シオン1
全ての始まりは、世紀の傍迷惑カップル、テーラ皇帝アルバートと皇妃ソフィアの成婚前に帝室が起こした大粛清だった。
帝国籍ソードン男爵家のソフィアは、頭の中がお花畑だった。
懐事情がカツカツだった帝室の皇太子アルバートは、世界一の大富豪の娘とお見合いをした。
この時、この大富豪の娘は、実に頭の悪いことを言った。
「お金に汚い人たちが沢山いる場所に住みたくない」
皇太子アルバートは、それが汚職のことを指していると思って、徹底的に調べた。
そして、腐敗した帝国貴族たちを一気に潰して根絶やしにした。
極端な男だ。
処罰対象者達には、爵位剝奪、無位無官処分、全財産没収が処せられた。
無一文の平民になりたくない腐敗貴族たちは、財産を抱えて大慌てで帝国領外に逃げた。
西領は、他領の罪人が入領すれば、元の国での罪状と処罰を入領者に適用するから誰も行かない。
北領は、基本姿勢は西領と同じだが情状酌量し、減刑することもある。
しかし、この件に関しては、数が多い。早々に西領と同じ方針だと公示を出したので、誰も行かなかった。
西領と北領は、もともと帝室と仲が良くない。
しっかり警戒体制が整っていた。
南領は、貧乏だ。
お金に汚い貴族たちは行きたがらなかった。
でも、気候もいいし、土地も豊かで、お金を溜め込む必要のない「良い貧乏」だ。
衣食に困ることのない民はガツガツしておらず、庶民まで芸術に情熱を注ぐ余裕もある。
金銭的には貧乏だが、文化的には最高に豊かな国だ。
貧乏には見極めが必要だ。
東領は、東領に入ってきた罪人たちを東領基準で処罰することにした。
東領でも爵位剥奪、懲戒解雇はする。
ただ、金銭的には汚職した額の10倍程度の罰金を課すが、全財産を没収するようなことはしない。
その結果、大粛清の後、東領に罪人が押し寄せた。
アルバートは、小役人の小遣い稼ぎのレベルまで財産没収に処したから、とにかく押し寄せた人数が多く、瞬く間に東領がボロボロになっていった。
東領はバカだ。
学術の東領、脳筋の西領、魔法オタクな北領、アートな南領。
そして権謀術数の帝室。
東領は他の領を見下していた。
自分たちの賢さを過信して、腐敗貴族達を理で御せると自信満々だったことが敗因だろう。
権謀術数のテーラのお膝元から腐敗した貴族が大量に押し寄せたのだ。
東領貴族が掲げる知的な政治なんて、呆気なく崩れた。
そういう意味では、私の生母、イースティア家の惣領スミレもソフィアと同レベルにお花畑だったと言えよう。
繰り返すが、帝国籍ソードン男爵家のソフィアは、頭の中がお花畑だった。
ソードン男爵家は、科学者の家系で、爵位は大したことがないが非常に民度が高かった。
超絶お嬢様なソフィアは、世の中のすべての人が、自分たちと同じように善意に満ちたユートピアに住んでいると思い込んでいた。
だから、自分が発明した魔力暴走の制御薬の組成と製法を公開した。
魔力暴走の研究への参入障壁をなくすためだ。
その薬は完璧な制御薬ではなかった。
まだまだ改良が必要だった。
特に副作用が酷かった。
精神混乱、酩酊、催淫、場合によっては魅了のような症状が出ることがあった。
日々の研究で、魔力暴走の制御効能を落とさずに、副作用を取り除くための精製技法を磨いていき、それらすべての情報が学術論文として発表された。
裏を返せば、魔力暴走の制御薬の副産物として、混乱薬、酩酊薬、催淫薬、魅了薬のレシピが世に出たということだ。
ソードン家は研究用の試験標品と称して魅了薬等の向精神薬を販売し始めた。
頭の中がお花畑のソフィアは、世の中の人々が全て、魔力暴走の制御薬の副作用を引き起こす有害な成分を取り除けているか確認するためにはその標品があった方がいいと考えたのだ。
もともと世界で一番の大金持ちだったソードン男爵家は、副産物の精神薬で更に荒稼ぎした。
世の中の多くの人々は、こういうのを「お金に汚い」と表現すると、個人的には思う。
結局、ソードン男爵家は、アルバートの粛清で処罰対象となり、他の帝国貴族たち同様に東領に逃げた。
しかし、アルバートは、ソフィア欲しさにソフィアだけを同じ学術系のブリタニー伯爵家に養子入りさせて、娶った。
ソフィアは棚ぼたで皇妃の座が落っこちてきたような令嬢だから、姫教育もお妃教育も受けていない。
超お嬢様だから所作など見た目はお妃クラスだ。
しかし、頭の中はお花畑、それ以外にソフィアを表す言葉は、私には見つけられそうにない。
**
アルバートの大粛清の数年後、東領では、私の祖父母である東領領主夫妻が転落事故死して、母が若くして領主に就任した。
大慌てで夫を見繕い、私が生まれた。
姉ミレイユは、母の子ではない。
母の父方の従兄の子だ。
別の言い方をすれば、イースティア家の傍系だ。
姉の実の両親は、祖父母の事故に巻き込まれて亡くなった。
母は生まれたばかりの従兄の子供をイースティア家の養子として引き取った。
ちゃんと正式に東領の姫として登記された存在だから、血は繋がってないが、ミレイユは正しく私の姉だ。
全てが慌ただしく進み、私の祖父母や姉の実父母の事故の調査は疎かなまま、母は押し寄せる政務に追われた。
新領主を慌ただしく追い立て、考える時間を奪い続けたことこそが、真犯人たちの戦略だったのだろう。
犯人が見つかることはなかった。
そういうわけで、イースティア家の嫡流の生き残りは、母と私しかいない。
ノーザンブリア家は、カール様とアレクシアのみ。
サウザンドス家は、マグノリア卿のみだ。
皇妃の頭の中がお花畑だったせいで、酷い世の中になった。
**
「アレクシア姫に優しくして、好きになってもらって、結婚してもらうのですよ」
私が5才の時、イースティア家は、ノーザンブリア家を東領北辺の避暑地に招いて両家の交流会を行った。
その頃には、私は何度か毒を盛られていて、水魔法で胃の内容物を水で包んで吐き出すという特技が出来ていた。
お陰で死ぬことはなかったけれど、母はヒステリックになっていた。
万が一の時に私を逃がす先を作るため、ノーザンブリア家に何度かアレクシア姫との婚約を打診していたが、「先約がある」と断られ続けていた。
正直に事情を説明して、庇護を願えばよかったのだと思う。
しかし、母は予定外の早さで領主になってしまった上に、常に領の内部に喫緊の問題が山ほどあって、外交の経験がなかった。
つまり、頼み方を知らなかった。
もっと言うならば、婚約の打診先は南領の姫でも西領の姫でも良かったはずなのに、北領にこだわった。
理由は多分、ノーザンブリア家は女の子が生まれにくい家柄だからだろう。
状況が状況だから、紫色の瞳は諦めるとしても、男の子が生まれにくいイースティア家に、男児の嫡流を生んでくれる姫が欲しかったに違いない。
そんな余裕もなかったのに、変なところに拘って、時間を浪費した。
北領領主のダニエル公は、なんとなく事情を察していたのだと思う。
両家の交流会は受けてくれた。
なのに母はダニエル様に自分で真実を伝え頭を下げることをしないで、私に姫を篭絡するように命じた。
不誠実だ。
だから私がお見合い風に姫に相談した。
「私の特技は、毒を胃の内容物ごと水で包んで吐き出すことです」
姫はゆっくりと首をかしげて、聞き返した。
「特技になるほど毒を盛られている、ということですか?」
「この特技のお陰で私は死んだことはありませんが、母はいざという時の子供達の避難先を探しています。それであなたに私のことを好きになってもらい、結婚してもらうようにと言われました。しかし、姫は水魔法遣いではありませんから、お嫁に来たらきっと直ぐに死んでしまいます」
姫は人差し指と中指の第2関節同士の間に唇を埋めて、ふむふむと考えた後、ノーザンブリア家のセーフハウスの場所を教えてくれた。
予想外だった。
「ここから一番近いセーフハウスは、オルト村のフレッド爺さんのお家です。ここに来る前にも立ち寄りましたが、お爺さんはいません。お兄さんとお姉さんです。『永遠の新婚さんがスローライフを謳歌している』そうです。意味はわかりません」
「貴方は不用心だと言われませんか?」
親切すぎて不安になった。
姫は再び人差し指と中指の第2関節同士の間に唇を埋めて、ふむふむと考えた後、答えた。
慎重に考えてから言葉を出す子のようだ。
「今日は『友好』の練習だと言われました。わたくしはよくできたと思います。父様に聞いてみます」
私はこの姫の父君なら、この子を頭ごなしに叱ったりしないだろうと思って、もう一歩踏み込んだ。
「もし、姫と私がお互いに嫌いになったフリをすると、私は凄く助かると言ったら、協力してくれますか?」
姫はまたゆっくり首をかしげてから質問した。
「どういう仕組みですか?」
「姫はイーストールに来たら死んでしまいます。私と姫が喧嘩すると、姫はイーストールに来なくて済みます。それに母も貴方の父君に私と姉のことを直接相談するかもしれません」
姫は納得したような、していないような表情で質問を加えた。
「でも、どうやって?」
「私が姫に求婚しますから、姫はこっぴどく断って下さい。私は意地悪なことを言います」
「こっぴどく?」
「出来ますか?」
姫はまたもや人差し指と中指の第2関節同士の間に唇を埋めて、ふむふむと考えた後、決意に満ちた顔で言った。
「一度、声に出して言ってみたかったことがあります。やりましょう」
私は姫と頷き合って、初めての共同作業に移った。
「アレクシア姫、私と結婚してください」
緊張の瞬間だ。
「わたくしは、兄様と結婚します。貴方も貴方のお好きな方とご結婚なさってください」
吹き出すかと思った。
危うく作戦失敗するところだった。
一度、声に出して言ってみたかったらしいから、本人は満足なんだろう。
「アレクシア姫。知らないのですか? 実の兄妹は結婚できないのです。貴方の兄君が貴方を妻に望むことは絶対にありえません」
姫はポロポロ泣いた。
本当に結婚したいほど兄君のことが大好きだったのだろう。
おそらく自分が声に出して言ってみたかっただけではない。
兄君とは結婚できないことをハッキリキッパリと誰かの口から言って欲しかったのではないかと思った。
そうして私と姫は、どう見ても決裂した様にしか見えない「友好関係」を築いた。
翌日は、兄君のカール様と遊んだ。
何をして、何を話したか覚えていない。
姫ほど印象的なことが何もなかった。
あのジュースを飲むまでは。
それは猛烈に甘いジュースだった。
飲んだ後、目の前も身体もガクガクとなって、まずいと思った。
液体の毒は固形物の毒よりも吸収が早い。
私は直ぐに吐き戻したが、それでも苦しくてのたうち回った。
それから大暴れしたくなった。
上手く体がコントロールできなくて、私はとりあえず水を呼ぶために人のいない方に走った。
胃を洗浄したかったが、魔力の制御も出来なかったから、とりあえずありったけの力で水を呼んだ。
胃の洗浄は出来なかったが、私は溺れた。
水をたっぷり飲んで、多分、カール様の雷が水にも落ちて感電して気絶した。




