シオン3
アレクシアの魔眼の先生は、アレクシアの母方の祖父だった。グランパと呼ぶことになった。
アレクシアの母方の祖母は、ナナと呼ぶことになった。アレクシアと一緒に整形外科医から電撃麻痺のマッサージとリハビリプログラムを学んで世話をしてくれるようになった。
最初、本当の祖父母だと知らなくて、アレクシアがいとも簡単に「グランパーっ」と呼びながら飛びついて抱っこしてもらっていたのを見て、愕然とした。
私にはそんな芝居はできそうにもない。
私には祖父母がいなかったので、世の中の祖父母事情は分からない。
「シオンはグランパに飛びついてくれないのかい?」
グランパにそう言われて、ぎこちなくハグして背中をトントンしたら、持ち上げられて爆笑された。
ダニエル様とグランパの婿舅関係は良好に違いない。
ジョークの攻め方がよく似ている。
アレクシアのキャハハな笑い方を見て、揶揄われているのは分かったが、事情が分からないので困惑するばかりだった。
ナナが本物の祖父母だと教えてくれて、ようやく皆して戸惑っている私を面白がって笑っているのだと分かった。
普通に酷い。
あと、ジョセフとミミが姫様と公子様の口にチューするのが気がひけるというので、家族のご挨拶はデコチューになった。
凄くホッとした。
そんな風に誰も似ていない疑似家族が3世代に拡大した。
というか、アレクシアは本当の孫なのに全然似てない。
カール様によく似たノーザンブリア家の顔だ。
私は魔眼の先生にも「頭が良すぎて早すぎる」というお墨付きを頂いたので、左手で字を書く練習を始めた。
この時は、私も一緒になって苦笑した。
少しノーザンブリア家っぽくなったかもしれないと思った。
アレクシアは直ぐに幼稚舎に入ったわけではなく、最初の数か月は自宅学習だった。
週の半分は姫修行があると言って、ゴードンとカーナという別の世話係が迎えに来て、他の場所で暮らしていた。
翌春、幼稚舎の最終学年に編入したアレクシアは、たった一日で目が座った。
幼稚舎とはそんなに恐ろしい場所なのか?
グランパ曰く、その修行は見たくないものまで見えてしまってツラいのだそうだ。
世の中に希望が持てなくなって、闇落ちしそうになったり、頭の回転が良いと心が耐えられないらしい。
ぐったりしていたので、隣に座って背中を撫でてやると、ポツポツと話をした。
「兄様は身体は治ったけど心が立ち直っていません。シオンは何度も毒を盛られてとうとうお外に出られなくなったのに…… それなのに貴族クラスの子は威張り散らしていて、平民クラスの子は自慢話ばかりでした。世の中クソです」
アレクシアはたった一日で「クソ」という平民用語をマスターして帰ってきた。
私はアレクシアの話をグランパに伝えて、これ以上学園に通わせることに反対だと言った。
グランパは、アレクシアの場合、魔眼修行の影響ではなく、初めて普通の子を見て、身近に起こった嫌な出来事が一気に思い返されたことで闇落ちしそうになっていると判断した。
皆で励まして様子を見ようと言われ、私の意見は聞き入れてもらえなかった。
嫌な経験はいつかは克服しないといけない。
早いに越したことはない。
そんな風に考えているようだった。
それから1週間もしないうちに、アレクシアは幼稚舎で雷魔法を暴発させた。
7発落ちた。
私達は学園の近くに住んでいたから、光ったのも分かったし、雷鳴が爆音で近かったのでアレクシアに間違いないと思い避難体制を整えた。
アレクシアを学園で拾ったらすぐに次のセーフハウスに移動出来るようにと馬車の支度も整えた。
しかし、双眼鏡で覗くと学園の前に馬車が押し寄せていた。
馬車は学園の前だけではなく、市中のあちらこちらで深刻な渋滞を起こしていると思われたので、ジョセフが徒歩で迎えに行った。
アレクシアは家に入るとすぐに玄関でやきもきしていた私に近づいて耳元で「偽シオンはミレイユ姫でした」と囁いた。
そして私の力なく垂れ下がった右腕を支え、防音室へ誘導し、残りの家族がそれに続いた。
「ごめんなさい。驚いて雷が出てしまいました。偽シオンはミレイユ姫でした。ミレイユ姫は『シオンは帰ってこなかった。今は私がシオンだ』と言いました。初等科のミレイユ姫は何者かわからないそうです」
ミミは真剣な表情で彼女が一番気になっていたことを聞いた。
「あの雨雲は?」
「風魔法で雨雲を呼んだのはマイクロフト殿下で、雨と雹を降らせたのはミレイユ姫です」
「庇ってくれたの?」
私は緊張で少し声がかすれたが、なんとか言葉を絞り出した。
平民のアリスティア嬢が幼稚舎に雷を落としたとなると大問題だが、テーラ家のマイクロフト殿下とイースティア家のシオン公子が雨雲を呼んで戯れたとなれば誰も文句は言えない。
アレクシアは、初撃の7発以外は避雷針のある安全な場所を選んで、着雷しただけだ。
マイクロフト殿下が呼んだ雨雲の摩擦と姉上が足した雹だけで自然現象的に雷は出来るのだ。
魔力は殆どいらない。
「わかりません。マイクロフト殿下は、わたくしとミレイユ姫が喧嘩していると思って、仲直りさせようとしたように見えました。わたくしと手を繋いで、それからミレイユ姫とも手を繋いで、そして空を見上げて雨雲を呼びました」
マイクロフト殿下は宮殿でしこたま叱られたんじゃなかろうか?
でも、アレクシアは今回の失敗に関して「偽シオンが実の姉だったなんて確かに驚くね!」と、叱られなかったから、叱られていないかもしれない。
甘やかす親は、どこまでも甘やかすのだ……
この夜、私とアレクシアは初めての大喧嘩をした。
私とアレクシアはしょっちゅう喧嘩するから、それ以降のことはイチイチ覚えていないけれど、最初はこの時だ。
「だめだよ。学園はもうヤメ。別の場所に移してもらおう!」
「いいえ。行きます! ミレイユ姫は、悪い子には見えません!」
姉は裏切り者だと切り捨てる私と、姉には事情があるんだと言い張るアレクシアの議論は平行線を辿った。
「いい子なら、弟のフリして学園に通わないよ! 危ないからダメだ!!」
「きっと何か事情があるのです。いざとなったらマイクロフト殿下にしがみついて『アレクシアです。わたくしこの子と結婚します』と叫べば危なくありません。顔は覚えました!」
アレクシアは自分の政略を最大限に利用する気満々だった。
実は逞しい姫だ。
「平民がそんなこと言って、信じてもらえると思うの?」
「これの死亡偽装以外の使い道が見つかりました」
アレクシアは首から下げたアレクシア姫の個人印章を引っ張り出して得意気に宣言した。
「死亡偽装!? 何の話?」
君がそんな言葉を知っていたとは驚きだよ。
「姫教育で教わります。悪い人たちに追いかけられて困っている時は、わたくしに似ている死体を探してこれを掛けて、身を隠すのです」
どんな姫教育だよ!
「いや、それ、どう考えても最終手段でしょ? それならこっちも持ってて。姉上を指さして『この子は偽者です』って言えるでしょ?」
私が首に掛けていたシオン公子の個人印章を引っ張り出して渡そうとすると、アレクシアは断固拒否した。
「ダメです。わたくしがテーラ家以外の殿方の個人印章を首から下げていたら大問題になります。それにいざという時にシオンの死亡偽装が出来なくなります!」
君、私が殿方だって認識があったのか!?
「なんで急に常識的になるの? それに私の死亡偽装って、何の心配してるの?」
グランパがもう堪えきれないとばかりに「ぶはっ」と吹き出して、ナナがそれにつられて「んふふふ」と笑い出した。
ジョセフがオロオロとし、ミミは俯いて笑いを堪えていた。
ジョセフの苦労人人生が確定した瞬間だった。
彼には本当に申し訳ないと思っている。
彼とミミは私達がノーザスに戻った後、私付きの世話係に任命されてしまうのだから……
でも、私達もなんだか可笑しくなって、ひとしきり大笑いした後、お互いのおでこに「家族のご挨拶」をして、仲直りに至った。
**
翌朝から、アレクシアはゴードンとミミに両手を繋がれて、仲良く徒歩で学園へ通うことになった。
帝都においては、どこも渋滞して思うように動けない馬車よりも徒歩の方が安全だと分かって、送迎方針を変えた。
姫修行の日は別の家に泊ってくるから少し寂しかったが、それでも幼稚舎に行く日よりは安全で安心できた。
グランパとナナと私は、幼稚舎のお見送りの時とお出迎えの時に必ずアレクシアに「家族のご挨拶」をするようになった。
それくらい毎回、毎回、心配していた。
アレクシアは、幼稚舎から戻ると、私の右側の指から腕までを精油入りのオイルでマッサージしながらその日の出来事を報告するようになった。
私は左手でその話を記録し、ジョセフがダニエル様に送った。
まだミミズのはったような文字だが、ダニエル様はそういうのも成長の一過程として喜んでくれる気がする。
「ミレイユ姫は、トーマス殿下が好きみたいです」
「は、今、そういう状況じゃないだろう?」
「シオン。世の中のお姫様物語では、皆様『今そういう状況じゃないだろう?』な状況で恋に落ちていらっしゃいます」
アレクシアはぽやぽやしているが、時折、物事の芯を突く。
「平時のまったりした恋物語よりも、非常時に困難を乗り越えた恋物語の方が、人気が出るだけでしょ」
「そうですね。ノーザンブリア家のお姫様には有名な物語はありません」
そうなのか?
私はお姫様物語なんて読まないから知らない。
「ノーザンブリア家のお姫様の恋物語も存在するってこと?」
「過去6人分のノーザンブリアの姫の物語がノーザス城に収められています」
ノーザンブリア家には、史上7人しか姫がいないそうだ。
兄君のカール様が133代目だということを考えれば、猛烈に甘やかされているのにも、全員の記録が残っているのにも、納得だった。
**
「トーマス殿下は面倒見が良くて、ダークヒーロー好きです」
「ダークヒーローって、何?」
「闇落ちしたヒーローだそうです。か弱いプリンセスを陰からこっそり助けるのです」
「……」
私は言葉がなかった。
アレクシアは幼稚舎でおかしな言葉を沢山学んできた。
「わたくし目が座っていて怖いので、東領のシオン公子と対立していると思われて、誰も近寄ってきません。それで仲間だと思われています」
「友達がいないと思われて、手を差し伸べてくれたんじゃないの? 親切だね。『いいヤツ』と報告しておこう」
アレクシアが頷いたので、そのように記述した。
「わたくしが『ダークヒーロー』ではないことを伝えるために、魔眼の修行中だと教えました。そうしたら、今度は『孤高の人』だと思われて、よく話しかけられるようになりました」
端的に言うと、気に入られたってことだな?
同じ年齢だったよな。
初動としてはまずまずだろう。
でも……
「この甘えんぼ大王が孤高の人だと勘違いされるなんて、見る目なさすぎ」
アレクシアは、いつもグランパに抱っこしてもらっている甘えん坊だ。
「ふふっ。そして精神魔法については殆ど知識がないようです。危機感がなくて心配です」
何故かけなされたことを喜んだあと、目が2段ぐらい険しく座った。
確かに、この表情で他の園児たちを観察していたら、誰も寄りつけない「孤高の人」だと思われるかもしれないと思った。
「グランパはその目つきは治るって言ってたよ。わんこ系に戻ったら、ガッカリされるかな?」
「ガッカリされて話を聞いて貰えなくなる前に、魔眼の使い方を伝えてみます。丁度良い観察対象がいます」
丁度いい観察対象とは「かわいいの塊」というコードネームがついたマイクロフト殿下だった。
ダニエル様にお送りした記録の例を紹介しよう。
XX家の〇〇卿が転んだのを見て、痛みに共感して泣いてしまう。
優しい子。
〇〇卿が直ぐに立ち上がったのを見て、驚き、尊敬のまなざしを送る。
かわいい。
XX家の〇〇卿と△△家の□□卿が喧嘩しているのを見て、止めようとした時に、振りかぶった手が当たって泣く。
痛そう。
自分の仲裁でお二人が気まずそうに握手をするのを見て、使命を果たしたように頷きながらしばらく泣き続ける。
あれは、新たな友情の芽生えに感動して泣いてた。
かわいい。
転んで泣く。
酷い擦り傷。
消毒液を掛けられて、もっと泣く。
これは仕方がない。
かわいい。
マイクロフト殿下、ミレイユ姫に何か言われて泣く。
ミレイユ姫、トミーに構って欲しくて、マイクロフト殿下を泣かせるようになった。
ミレイユ姫、不器用すぎる。
困ったものだ。
トミーにマイクロフト殿下の「良い泣き方」と「悪い泣き方」の違いを教える。
いつも悪者がミレイユ姫なので、トミーに誤解されている。
ミレイユ姫に助言をしたい。
婚約者候補のどちらも悪い印象ではないのは良いことだろう。
政略での結婚が避けられないのであれば、好感を持てる相手の方がいい。
その時点では、そんな風に感じていた。




