんて、その時は想像だにできなかった。
ガーネット離宮でお二人の訃報を聞かされた時、最初は信じられなかった。
でも、冗談にするような話ではない。
フレデリックがポロポロと涙を流したのにつられたように私の目からも涙がポロポロと溢れ出た。
ポロポロと止まることなく流れ続けた。
何も考えられなかった。
それからしばらくはただ呆然と過ごした。
アレクシアが葬儀と埋葬のためにノーザスに戻ったとか、カール様が意識を取り戻したとか、二人はノーザス城に戻ったとか、フレデリックはつぶさに情報をもらえる立場にあるようだった。
半年ほど経った後、フレデリック達と共にノーザス城に招かれた。
カール様に案内されて、お二人の墓所に連れて行ってもらった時には、墓標に縋り付いて泣いた。
ダニエル様は、私にとって父のような存在だった。
この方が私の父だったから、私は戸籍上の父にも、生物学上の父にも興味も執着も持たなかった。
将来こんな大人になりたいと心から思える「理想の塊」だった。
失った悲しみが大きすぎて、途方にくれた。




